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第2話:あべこべな洗礼

 入って早々に、雷志は自分が嫌な思いをするとは考えてすらいなかった。

 いや、そうなるとまったく考えていなかったわけではなかった彼だが、あまりにも露骨すぎると態度にも出してしまう。



「はぁ……はぁ……どうかしたの? なんだか顔色が優れないようだけど」

「いえお気になさらず後近いです一メートルぐらい離れてくださいソーシャルディスタンスでお願いします」

「もう、君はとても貴重な存在ってことを認知した方がいいわよ」

「それでしたらさっきからベタベタと尻触ったりするのやめてもらっていいですか? ぶっちゃけますと手付きが気持ち悪いです」



 教室までの案内役が、雷志が編入するクラスの担任――エルトルージェ・ヴォーダン。担当科目は体育で、空手部の顧問も務めている。彼女自身が黒帯の有段者で、その実力は全国で連続一位の強者である。

 実は言うと、雷志は最初の邂逅で彼女に心奪われていた。

 切っ掛けは、エルトルージェ自身に宿る他にはない神秘的な雰囲気。

 白銀の煌めきは月のように冷たくも神々しく、(なび)く様は天の川を彷彿とさせる。金色の瞳は人外的で不気味さがあるのに美しい、そんな妖艶な輝きに惹かれていたのに。

 学校について早々に、雷志はエルトルージェからセクハラを受けていた。

 男性はとても貴重だから……一教師として君を守る義務が私達にはある――そう口にした時の彼女の言葉は紛れもなく、真実だと雷志は感じた。

 不安ばかりしかない自分に心強い味方ができた……つい数分前の自分を殴ってやりたい衝動が雷志の胸中では沸々と湧き上がっていた。

 雷志は現在、自分の教室へと向かっている。

 その案内役を務めているのが彼女であり、担任からずっと尻を撫でまわされている事態にどうしたものかと頭を酷く悩ませる。



「はぁ……はぁ……くっ! 君のお尻はなんて魅力的なお尻なの! 触っちゃいたいくらいかわいい!」

「そういうのは心の中だけで留めておくものですよ先生。後現在進行形で触ってるくせに何を言ってるんですか?」

「なっ……私の考えていることがわかるなんて!? も、もしかして雷志くんは――」

「めちゃくちゃ声に出してますから」

「考えてることがわかっちゃうぐらい私と相性がいいってことなの!? 今すぐ退学して私と結婚しましょうその方が絶対にいいわ!」

「駄目だこの教師」



 教師が生徒にセクハラをする、なんてものはエロ漫画だけの話で少なくともかつて通っていた学校では一度として恥ずかしい不祥事は起きていなかった。

 そのために実際に目の当たりにする……どころか被害者になるとは夢にも思っていなかっただけに、裏切られた気持ちが途方もなく押し寄せてくる。



(やっぱり他の学校にしてもらった方がいいかな……いやでも――)



 そう思ったものの、偏差値も高くて生徒達も品行方正という理由から案内されてこの有様なのだ。

 結局どこにいっても同じ目に遭うだろうし、最悪それ以上に仕打ちを受けるかもしれない。

 つまり、この現実を受け入れる以外の選択肢を雷志は与えられないと理解して、深い溜息をもらした。

 つくづく、どうして自分はこんな訳の分からない世界で目を覚ましてしまったのかと雷志は空を仰いだ。

 彼の心情を嘲笑っているかのように、空は清々しいぐらい青かった。

 そうこうしている内に――



「はい着いたわよ。それじゃあまずは先生が皆に紹介するから、その後に入ってきて」

「……わかりました」



 結局最後の最後まで尻を揉みしだかれた雷志は、げんなりとした表情(かお)で廊下で待つことにした。

 防音対策が施されているのか、廊下側にある窓もしっかりと閉じられてしまっては中の音が殆ど聞こえない――そんな考えを一瞬にしてかき消すほどの、耳を(つんざ)く歓声が外までもれてきた。



「この反応……やっぱり、そうなんだよな」



 たかが男子生徒が一人きたぐらいで大袈裟な、などという考えが誤りだというのは、目を覚ました病院で痛いほど雷志は経験してきている。

 この世界の男女比率に著しい偏りが見られるのは、今に始まった話ではない。

 最初こそ病院で受けたこの説明を受け入れられなかった雷志も、視界に入るのが女性ばかりである状況と、看病だの世話だのと耳触りのよい言葉を並べておきながらべたべたと不必要に身体を触られたら嫌でも信じるしかなかった。



(この先……俺はどうなるんだろう)



 不安の渦から抜け出せれない現状に雷志は深い溜息を吐いた。

 不意に、ぞくりと全身の肌が粟立った。

 得体の知れない、異様な感覚が胸中で酷くざわつく。雷志はこの感覚を知っていた――これは、殺気だ。

 学校という場所では不相応な気配を辿れば、それは担任が入っていった教室……その隣から。

 どうして、と彼が疑問を抱くよりも先にだんだんと殺気が濃くなりつつあり、このままこの場に留まることは危険であると判断した雷志は咄嗟に近くの物陰に身を潜めた。


 雷志が身を潜めてから、すぐ――殺気がついに形となって表れた。


「ちょっとうるさいですよA組!」

「自分らのクラスに編入されるからって調子に乗ってるんじゃないわよ!」

 塞き止められていた膨大な水が、ダムを破って勢いよく溢れ出るが如く。大量の女子生徒が一斉に、教室に雪崩れ込んでいった。

「あ、危なかった……」



 後少し、隠れるのが遅れていれば間違いなく飲み込まれていた。

 打ち身だけでは、きっと済まされていなかったに違いない。

 男子が極端に少なくて結婚願望……もとい、性行為の確保に余念がない彼女らが、自分という餌を見つけて素直に逃がしてくれるとはどうも思えない。

 教職についている大人であれなのだから、生徒だともっと手に負えない。

 そのような考えに至ってしまったから、生徒達が各々教室へ戻っていった後でも雷志はその場から動けずにいた。



(怖いって感覚……久しぶりに味わったかもしれない)



 自嘲気味に小さく笑うと、雷志はすっとその場から身を出した。

 隠れていたって何も解決されない。ここまで来てしまったのなら後戻りはできない。

 雷志は教室の前に立った。

 少しして――



「え~……それじゃあ紹介するわね。今日からこのクラスの一員となる男子生徒にして、卒業後私と結婚する祓御雷志(ふつみらいし)くんよ! 入ってきていいわよ~」



 いよいよ訪れたその時に、深呼吸を一度して雷志は教室の扉をゆっくりと開けた。

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