1.婚約者の噂
「ねぇねぇ、リディアお嬢様! アデルバート殿下のお噂ご存知でらっしゃる? 殿下と男爵令嬢のフィオナ様、お付き合いなさってるんじゃないかって噂が流れてるんですよ」
「……は?」
部屋に掃除をしにやって来た私の専属メイドは、仕事もそこそこに三つ編みを揺らしながらまくし立て始めた。
私は彼女の言葉にぽかんとした顔を返すことしかできない。
「何よそれ。一体誰から聞いたの?」
「使用人仲間たちからですよぉ。リディア様の同級生の方々のおうちで働くメイドや下男たちはみんな言ってます。使用人たちに知れ渡っているくらいだから、学園の生徒たちの間ではもっと知れ渡っているんじゃないかな」
「……あなた、本当に遠慮がないのね」
私は手に持っていた本をベッドサイドのテーブルの上に置き、溜め息を吐く。このメイドは気遣いというものを知らないのだ。
「お嬢様の耳には入ってきませんでした?」
「あなた以外に私にそんな話を聞かせる人間がいると思う?」
「えへへ、すみません」
じろりと睨んで言ったら、私のメイドは特に申し訳ないとも思っていなさそうな顔で謝った。
「でもアデルバート様、何考えているんでしょうね。アデルバート様はリディア様の婚約者だっていうのに!」
彼女は目をぱっちり開いて、大げさな仕草で言った。私は思わずスカートをぎゅっと握りしめる。
アデルバート殿下はこの国の王太子であり、私……リディア・クロフォードの婚約者だ。
我がクロフォード公爵家は強い魔力を持つ血統で、代々その魔力を使って国の防衛に携わってきた。
当主であるお父様は魔法防衛省の大臣も務めており、必要であれば戦地にも赴く。跡取りであるお兄様もまだ学生でありながら、すでに魔法防衛省で活躍している。
クロフォード公爵家は我が国で重要な立場におり、王家からしても関係を深めておきたい家なのだ。
第一王子とクロフォード公爵家の娘の婚約は、当然のこととして世間に受け入れられた。
王太子アデルバートと公爵令嬢リディア。同い年の二人の婚約はうまくいくように思われていた。実際、最初の頃はうまくいっていた。
しかし、アデルバート殿下は年を経るごとに婚約者に冷たくなっていく。
「アデル様はどうして冷たくなってしまわれたのかしら」
「お嬢様が一番よくわかってるんじゃないですか? リディア様は『わがままで高慢で、人の気持ちがわからない人』ですもの。正義感の強いアデルバート様はそんな人はお嫌いでしょう」
「主人に向かってひどい口を聞くのね」
思わず呆れ顔で言った。
しかし、この失礼なメイドばかりがそう言っているのではない。
クロフォード公爵家の娘を表立って批判する者はいないが、陰では多くの者が「リディア・クロフォードは嫌な女だ」「わがままで高慢で、アデルバート殿下にふさわしくない」と批判しているのを知っている。
学園の廊下を歩いているときに、こそこそと悪口を言う声が聞こえてきて気まずい思いをしたこともある。
私は幼い頃からわがままなんて言った記憶がないし(何しろ公爵家の指導は厳しいのだ)、噂話で囁かれていたような悪事を働いたことなど一度もないというのに。