24.私のリディアお嬢様② ローレッタ視点
お嬢様の専属メイドになってからも、私がろくに仕事ができないのは変わらなかった。
なんとか私を助け出してくれたこの人の役に立とうと思うのに、現実は迷惑をかけてばかり。
お嬢様は特に怒らなかった。ただ、私が失敗する度に呆れたような顔をするだけ。
でも、それが一番つらかった。誰に呆れられてもいいけれど、お嬢様にだけは失望して欲しくない。
それで私は何でもやり遂げて見せるので、何か命令して欲しいと言ってみた。
お嬢様はそれなら身支度の道具が欲しいと言う。ここにはそういう必要最低限の道具すらないのだ。
それほど難しくない命令にほっとする。私はお嬢様にいつも邪魔だと言っていた置物を一つもらって、それを元にお金を稼いで道具を買うことにした。
貧民街に住んでいた時、近所に住んでいる詐欺師のおばあさんから教わった方法が役に立ち、私は無事に銀貨と道具を手に入れることができた。
道具を持ち帰った私を見たお嬢様は、本当にできるとは思わなかったのか、目を丸くしていた。
驚いた顔をするお嬢様を見ていたら、誇らしい気持ちになった。
それからも、私はお嬢様の願いを叶え続けた。
お嬢様の願いはどれも小さなものばかり。本が欲しいとか、あの髪型にしたいとか。
普通の貴族家庭だったら、いや、普通の一般階級以上の家庭だったら、きっと私がいなくても簡単に叶えてもらえただろう。
お嬢様は私が命じられた物を用意する度に、きらきら瞳を輝かせる。「ローレッタはすごいのね」と何度も褒められた。私はその度に誇らしくなり、お嬢様のためなら何でもしようと決意を新たにする。
そんな日々を過ごしていたある日のこと。
その日は朝からお嬢様がいなかった。
不思議に思ってメイド長に聞くと、いかにもめんどくさそうな顔で、お嬢様は儀式に行かれたと教えてくれた。
儀式とは何だろう。不思議に思いながら、部屋の掃除をしてお嬢様の帰りを待つ。
そのうち、ほかのメイドに皿洗いを手伝うように言われたので、お嬢様の部屋を出て地上に行く。
その日はリディア様の誕生日で、地上では盛大なパーティーが行われていた。使用人たちは準備に大忙しで、私が呼ばれた厨房にも山のようなお皿が積み重なっていた。
私はひたすら皿洗いをこなす。
ふと思った。今日がリディア様の誕生日なら、お嬢様だって誕生日ではないかと。
誕生日を祝われたことなんてない私にはピンとこなかったが、世間では生まれた日にはお祝いをするものらしい。
お嬢様に何か渡すことはできないだろうか。
ガラクタを売って稼いだお金はあいにく使いきってしまって今はないし、今からお金を稼ぐのも難しい。お嬢様の部屋のガラクタさえあれば余裕なんだけれど、今はお嬢様が部屋を空けているから、物を持ち出す許可が取れない。
そうだ。せめて、厨房からこっそりシロップを拝借して、シロップ水を作って渡したらどうだろう。
なかなかいい考えのような気がした。
以前、厨房からシロップの瓶をくすねて、地下の部屋でお嬢様と二人水と混ぜて飲んだことがある。そのとき、お嬢様はおいしいと大変喜んでいた。
今は人が大勢いるから無理だけど、後で人気がなくなったらこっそりシロップを盗もう。
私はそう決めると、お嬢様の笑顔を想像しながら明るい気分で残りの皿洗いに取りかかった。
皿洗いが終わったら空いたテーブルの片付け、廊下の掃除、ごみ捨てと、色々やっているうちにすっかり時間が経ってしまった。私は急いでお嬢様の昼食が載ったトレーを持ち、地下室へ向かう。
早く届けないと、と足早に階段を降りて、扉をノックする。
しかし、昨日ぶりに見たお嬢様は、ベッドの上で丸まり、すっかり沈みきっている様子だった。
具合が悪いのかと尋ねると、心底だるそうにそうだと告げる。
