プロローグ〜トンネルを抜けたら、そこは……
みゃーみゃー、と遠くにウミネコの鳴く声がする。
どこか粘つく潮風が、ショートボブの黒髪を揺らし、頬を撫でていく。
がらんとした電車のホームに一人佇む女性は、スマートフォンを手にしたまま、呆然と電車の消えた線路を見る。ぱたぱたとカーキのトレンチコートのすそがはためく。
今日は休み明けの月曜日。寝る前にうっかり動画を見始めて夜更かしをしたせいで、家を出たのはいつもより遅くなってしまった。それでも、電車はいつもと同じ時間のものに乗れたはずだ。
視線を上げれば、目の前に広がるのは雄大な空と海。陽の光を受けて水面が白く光る。
首を巡らせて、途切れた線路の先を見る。そこにあったはずのトンネルは、いつの間にかなくなっている。
前に向き直る。コバルトブルーの海はインディゴの水平線を境にホライゾンブルーの空に溶け込み、より青く深く色を変えていく。曇天だったはずの空には雲ひとつなく、どこまでも高い。
電車の車窓から見た時は、赤く燃えるような空と海だった。このホームに降り立った時も。それなのに、今は、透き通るような青い色をしている。
「……新木場のホームって、こんな景色だったっけ?」
乗っていたはずの電車の終着駅を思い出しながら、ぽつりと呟く。
でも残念ながら、終点の新木場まで電車に乗ったことはない。
「いや、でも違うような……知らないけど」
わからないものの、なんとなく違和感があって首を傾げる。
どこまでも続く青い空と海には果てがない。その先の風景も見えない。
「あ、」
そこまで考えると、はっとしてもう一度、周りの景色を見渡す。
スカイブルーの空とコバルトブルーの海。きらきらと輝くスノーホワイトの砂浜。砂浜に沿うように続くフォレストグリーンの森。そよぐ潮風が、さやさやと森の緑を揺らしている。
そこに本来あるはずの、ビル群やレインボーブリッジなどの東京の街並みは存在しない。
トンネルを抜けた途端に、街の景色が消えてしまった。
「どういうこと?」
少なくとも、通勤途中にも、その先にも、こんな風景はなかった。
「え、なになに? 意味わかんない」
ざざ、と風にあおられてさざなみが立つ。小さく揺らぐ波間がきらりと陽光を反射させる。
トンネルを抜けたらそこに広がるのは、見知らぬ景色。
果たしてここは、雪国だろうか、神様たちが暮らす場所だろうか。
「てゆーか、ここどこ?」
一人きりで佇むホームに、冷たい潮風が吹き抜けていった。