第21話:やる時はやりますわ
雷志の狙いは、エルトルージェの胸部にあった。
決してセクハラを目的としたわけではなく、彼女が女性であることを考慮した結果である。
まず顔面を狙うのはご法度だ、いくら実力者であろうとも万が一傷一つでも付けてしまったなら、エルトルージェの今後の人生を大きく左右させてしまいかねない。
腹部はどうか――もちろん禁じ手だ。
子供を産むという大事な役目を果たせるのは女性だけで、その機能に著しい損傷を与えるような真似など、血の通っていない外道でもない限り実行しようとすら考えない。
結論から言えば、どこも殴れる場所がない。
しかし授業を受けている以上は疎かにできない雷志は、できる限りの加減を施したエルトルージェの胸に拳を放った。
エルトルージェであったなら、こんな威力のない攻撃なんて簡単にいなせるだろうと、そう信じて……。
「いい? こうやって襲われた場合は――」
案の定、雷志の拳打はエルトルージェに簡単に捌かれてしまう。
一寸の無駄もない、防御から攻撃へと移る一連の動作はさながら滞ることを知らない流水のようで眼前すれすれで停止している拳を雷志はただただ見惚れていた。
同時にこれが実戦であった場合を連想してしまって、彼はその顔を見る見るうちに青ざめさせていく。
まっすぐ突き出されていたらまず顔面は大きく陥没していた、最悪即死も考えられる。
「はぁ……はぁ……雷志くんは男の子なのに筋がいいね。アドバイスとしてだけどさっきの動きだともっとこう、身体を前に出して――」
アドバイスと称してべたべたと身体をいやらしい手付きで触るエルトルージェに非難の声と冷ややかな眼差しが集中した。
教師という役職を乱用して好き放題している、職権乱用罪を冒しているのは一目瞭然で特に男子生徒からの非難は女子生徒よりも強い。
だが、当の本人である雷志はエルトルージェの横行に異を唱えない。
何故逆らわないのかという声がちらほらと上がって生徒達を困惑させるが、彼はエルトルージェに触れられながらその場で静かに佇むのみ。
「…………」
雷志は胸の高鳴りに一人打ち震えていた。
雷志はこれでもかなりの場数を踏んでいると自他共に自負している。
物珍しい苗字をしているという理由から様々な因縁をつける者達は不良に始まり、時には名のある武術家から陰陽師を自称するいかにも胡散臭そうな輩などなど。
エルトルージェ・ヴォーダンが、これまで喧嘩してきたどの相手よりも強い。
まだ戦っていない可梨菜らよりも凌駕するとその身をもって雷志は理解した。
ただの変態という認識は、たった今この時点をもって雷志は改めた。
エルトルージェは変態にして強い、即ち余計に質が悪い。
尻をもみだされた辺りからようやく雷志は我へと返り、エルトルージェを突き飛ばすようにして距離を取った。
名残惜しそうにわきわきと蠢かせている指の動きが実にいやらしく、頬擦りから匂いを嗅ぎ始めた時点で雷志の口から短い悲鳴が上がった。
やはりこの教師から教えてもらうことなんて何もない。
白目を剥いて恍惚とした表情を浮かべるエルトルージェを前に雷志はそっと後退り――
「雷志くん、次はもっと強くやってきてもいいからね? これは授業だから、先生もちゃんと教えなきゃいけないから」
「……くそ」
鋭い眼光を当てられて、逃走を阻止されてしまった雷志は舌打ちと共にもう一度拳を構えた。
(そこまで言うんだったら……)
もう遠慮はしない。顔面及び腹部への攻撃を固く自らに禁じつつ、雷志は再度エルトルージェへと立ち向かう。
彼女の目が一瞬にして大きく見開かれたのは、数メートルも離れていた雷志がもう彼女の目の前まで肉薄してきているから。
どんと力強い一歩はさながら大砲にも負けない轟音を鳴らした彼の右拳が突き出される。
狙いは、さっきと一緒。ただ速度は先とは段違いである。
女性は殴らない――もう既に一人思いっきり殴り飛ばしてしまっているけどあれはノーカンで――その誓いを破った一切の遠慮も配慮も捨てた拳打には当然スピードとパワーが乗る。
敵手をただ打ち倒す。
そのつもりで打ち込んだ雷志の拳がエルトルージェに届くことはなかった。
素人相手であったなら彼の一撃でこの戦いに決着が付けられていたが、相手は武道に精通した実力者だ。喧嘩ではなく実戦で勝利するための術理を修めている。
(そう簡単には当てさせてくれないか……)
エルトルージェに再び軽々といなされてしまった雷志だったが、彼の顔には不敵な笑みが浮かべられている。
「……ッ!」
何故ならカウンターをするのも忘れたエルトルージェが驚愕の感情をその顔に滲ませているから。
他の男子生徒と同じように祓御雷志は簡単に篭絡できないと思い知らせたと実感した雷志は満足していた。




