殺し屋によるバインバインなバレンタイン
「正しい殺し屋の育て方」スピンオフ作品です。バレンタインバージョン。
「バインバイン?」
「……いや、それはリザな」
いや、そのツッコミもどうなんだ?
「バレンタインだ。なんでも、想いを寄せる相手や日ごろ世話になっている相手にチョコレートを送るという金の匂いがするイベントらしい」
大方、どこかの企業が始めた金儲けの祭りだろう。
朝日が昇り始めた頃。
イブとともに仕事を終えて帰る途中、街に甘い匂いが広がっていることに気が付いたイブが目を輝かせながら尋ねてきたのだ。
仕事終わりの血生臭い匂いが薄れていく。
「ん」
「……なんだ、その手は?」
イブは両手をこちらに出して何かを受け取ろうとしている。
「日ごろ世話になっている相手に、チョコレート」
「……ふざけんな」
こいつは本気で言っているのか?
普段世話をしてやってるのは俺の方だろ。
「むう」
軽く無視して歩き出せば、イブは膨れた餅のようなほっぺのままでついてくる。
正直、その姿は面白い。
「はーい。イブちゃん。今日は特製チョコレートパンケーキよ!」
「でかした!」
家に帰ると、情報屋のリザがまた勝手に家に入ってパンケーキを焼いていた。
それを見た途端、猛ダッシュでテーブルに飛び付くイブ。
が、俺はその首根っこを掴んで止めた。
「待て。まずは手洗いとうがいをしてからだ」
「むう」
仕事終わりに洗いはしたが、きちんと他人の血を洗い流してから食事にしたい。
「うまうまうまうまっ!」
「……さすがに甘いな」
イブはいつも以上にがっついているが、俺には少し甘味が強い。ただでさえ甘いパンケーキにチョコレートがプラスされているのだから当然か。
「ジョセフには少し甘かったわね。はい。あなたにはこれね」
「なんだこれは?」
イブの口についたクリームを拭きながらリザが小さな四角い箱を渡してきた。次の依頼に使う弾丸か?
「甘さ控えめのビターチョコよ。少し苦いけど、あなたにはちょうどいいでしょ」
「ああ。それはありがたい」
……バインバインのバレンタイン、か。
「……今なんか、すんごいバカみたいなこと考えなかった?」
「……いや、気のせいだろう」
そういうことにしてくれ。
「……ね」
「ん? どーしたの、イブちゃん?」
イブがリザの袖を引いて何か耳打ちしている。せめて口いっぱいのパンケーキを飲み込んでからにしろよ。
「……」
「ふんふん」
……何を話しているんだ。
「……おけ?」
「もっちろん!」
「やた」
不安げに見上げるイブにリザは満面の笑みで応える。
その様子に安心したようにガッツポーズをとるイブ。
「じゃー、善は急げね! ジョセフ。今日はイブちゃん借りるわよ!」
「借りられるわよ!」
「あ、おいっ!」
しっかりパンケーキを食べきって、イブはリザとともに部屋を出ていった。
いったい何を企んでいるのか。
「……不安しかないな」
「……遅いな」
日が沈んでもイブたちは帰ってこない。
どうする。リザの家に迎えに行った方がいいのだろうか。
リザと一緒だから特段心配する必要もないだろうが。
「……って、俺は何を……」
イブはいずれ始末すべき相手だ。
そんなことをしてやる義理はないだろう。
「……」
……遅いな。
「くそ」
「ただーいま~……」
「おわっと!」
上着を持って家を出ようとしたところにイブがヨロヨロと帰ってきた。
慌てて上着を放り投げる。
「……遅かったな。というか、なんかひどく疲れてないか?」
帰ってきたイブは前屈みで肩を落とし、髪もボサボサになっていた。
いや、本当に何をしてきたんだ。
「……イブさんは疲れました。もう寝ます」
そして、イブはそのまま寝室になだれ込もうとした。
「おい、待て! せめて風呂ぐらい入れ!」
なんだかよく分からんが異常に疲れているのは分かる。だが、なぜか服も髪も何かで汚れている。そのままベッドに入られたらたまったものではない。
「……あ、ほい」
「ん? なんだこれ?」
引き止めようとする俺に、イブは思い出したかのように四角い箱を渡してきた。なぜだか少し気恥ずかしそうにしている。
「……日ごろの、なんちゃら」
「あ、おい!」
イブはごにょごにょと呟くと逃げるように寝室に入っていった。
「……ったく」
俺は受け取った箱を開けてみることにした。
箱はなぜかリボンでぐるぐる巻きにされていた。
「……これは」
箱のなかには不格好なチョコレートが何個か入っていた。なかには少し焦げているものもある。
「……バレンタイン、か」
ふっ、と思わず笑みがこぼれる。
俺は見逃さなかった。
チョコレートを渡すときのイブの手を。
頑張って隠していた、手当てされた切り傷の痕を。
「……」
下手くそなチョコレートを一粒手に取る。
「……ふっ。不味いな」
それはお世辞にも美味いとは言えない味だった。
「……不味すぎるから、俺が責任をもって全部食べてやるとするか」
軽く笑みを浮かべながらチョコレートをテーブルに置き、コーヒーを入れることにした。
「……あ」
そこで気付く。
イブが入っていったのが自分の寝室ではなく俺の寝室であることに。
「ふざけんな! 汚れてんだから自分のベッドで寝ろ!」
慌てて寝室に飛び込んだ俺は、明日は朝から布団を洗う羽目になることを悟ったのだった。
翌日。
「バインバインをあげた人からは10倍のお返しがもらえるらしい」
「……」
布団を洗っている俺によくそんなこと言えるな、こいつ。
あとバレンタインな。
「1ヶ月後らしい。たのしみたのしみ」
……イブの寝室を10倍汚してやろうとも思ったが、結局洗うのは俺だからやめておくか。
「甘いものなら何でもいい」
……もうどっか行ってくれないかな。