3.提案
夜、手紙に書かれていた時間通りに庭園を訪れた。
指定されたベンチのところまで向かうと、リディアはすでに待っていた。私に気づくと、口角を上げてにっこり微笑む。
「アデルバート様。お待ちしておりました」
「……あぁ。何の用だ? 早急に頼む」
ろくに挨拶もせず、用件を言うように促す。素っ気ない態度にリディアは一瞬眉尻を下げたが、すぐに笑顔に戻って言った。
「今日はアデル様と話し合いたいことがあって……。男爵家のフィオナ様のことです」
フィオナという名前が彼女の口から出た途端、頭に血がのぼった。フィオナを散々いじめておいて、一体何の話をするつもりなのだろう。
「フィオナがどうしたというんだ」
「どうしたって……アデル様は彼女との距離感がおかしいとは思いませんか? フィオナ様がべたべた体に触れるのを許したり、生徒会室で何時間も二人きりで話し込んだりして……。アデル様とフィオナ様は特別な関係なのではないかって、みんな噂しているんですよ?」
リディアは眉根を寄せて、困った子供を諭すかのような口調で言う。ここまではっきりと指摘してきたのは初めてだ。
少々驚くと同時に、怒りで頬が紅潮するのがわかった。フィオナのことをそんな節操のない女のように言うなんて心外だった。
学園ですれ違ったときに話すことはあるが、フィオナが私に馴れ馴れしく触れて来たことなど一度もない。
心当たりがあるとすれば、連日の嫌がらせで疲弊しきっていた彼女が倒れそうになったときに、私が腕を支えたことがあるくらいだろうか。
生徒会室で話していた件もそうだ。
あのときはフィオナがあまりにも気が滅入っている様子だったから、誰にも聞かれないところで話が聞きたいと生徒会室まで呼びだして悩みを聞いていただけだ。
結果、フィオナからリディアに散々暴言を吐かれ、嫌がらせされてきたことを聞きだすことができた。
そもそも、全ての原因はリディアじゃないか。
私は怒鳴りつけたくなるのを抑え、事情をできるだけ静かな口調で説明した。しかし、リディアは疑わしそうにこちらを見るばかり。その表情に苛立ちが募る。
「なぁ、もう行っていいか? 明日は早くから生徒会の会議があるんだ。どうせ三日後の夕方には月に一度のお茶会があるんだし、急ぎの用でもないならその時に話せばいいだろう」
「待ってください、アデル様。あなたを怒らせるつもりなどないのです。私は話し合いをしたいだけで……」
「話し合いをしたいだけ、か。そういう思慮深い態度をフィオナにも取ってくれればいいんだがな。一方的に責めたりしないで」
苛立ちの混じった声で言うと、リディアは眉根を寄せて悲しそうにうつむいた。その仕草に、ほんの少しだけ罪悪感が湧く。
そういえば、今日の彼女はこちらが何を言っても困った顔をするか悲しげに微笑むばかりだ。
悪女らしくあからさまに不機嫌な態度でも取ってくれれば……いや、強い者にはこびへつらう彼女が、私自身に反抗的な態度を取るはずがないか。
「……それで、何を話したいと言うんだ。私にもうフィオナに近づくなと念を押したいのか?」
罪悪感を振り切るように冷たい声で尋ねる。リディアに言われるまでもなく、フィオナとは距離を置くつもりではあった。
もともと入学してきたばかりで心細そうにしていたフィオナが心配だったから声をかけていただけだ。私が関わることでリディアに目を付けられるようであれば意味がない。
フィオナの明るい笑顔を見られなくなるのは寂しいが、彼女のためにも極力顔を合わせないようにするつもりでいたのだ。
うんざりした気分でリディアの顔を見ると、彼女は小さく首を横に振った。
「……いいえ。フィオナ様のことはアデル様自身に決めてもらって構いません」
「……? それならどうしてわざわざ私を呼び出したんだ」
「アデル様が望むのなら、婚約解消してもいいとお伝えするためです」
リディアは私の目を真っ直ぐ見つめて言う。思わず呆気に取られてしまった。
「何を言っている? 私たちの婚約は十年も前に陛下とクロフォード公爵が決めたのだぞ。それを簡単に覆せると思うのか」
「難しいでしょうけれど、アデル様だって苦々しく思っている私と婚約を続けて、成人したら結婚しなければならないなんてお嫌でしょう? 私との婚約を解消すれば、フィオナ様と婚約し直すことだってできるかもしれませんよ」
