1.噂好きのメイド
ここから二部になります。
雰囲気が暗くなるのでご注意ください。
どうして人は醜悪な話をおもしろがるのだろう。
どこそこの誰がひどい目に遭ったとか、あの人が最低な行いをしたとか。そんな話に胸がうずいてしまうなんて。
趣味が悪いことは自覚しながらも、私は今日もメイドの噂話を心待ちにしている。
「リディアお嬢様! 知ってます? とある伯爵家のご令嬢の話なんですけど、婚約者に婚約破棄されちゃったんですって。「真実の愛を見つけた」なんて言って。
でも、そのご令嬢の元に、なんと公爵家のご令息が求婚なさったそうで。なんでも、その公爵令息様はずっと伯爵令嬢に片思いしていたんですけれど、婚約者がいたのでどうにもできなかったんですって!
公爵令息様を敵に回した元婚約者とその恋人は、街を追い出されて落ちぶれちゃったらしいですよ。いい気味ですよねぇ」
部屋に掃除をしにやって来た私の専属メイドであるローレッタは、仕事もそこそこにかしましく噂話を始めた。
私は窓辺に立って外の景色を眺めながら、ローレッタの話にじっと耳を傾ける。
彼女の頭の中は、いつもどのうちの娘さんがどうしたとか、どの家とどの家の関係が拗れたとかいう貴族たちのゴシップでいっぱいだ。
どこからともなく新しい噂を仕入れてきては、待ちきれないとでも言うように私の部屋に来てぺらぺらとしゃべり立てていく。使用人としての礼儀なんてあったものじゃない。
けれど私がローレッタを怒ることはない。
掃除が大雑把だろうが、運んできた食事がこぼれていようが。私は彼女の口から出てくる噂話が好きなのだ。
このクロフォード公爵家でローレッタが私以外の者に仕えたら、彼女はたちまち鞭打たれて、外へ放りだされてしまうだろう。
私が彼女を自分専属のメイドから外すことはあり得ないので、その心配はないのだけれど。
「ねぇ、リディアお嬢様。これは知ってます? ウィンストン家のご令息の話。彼は──……」
「ローレッタ。よその家の話もいいけれど、私は我がクロフォード家の評判を聞きたいわ。私のうちは、外でどんな風に言われているの?」
尋ねると、ローレッタはたちまち嬉しそうな顔になった。彼女は自分から噂話をするのも好きだが、人から噂を求められるのが何よりも好きなのだ。
ローレッタはまるで小鳥が歌うようにペラペラと軽やかに話し始める。
「では、お兄様のブラッド様のお話を! ブラッド様、魔法騎士としての称号を受けて間もなく討伐に参加して、中級の魔物を三体狩るって偉業を成し遂げたらしいです! ブラッド様のことが心配でずっと森のそばで待っていた妹君のシェリル様も涙を流して喜んだそうで」
「あら、シェリルはお兄様の討伐を見に行ってたのね。知らなかったわ。確か平日でしょ?」
「……リディア様はお兄様の初討伐の日も平然としてましたね。冷たいですよねぇ」
「別にいいじゃない。お兄様の初討伐だからって学校を休んでまで見に行く方が変なのよ」
「いいですけれど! ブラッド様、実力もですが、公爵家という安全な場所にいられる立場にありながら討伐に参加したこと自体をとても褒められていました。現当主である公爵様も大臣でありながらしょっちゅう討伐に出向いているし、尊敬すべき方たちだと、みんな口々に褒めています」
ローレッタは三つ編みを揺らしながら、力を込めて言う。私の口からはつい乾いた笑みが漏れる。
「だって、クロフォード家の魔力があればけがをする心配なんてそうそうないものねぇ。それで評判が上がって、王家から勲章も報酬ももらえるなら、参加しない手はないでしょう」
「あぁ、お嬢様! また意地悪な顔してます」
「失礼ね、生まれつきこういう顔なのよ」
「アデルバート様の前ではあんなに可愛らしかったのに」
ローレッタがそんなことを言うので、私は思いきり顔をしかめた。
このメイドは先日も登校日に私の後をついてきて、私がアデル様と中庭で話す様子を陰から見ていたのだ。
「よかったですね、リディアお嬢様! アデルバート様の初恋はお嬢様なんですって!」
「大きな声で言わないでちょうだい……」
私は恥ずかしくなってローレッタから目を逸らした。
アデルバート様は、この国の王太子だ。
リディア・クロフォードの婚約者であるはずの彼は、婚約者に冷たくする一方、特待生として入学してきた男爵令嬢のフィオナをとても気にかけていた。
アデルバート様とフィオナ嬢はつき合っているのではないか、なんて噂が流れてしまうほどに。
そんな中で、先日私はフィオナ様から母の形見を壊したと大勢の見ている前で糾弾されてしまった。もちろん私はそんなことをやっていない。
しかし周りの空気に呑まれ、彼女に謝りそうになった。
そんな私にアデル様は本当にやったのかと尋ねてくれた。そして私がやっていないと答えると、それを信じてくれたのだ。
正直、アデル様が私の言葉を聞いて信じてくれるなんて思ってもみなかったので、とても嬉しかった。
フィオナ様には悪いことをしてしまったけれど……。
それでも、周囲の視線から助け出すように連れて行かれた中庭で、初めて会った日に君を好きになったと言われて、ああ、こちらを選んでよかったと思ってしまった。
「でも、よかったんですか? お嬢様。婚約解消するつもりだったんでしょう?」
ローレッタは大きな目をぱちくりさせながら尋ねてきた。う、と言葉に詰まる。そうだ。計画ではアデル様から婚約解消を言い渡してもらうはずだったのに、つい浮かれてしまった。まったく情けない。
「……いいのよ。方法はいくらでもあるんだから」
「私はあそこでフィオナ様の言うことを認めて謝っちゃったほうがよかったと思うんですけどねぇ。そっちのほうが思い通りに進んだんじゃないですか?」
「だってアデル様がかばってくれたんですもの! すがりたくなっちゃうじゃない!」
「お嬢様、本当にアデルバート様のこと好きですよねぇ……」
ローレッタが頬に手を当てて、駄々をこねる子供を見守るような口調で言った。生意気なメイドだ。
「ローレッタ、うるさいわよ。さっさと次の支度にかかりなさい」
「はぁい。お任せをー」
ローレッタは片手を上げると、元気に返事をする。そうして扉を開けて出て行った。
私は彼女が階段を駆け上がる音を聞きながら、窓の外に目を凝らす。窓から見える景色はいつも変わらない。
「……大丈夫よ。私は絶対成功させるわ」
左手の中指で鈍く光る銀色の指輪を撫でながら、そっと呟いた。