Disaster-04 償うには足りない命
アンデッド化。
実際に術が発動してしまった例はこれが初めてだった。
術式は脅しであり、本当はアンデッド化なんて嘘じゃないか。そう思っていたくらいだ。
「エデリコ・ハイゼンを刺したのは僕だ」
「なぜ? 何でそうなる前にあたし達に打ち明けてくれなかったの!」
「あの女はギリングの他の魔王教徒を束ねるリーダーだ。残りの2人も魔王教徒だが、2人は死霊術を使えない」
「それじゃあ、なおさらでしょ! 魔具で魔力を封じたら誰もアンデッド化しないのに! 恐れる事など何もないのに! 家族にもあなたにも魔具を装着すれば……!」
レイラさんの言う通りだ。エデリコに脅されていたとしても、エデリコの魔力を無力化してしまえば良い。バスターを大勢死なせる必要はなかったんだ。
なぜおとなしく従った?
念のため家族に魔具を装着させるという手段も取れたのに。
所長は動揺と怒りの間にいるオレ達に寂しく微笑みかけ、コーヒーに口を付けた。
「……まだコーヒーの味が分かる。僕はまだ人なんだね」
「家族は? 所長の家族はどこに?」
「今頃家であの女の血を術式に塗り込んでいるよ。術式を無効化するには、術者の血で上書きするしかない」
「上書き? ご家族もアンデッド化の術式を彫られていたのね!」
「ああ。術式を無効化するには、術者の血を使う必要がある」
血が必要だから刺したという事か。おそらくその方法はエデリコから聞いていたのだろう。その方法が本当に正しいという確証はあるのか。
極悪非道な魔王教徒が救済手段を易々と教えるだろうか。
「魔具を填められた状態では、術式に込められた魔力も残ったままだ。術式を壊したとしても、今度は術式に込められていた魔力が解放されてどんな悪い作用を生むか」
「レイラさん、そうなんですか?」
「……そうね、言われてみれば確かに。ああ、なんてこと。その危険性に何で早く気が付かなかったんだろう」
レイラさんが頭を抱えてため息をつく。
いったい、何が問題なんだ? 何が何だか分からなくなってきた。
なぜ所長は助かるチャンスを手放して大勢の犠牲者を出したのか。
どうして魔力が残ったままじゃまずいのか。術式はあっても発動できないなら問題ないよな? 他にも刻まれた人達はいるけど、問題視してこなかったじゃないか。
「……イース。あなたが一番よく理解できるはずよ」
「えっ」
「共鳴、グレイプニールが喋る秘密は」
「きょ……あっ」
そうか。グレイプニールはオレの魔力を保ち続けている。
術式を彫って血でなぞっただけで、オレの魔力を貯め込む事ができるようになった。
オレ達の状態と同じ……? でも共鳴するには互いに触れていないといけないはず。
魔力を貯め込んでいても、結局発動しなければ害はないんじゃないか。
「すみません、イースはまだ魔法の知識があるからいいとして、俺は魔法に関する知識が全くないんです。分かるように説明してくれませんか」
「そうね、オルターは専門外だったね。まず術式で魔力を留めるって話は分かった?」
「はい、分かります」
「そこまではイースと同じ。そしてイースはグレイプニールに触れていないと共鳴できない。でも離れたところからグレイプニールに魔法を掛けたら?」
「グレイプニールが……自分の意思でイースの魔法を受け止めて蓄える?」
オルターがこちらを見て、目で正解かどうかを尋ねてくる。オレは頷き、レイラさんの話の続きを促した。
「そこが死霊術士と違うところ。グレイプニールは魔法を自分で留めようとする。でも術式を彫られた人達は?」
「術式があるから魔力を貯め込む機能はあるけど、貯め込む気はない?」
「うん。そこを逆手に取った……ですよね、所長」
逆手に取った? どんな手段を使っているかは分かったけど、目的は何なのかが分からない。魔力を受け止めないのなら術式の有無は関係ないはずだ。
でもレイラさんの推理自体は当たっていたようだ。所長はまた微笑んで頷く。
どうして自身がアンデッドになりつつあるというのに、こんなに余裕があるんだろうか。
「ああ、やはり君は賢い。その通りだよユノーさん」
「だーっ! レイラさん、こんな悠長に話してる場合なんすか! ズバッと教えて下さいよ。俺も仕組みは分かったけど、結局なんなんすか」
オルターも目的が思い浮かばないようだ。どういう事だ?
