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第5話:一触即発

 彼女の魅力的な特徴は他にもある。

 腰まで届く黒髪は美しく濡羽色(ぬればいろ)で、さらりと流れる様はさぞ心地良い手触りなのだろう。

 わずかに開かれた瞼の下から覗かせている、紫色の瞳は人外的な妖艶さと神秘さを(かも)し出している。

 極めつけは、女子生徒がその身に宿している獣の要素。

 鹿を連想させる双角が天に向かって伸びていて、後ろではびっしりと青く煌めく鱗に覆われた尻尾がゆらゆらと動いていた。

 雷志は、目の前にやってきた女子生徒の獣を知っている。

 知っている、というだけで目にするのは今回が初めてとなる。



(マジかよ……この世界には、そんなのもいるのか!)



 雷志を驚愕させるのは、その獣が概念こそあれど現実世界では実在していない存在であるからに他ならない。


 龍……西洋の場合、火を司る悪の権化として扱われているのに対して、東洋における龍は水を司り、すべての獣の頂点に立つ神聖なる霊獣として人々から崇められている。

 雷志はこの世界に存在するケモノビトは皆、現存する獣ばかりだと思っていた。

 覚醒を果たしてからまだ数日しか経過していないが、今日までに目にしたケモノビトはどれもこれも彼がよく知っている動物ばかりだったからに他ならない。

 犬や猫、鳥……どれを取っても馴染み深い、町をちょっと歩けばすぐに見掛けられる動物ばかり。

 だからこそ、幻獣の存在は雷志に強烈な衝撃を与えた。



(おいおい、この世界には龍までいるっていうのかよ……!)



 魂が高揚する。抑えられない胸の高鳴りは、自然と頬を緩ませる。

 なにせあの龍がいるのだ。

 本来なら決してお目に掛かれない、万が一その機会(チャンス)が設けられていたとしても邪な気持ちを抱いている人間にはその御膳に立つことさえも許されない。そういう意味だと祓御雷志は健全で純粋な男、とはお世辞にも言えない。