部屋の空気は心なしか淀んでいるように感じた。息をするのも苦しいような禍々しい空気。その上、血のにおいが混じっているような気がする。
まさかお嬢様はけがをしているんじゃないかと不安が脳をかすめた。
無礼は承知でお嬢様の服のボタンを外す。服の下から現れたのは、ところどころ血のにじんだ、禍々しい黒い文様だった。
「お嬢様、何ですか、これ……! 黒い文字みたいなものがたくさん……! 病気じゃないですか!?」
「お父様に儀式を受けるように言われて、気味の悪いローブの女に入れられたの。病気じゃないわ。早く出て行って」
お嬢様の声は淡々としていた。けれど、いつも見ていた私にはわかる。彼女は今、ひどく気力を奪われていると。
こんなのあんまりだと思った。なぜ、お嬢様がこんな目に遭わなければならないのだろう。
お嬢様の肌は、白くて傷一つなくて、とてもきれいだったのに。それがこんな醜い文様を入れられるなんて。
思わず憤りの言葉が口から溢れる。どうしてお嬢様が。こんなのあんまりです。取り乱す私を睨みつけ、お嬢様は怒鳴った。
「そんなこと言ったってどうしようもないでしょ!? とにかく私は寝てたいの! 早くどこかへ行ってちょうだい!」
お嬢様はそう言った後、少し気まずそうな顔をして視線を逸らした。お嬢様に怒鳴られるのなんて初めてのことだった。
お嬢様の言う通りだ。どうしようもない。少なくとも私がいくら文句を言ったところで、公爵のやることを止めるなんてできるはずがないのだ。
私は助けてくれたこの人がひどい目に遭わされていても、何もすることができない。
自分の役立たずさが嫌になって、ぎゅっと強く唇を噛む。
このままお嬢様の言う通り、出て行ったほうがいいのだろうか。私がそばにいないほうがいいのかもしれない。でも、沈みきっているお嬢様を一人にするのは嫌だ。
「わかりました! それなら私、お嬢様が寝るまでお話しをしてます」
「は……?」
私が言うと、お嬢様は呆れた顔をこちらに向けた。
明らかに拒否している顔だったが、構わずお嬢様の興味を引きそうな話を頭から引っぱりだす。
「何がいいかな。あっ。それじゃあ、クロフォード公爵家の人たちの話なんてどうでしょう」
そう言った途端、うんざり顔だったお嬢様の目に鈍い光が差した。
私がほかのメイドたちが噂していたことを語り始めると、お嬢様の目の輝きは一層増していく。
この家の実情はひどいものだ。そもそも人をさらってきて魔獣に食べさせようとする時点で、異常なのはわかっていたけれど。
しかし、この家の歪みはそれだけではない。
外では理想の夫婦なんて言われている公爵と夫人の間に愛はなく、それどころか互いに心の奥では憎み合っている。
優秀な跡取りだとされるブラッド様は夫人の血を引いていないし、天使のようだと誰もが褒めるシェリル様は公爵の血を引いていない。
七歳にして性悪だと知れ渡っているリディア様が一番ましなくらいなのだ。
お嬢様はいつの間にかベッドから身を乗り出すように話を聞いていた。リディア様に関してはおもしろい話がなくて残念に思ったが、お嬢様はリディア様がアデルバート様に嫌われていると知ると、なぜか大変嬉しそうにしていた。
しまいにはお腹を抱えて笑いだす。
私は嬉しくてたまらなかった。悲しそうだったお嬢様が笑顔になったのだ。お嬢様が喜ぶなら、いつまででも話し続けられる。
私はその日から、メイドたちの噂話に耳を澄ませるようになった。
お嬢様が喜びそうな話は、一つたりとも聞き逃したくない。
私は噂話というものに心から感謝した。
人々の暗い好奇心を満たす話には、聞いた人にちょっと正しくない元気を与えてくれる力があるらしい。
正しくなくてもお嬢様が笑顔になってくれるならそれでよく、私は噂話が大好きになった。