普通の魔法とも違い、共鳴とも違う。グレイプニールの能力とも違う?
「おぉう。れいら、言う、しますか?」
「グレイプニール、あなたは分かったのね」
「ぴゅい」
「え、分かったの? オレ全く分からないんだけど」
「ぬし、なほう、使うます。ボク、それなろくためむ、よごでぎます。ボク、よごでぎます。ひと、よごでぎまい」
「あ、うん、その辺は分かるんだけど」
グレイプニールは魔力を貯める。人の場合はそれが出来ない。貯め込めない魔力は、魔法は、どうなる?
術式があるからって、どうなるんだ? 魔具を使っていれば何も関係ないよな?
「イグニスタさん。治癒術に置き換えて考えて下さい。治癒術を掛けられた者は、貯め込まずにその効果を受け取りますよね」
「……それは、まあ、確かに。モンスターに魔法を使うのも同じですよね。でもそれって術式を彫っているかどうかは関係ないと思います」
「魔具が封じるのは装着者の魔力だけ。その状態で治癒術を使われた場合、効果はきちんと出るんです。いわば魔法使いから魔力を奪った状態に過ぎません」
……うん?
分からないのオレだけなのか? と思ったらオルターも首を傾げている。
「イース、あたし達は勘違いをしていたって事。もう一度言うね。術式を発動するのは、誰?」
「発動するのは、術者……です」
「そう、術式を彫られた人じゃない。術者、つまり魔法を掛けようとする相手に魔具を填めさせないと意味がないのよ」
「そん……な」
「人は掛けられた魔法を拒めない。そこを逆手に取られたのよ。奴隷が魔具を填められていようが、いつでも術式を発動させることが出来たの」
レイラさんに告げられた真実がオレの思考回路を奪った。目は開いているのに何も見えない。見えているものが頭に入ってこない。
それじゃあ、オレ達が今まで助けてきた人達は?
この町にも術式を体に刻まれたままの人が大勢いるんだぞ?
「俺達がやって来た事に何の意味もなかったって事ですか! そんな、だって、ようやく奴隷にされてた人達も穏やかに暮らせるようになったってのに!」
「オルターも落ち着いて。この町にいる術式持ちの人は、エデリコ・ハイゼンじゃない奴に彫り込まれたの。だからもう発動はしない」
ああ、そうか。そうだったんだ。エデリコが少しでも違和感を覚えたら、所長も家族もおしまいなんだ。
エデリコに術式を彫られた人が他にもいたら、その人達も終わりだ。
エデリコを捕える動きを察知されたら。
もし少しでも怪しい動きがあれば術を発動させると言われたら。オレならどうした?
この支配から逃れるためには、エデリコを殺すか血を手に入れるしかない。
時間を掛けたら他にも手段が思い浮かんだかもしれない。でもその間、どんどんバスターが犠牲になり、エデリコの要求も激しくなっていく。
魔王教徒側に思惑があるなら、その成功確率は準備期間が長いほど高くなってしまう。
「だから、戦う手段があるバスターなら、生き残ってくれると」
「……僕がそんな期待を抱いたせいで犠牲者が増えたのだけれどね」
「エデリコはニータ共和国にいたんですよね。そっちにもエデリコの術式の犠牲者が」
「発動させるにはある程度距離的な限界があるようだ。魔法の祖であるアダム・マジック程の実力者でもない限り、ニータ共和国には及ばない」
そう言って、所長はゆっくり立ち上がった。
「エデリコが死ぬか死なないかは彼女次第。だが人を刺した裁きは受けなければ」
「……その覚悟は、出来ていたんですね」
「ああ。そして僕のせいで亡くなった者達の遺族のためにも、今から公衆の面前で真実を語らなければならない。彼らにはこの身で償う」
「償うったって」
所長は黒んずんだ手の甲をさすり、しっかりとオレの目を見つめた。
「僕が大罪人であっても、遺族が報復で人を殺せば、今度は遺族が罪に問われる。だがアンデッドは人ではない。僕がアンデッドになったら遺族の気が済むまで僕を叩き、殴り、斬ってもらう」
「あなたは、そのために……エデリコの血を自分に使わなかったんですね」