リディアはよどみなく話し続ける。
確かに私はリディアをよく思っていないが……それにしても彼女が自分を「苦々しく思っている私のこと」だなんて言うのは意外だった。
私の嫌悪など気づきもせずに擦り寄って来る軽率な女だとばかり思っていたのに。
「馬鹿なことを……。フィオナとはそういう関係ではないとさっきも言っただろう。君との婚約解消までは望んでいない」
「けれど、私だって全く大切にしてくれない方とこれから何十年も生きていくのはつらいのです」
リディアはやはり悲しそうな顔で、訴えかけるように言う。
私は思わず言葉に詰まってしまった。
彼女の方から私を拒むような言葉を口にするなど、想像したこともなかった。今日の彼女はいつもと違う。まるで、覚悟を決めてきたような……。
「……リディア、それは」
「いえ、今すぐに答えを出していただく必要はありません。よくお考えになってください。返事は一週間後に聞かせてくださればいいので。婚約解消したいとおっしゃられるなら、私から父に頼んでみますから」
「だから私は婚約解消するつもりなど……」
「よく、考えてみてくださいませ」
リディアから笑顔で、しかし静かな威圧感のある顔で言われてしまった。迷いのない目に少々たじろぐ。
「私から言いたいことはこれで全部です。アデル様、お忙しい中足を運んでくださりありがとうございました」
「いや……」
「それとアデル様。婚約解消が正式に決まるまでは、今まで通りでいましょう。周りの方にいろいろと詮索されるのも不都合ですから……」
「婚約解消が前提のように言うんだな」
「私、よく考えてから提案したつもりです。アデル様はおそらくこの提案を受け入れるだろうと……。そうでなかったらこんな話切り出しませんわ」
リディアは声に寂しげな色を滲ませて言う。
「アデル様、一週間後に答えを出すまではどうか今まで通りにしてください。婚約解消の話題も避けていただけたらありがたいです。せめて婚約者でいられる最後の一週間は思い煩うことなく過ごしたいんです」
「だから、リディア、最後などと」
「約束してくださいますね?」
リディアににっこり微笑んで、釘を刺すように言われた。思わずこくりとうなずいてしまう。態度は柔らかいと言うのに、やけに威圧感がある。
「ごきげんよう、アデルバート様」
リディアはそう言ってスカートの裾を持ち上げながら頭を下げると、控えていたメイドを連れて去って行った。
私はというと、頭がぼんやりとしてしまいなかなかその場を立ち去ることができない。
私はなぜ婚約解消してもいいと言われ、すぐさま否定したのだろう。
クロフォード家の令嬢との婚約を斥けることは容易ではないとはいえ、常々リディアが婚約者であることにうんざりしていたのだから、少しくらい迷ってもよかったはずなのに。
実際に婚約解消を提案されてみると、それを望む気持ちは不思議なほど起こらなかった。
ぼんやりとする頭でリディアと初めて会った日のことを思い出す。
ある晴れた秋の日のこと。部屋で家庭教師と勉強していると、父上に呼びだされた。
『アデル。今日は婚約者になる予定の子と顔合わせをしてもらう。我が国の魔法防衛省を支えるクロフォード家のご令嬢だ。嫌われないように気をつけろよ』
父上は愉快そうに笑いながらそう言った。突然の言葉に戸惑うことしかできない。
少し緊張しながら執事に連れられて庭まで出ると、そこには同じように固い表情でこちらを見る少女がいた。
綺麗な金色の長い髪に、薔薇色の頬。人形のように綺麗な子だった。冷たく見えるほど整った顔の中で、目だけはきらきらと草原を写しとったかのように輝いて、温かみを感じる。
彼女を一目見た途端、さっきまでの緊張はどこかへいってしまった。気が付くと、私は駆け寄ってその女の子に話しかけていた。
草原のようできれいな目だと褒めると、彼女はとても嬉しそうに顔を綻ばせて笑った。
そうだ、あれが私の初恋だった。今ではリディアに恋していた過去なんて、消し去ってしまいたいとしか思えないけれど。
閲覧ありがとうございます。
おそらく好感度低いであろうキャラばかり出てきて申し訳ないです…!!