 そのことを誰よりも理解しているのは他でもない、自分自身であるだけに雷志は内心で自嘲気味に笑うしかない。

 やがて、雷志は申し訳なさを抱くようになった。

 本当に自分のような奴が龍と対面しても許されるものなのだろうか、と。

 龍は神聖なる霊獣だ。

 資格がない者は早々に踵を返して立ち去るべきだ。

 そうすることがきっと正しいのに、この機会を逃してしまうのももったいないと人間の浅ましさに、雷志は引き留められている。


 美少女で龍……この二つの要素が合わさっているものに外れなんてありえない。

 見事なまでに趣味嗜好を捉えている少女から雷志は目が離せなかった。

 そんな彼を、妬まし気に眺めている者がすぐ近くにいることに雷志は全然気付いていない。



「……わざわざこのクラスにいったい何の用でしょうか、竜崎先輩」

「少なくとも貴女には用はありませんよ。それと相変わらず貴女は目上の相手に対する態度がなっていませんね、貴津祢さん」



 疎まし気な表情(かお)をした可梨菜に、食って掛かられた少女は平然とした態度をもって冷静に返す。

 二人のやり取りをしばらく眺めていて、仲がいいとは言い難い雰囲気に徐々に教室の空気が支配されつつあるのを嫌でも感じさせられる。

 またか、と周りから声が挙がると共に巻き込まれまいと教室から逃げ出す様子から、今回のように両者が激突するのは初めてではないらしい。

 そう悟った雷志は皆より遅れて教室から出た。

 賑やかだった昼休みが瞬く間に殺伐とした空気にがらりと変わってしまい、その元凶である二人は自分達だけが残されているにも関わらずまるで気にしようともしない。

 机一つを挟んで、ただ黙したまま睨み合っている二人がいつ殴り合いを初めてもおかしくはない、この一触即発の事態に雷志はすぐさま行動に出た。



「なんで俺がこんなことを……!」



 そんな愚痴が自然ともれてしまう雷志だったが、かと言ってあのまま二人を放置しておくのも気が引ける。

 日常茶飯事な光景として、もはやこの学校に深く根付いていようとも、女が暴力を振るい合う姿は見ていて心地良いものではない。

 それが女性ばかりであり、男女の価値観や貞操観念が歪に逆転している異世界であろうとも。



「ねぇ、あなたが今日編入してきたっていう古代人でしょ? 私達のクラスに来ない? そうしたら絶対に将来を困らせないわ」

「間に合っているから結構で」

「私の男にならない? 君にはその資格があるわ。一生味わえないような愛情をベッドの上で注いであげるわよ?」

「その誘いで本気で男を落とせるって思っているのなら、もう少し勉強した方がいいと思うぞ俺は」

「じゃあシンプルイズベストってことでセック――」

「お前はドストレートすぎるんだよ!」



 雷志は職員室を目指した。道中、何人もの女子生徒が彼に声を掛ける。

 無防備を晒している雷志は、彼女らにすればネギを背負ったカモに等しい――本気でそう思っているのなら、誤認するのも程がある。

 どれだけ着飾った言葉を並べようとも、要約すれば性交渉ばかりで下心がこれっぽっちも隠せていない。

 そして断られたことに大袈裟なぐらい衝撃を受けているのにも、雷志はツッコミを入れる気すらもう起きなかった。

 そうこうしている内に――



「どうしたの雷志くん!」

「げっ……」



 今一番会いたくない相手との遭遇に、雷志は嫌悪感をつい表情(かお)にして出してしまった。

 職員室はすぐそこにあるのだから、会う確率が普段よりもあるのは致し方ない、が登校してからずっとセクハラをしてきた相手に好感度が上がるわけもなく。

 担任はとても悲しそうな瞳で彼を見やるが、雷志は嫌悪感をこれでもかと示した表情(かお)を変えることはなかった。



「いったいどうしてそんな怖い顔をするの? もしかして、イジめられたの!?」

「ご心配なく、みんな友好的でこっちから話し掛けなくても向こうからじゃんじゃん話し掛けてくれましたよ」

「それじゃあどうして……!」

「……とりあえず俺は職員室に用があるんで、これで」

「待って雷志くん! 何か悩みを抱えているならこの私に言って! だって私は君の担任だもの」

「お気持ちだけで結構です」

「駄目よ! 担任なのに今の君を見過ごせないわ!」

「いや本当に大丈夫ですから……って、ホラそれ!」

「え?」



 何を指摘されているのかわからない、そんな風に言いたげなきょとんとした顔をしている担任の手は、雷志の尻に回されていた。

 それだけに留まらず、さわさわといやらしい手付きで撫でまわしていく。

 公衆面前、他の生徒や教師が見ている前でなんの罪悪感も抵抗感もなく、寧ろこの状況を愉悦としている担任を思わずぶん殴りそうになった己を、雷志は辛うじて残された理性をもって制した。



(女を殴るのはご法度だって言うのはわかる。でも……!)



 やっぱりぶん殴ってやりたい。

 握り拳を戦慄(わなな)かせた雷志は、渋々とエルトルージェ・ヴォーダンに訳を話すことにした。



「――、というわけでこの二人が今にも殴り合いをしそうなのでなんとかしてください」



 これで一先ずは、大惨事は免れただろう。

 大したことはしていないのに、心なしか大きな仕事を終えた気分に満たされた雷志は、やれやれと小さな溜息をもらす。

 教室は次の授業まで戻れそうにない、が昼休みもそれほど時間は残されていない。

 約十五分という中途半端なこの時間を如何にして有意義なものにするか、あれこれと考えていた矢先――



「またあの二人なのね? まったくもう、毎度毎度飽きないんだから……。いい雷志くん、あの二人は放っておいたら勝手に喧嘩は止めるけど、近くにいたら危ないから近寄っちゃだめよ?」

「……は?」



 とんでもない台詞に、間の抜けた声をもらしてしまう。

 エルトルージェが何故か頬をほんのりと赤らめて小動物を愛でるような優しい眼差しを向けてくるが、疑問に満ちた雷志にはなんの感慨も湧かない。

 およそ教師が吐くものとは思えぬ台詞を、この女教師はあっけからんと口にした。

 それだけあの二人のやり取りが、この学校においては日常茶飯事な光景として根付いてしまっているからだろう。

 だからとなんの対処もせずに放置しておく学校のやり方に雷志はどうしても容認できない。



「ちょ、ちょっと待ってください! 本当に放置しておいていいんですか!?」

「まぁ、普通はそう思うわよね。私や他の教師達も昔は頑張っていたのよ? でも、どれだけ止めたってあの二人が喧嘩をするのをやめなかった。逆に止めに入った生徒や教師が怪我しちゃって……」

「そ、そんなことが……」

「でも、二人は喧嘩をする時は周りには絶対に迷惑を掛けたりはしない。暗黙のルールって言うのかしら、とにかくこっちから関わろうとしない限りは無害だから、そこは安心して雷志くん」

「は、はぁ……」

「もし不安なら先生が守ってあげる。さぁ今すぐこの胸に飛び込んできなさい優しく撫でてあげるから! さぁ!」

「いや結構です。それじゃあ俺はこれで失礼します」

「そんな冷たくしないでもっと仲良くしましょう雷志くん! 君と私ならきっとうまくやっていけるわ!」

「そうですかそれじゃあ」



 後ろではまだ性欲を拗らせた女教師が卑猥な言葉を連発しているが、雷志は振り返ることなくその場を後にする。

 これ以上言及したところで、学校全体が彼女達を止める意志がない。

 ならばもう、自分にできることは一つもなかった。

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