(9)最初に来た森まで戻ってきました。
「あった、これかな」
ゆめは木の根元に生えていたピンク混じりのパールホワイトの花の前にしゃがむと、カゴバッグから取り出した紙切れを確認する。A4サイズの紙にはいくつかの植物のイラストが描かれている。
「葉っぱがギザギザで、茎の部分が産毛でおおわれていて、ピンクまじりのパールホワイト。……うん、この花だね」
イラストには英語で説明も添えられているが、達筆すぎて読みづらい。それでもどうにか単語をひろって解読する。
ゆめは紙をたたむとモスグリーンのワイドパンツのポケットにしまう。カゴバッグからスコップを取る。
「これが薬草……てゆーか、普通に花だよね」
花に手を伸ばし、根から掘り起こす。採取した薬草は、軽く土をはらい落としてカゴバッグの中に入れる。
「えーと、これを十本だったかな」
近くにある花や周囲の木の根元にある花を慎重に吟味して、予定数を採取する。
十本集め終わると立ち上がり、ぐ、と伸びをする。
「それにしても、こんなすぐにここに戻ってくるとか思わなかったなぁ」
フォレストグリーンの背の高い木を見上げる。はるか上空に重なり合う木々からリーフグリーンの木漏れ日が差し込む。
ギルド職員の眼鏡少女から紹介されて、赤髪の女性とあいさつを交わしたあとに、おそらくこの世界や地球コミュニティーについて一通りの説明を受けた。
「……まあ、言ってた内容、ほとんど聞き取れなかったけど」
女性とのやり取りを思い出し、ひとりごちる。
女性の話す英語は流暢すぎて、聞き慣れていないゆめにとっては未知の言語だった。
それでも聞き取れた単語をつなぎあわせ、あのコミュニティは一時的な住宅サポートや、仕事の斡旋を行なっているらしいことだけはわかった。
その一環で紹介されたのが、この森での薬草採取の仕事だ。
「あとは何をとればいいんだっけ?」
紙を取り出し、広げる。ついでに、トレンチコートのポケットから地図も出す。地図には採取する薬草が生えている場所がおおまかに書かれている。
「えーと、今いるのが多分ここだから、近いのはこれかなー」
地図で大体の場所をつかむと紙と地図をしまい、前を見る。そのまま奥へと進んでいった。
途中、ほかにも薬草を集めながら森を歩いていると、遠くに紅い色が見えた。
「あれ? ここって……」
ルビーレッドの杏の花が咲き乱れる、森の広間に足を踏み入れる。杏の木の下には、ローズマダーのクローバーやカージナルレッドのすみれが咲き誇っている。
たどり着いたのは、犬耳の女性と最初に出会った場所だった。
ゆめは紅いクローバーに一歩近づくとしゃがみこむ。
「そういえば、犬耳のおばさんも、ここの花摘んでたもんなぁ。これも薬草だったんだ」
犬耳の女性とここで会った時、なにやらいろいろ話してくれていた。言っている内容はひとつもわからなかったが、もしかしたらこの花が薬草だと教えてくれていたのかもしれない。
「えっと、ここにあるのも全種類とっていいのかな。ひとまず十本」
紙をひっぱり出し確認する。
「まあ、イラストにもあるし、とっておこう」
スコップを手に取り、クローバーとすみれを土から掘りおこす。十本ずつ集め終わると、次の場所に向かう。
そうしていくつかポイントをめぐって薬草を採取していく。途中からは土掘りにも慣れ、さくさくと薬草集めは進んだ。
「もうそろそろ、いいかな」
立ち上がると集めた薬草を確認する。
カゴバッグには、摘み取ったたくさんの花が詰まっている。
不意に、ざざ、と波の音が聞こえた。視線を向ければ、木々の合間から海が見える。
「あれ? もうそんなところまで来てたの?」
ポケットから出した地図を広げる。赤髪の女性から受け取った地図には、森の外れにぽつんと小さな長方形が描かれている。
「ここが、あのホームなのかな?」
道の先を一度よく見てみようと、遠くの景色に目をこらす。その時ふと、トレンチコートのポケットから、ぶーぶー、とくぐもった音がした。
「なんの音……あ、スマートフォンか」
はっとなってスマートフォンを取り出す。圏外だったはずのスマートフォンには、不安定に揺らぎながらもアンテナが立っている。
「あれ? 電波が復活してる?」
不思議に思いつつも、ロック画面の通話の通知をスワイプする。
「もしもし?」
『あ、・め?』
電話に出ると電波が悪いのか、途切れがちの声が聞こえる。ただ、その声には聞き覚えがある。
「もしかして、お母さん?」
『か・しゃ・ら・・・くが・った・ど、だ・じょ————』
母親からの電話は唐突にぶつり、と切れる。スマートフォンを耳から離して画面を見れば、右上の表示がまた圏外になっている。
「んー? たしか、山根さんと電話した時は普通に通話できたのに……」
ホームで交わした柚香との電話のやりとりを思い出す。あの時は、こんな風に途切れたりはしていなかった。
「なんでだろう?」
通話履歴には柚香の時とは違う、文字化けしたような文字列が表示されている。おそらくこれが、母の番号と名前なのだろう。
母と同じ番号と思われる記号の羅列は複数あり、何度も連絡してきていることがわかる。
「まあ、じゃあまたかかってくるかな」
ホーム画面の右隅にはまたアンテナが立っている。ただ、それもひどく不安定だ。
「とりあえず、海の方に行ってみよう」
スマートフォンをポケットに戻すと、海に向かって歩き出す。
ミントグリーンの草むらを抜け、海に出るまではそう時間はかからなかった。
スノーホワイトの砂まじりの地面を踏みしめ、周りを見回す。
「あ、あった!」
少し左にそれたところに、ぽつんと直方体のホームがある。ゆめはそこに向かって歩いていく。
ホームまでたどり着くと、ポケットからスマートフォンを取る。ロックを解除してみれば、右上にはアンテナが立っている。
「ここだと電波あるんだ。てか、もうあんまり充電ないじゃん!」
アンテナの隣の電池のマークは残量が三十パーセントを切っている。でもここには充電器がない。持ってきていたバッグと一緒に女性に預けてきてしまっていた。
「でも、せめて山根さんには連絡しとかないと。……えっと、これだったっけ?」
スマートフォンの着信履歴を開くも、そこに並んでいるのは文字化けしたような文字列。
ゆめは柚香から電話がかかってきたときに、表示されていた記号の羅列をどうにか思い出す。母の番号と思われる上に並んでいた記号をタップすれば、何度目かのコールで柚香が出た。
『木瓜さん? 何かわかったの?』
「はい、それがですね、びっくりすることに、異世界に来ちゃってたみたいで。なんだか、ここって世界の境界にあるみたいで、時々別の世界からやってくる人がいるらしいです。……山根さん?」
途中から電話の向こうの柚香の反応が消えて、ゆめは首を傾げる。
『えーと……、つまり、どういうことかしら?』
ややあってから訝しげな柚香の声が返ってくる。
「パンフレットを確認できてないので、帰る方法がまだわからなくて……。いつそっちに戻れるか検討もつかないので、しばらくお休みさせてください」