第0-2話:恋する乙女
季節は春……開放した窓から入り込む微風は優しい温もりを桜の花びらと一緒に運んでくる。
少女が席に着いているその場所は窓際にあり、美しく色鮮やかな桃色で彩られた町がよく見えた。
特等席だといっても過言ではないその場所から、ぼんやりとした面持ちで窓の向こうを見やる少女の口角が不意に、小さく釣り上がった。
少女は笑っていた。
その笑い方にかわいらしさなどは皆無で、擬音で表現するとすればニヤニヤが正確だろう。
そんなニヤついた表情をする彼女に、うわっ……、と若干引く姿勢を取っている者も決して少なくはなくて――
「ちょっとアンタは何そんな気持ち悪い顔してんのよ」
「アダッ!」
少女の友人が鋭い手刀打ちを彼女へと見舞った。
頭頂部を正確に捉えた一撃にしばらくもだえ苦しんだ後、少女は涙目になりながら実行犯をキッと睨みつける。
「ちょっと! いきなり何するんだよかおるん!」
「それはこっちの台詞だってばカリカリ」
「そのあだ名やめてって言ってるでしょ! なんかボクが常にカリカリしてるみたいじゃない!」
「いやしてるじゃん。現在進行形で」
「うっ……うっさいな! それにボクはニヤついてなんかいないやい!」
「……カリカリがニヤニヤしてたって思う人手ぇ上げて~」
友人の突然の呼び掛けに、その場にいた生徒達が次々と賛同の意を込めて手を高らかに上げた。
満場一致という結果を前には少女――貴津祢可梨菜も黙るしかない。
当然ながら本人はこの結果に納得していないので、怒りで真っ赤にした顔で無言の抗議は続けた。
「……フンッ! そういう君だって浮かれてるくせによく言うよ」
「まぁ、ね。実際のところ、カリカリだけじゃなくてこのクラスのみんな……ううん、学校全体が浮かれてるって言ってもいいわね」
「それにしても……はぁ~どんな人なのかなぁ」
可梨菜は窓枠に肘をついてぼんやりと空を眺める。頬をほんのりと染めて翡翠色の瞳をきらきらと輝かせている様は、正に恋する乙女そのもの。
貴津祢可梨菜――【聖ペルブランティノス学園】に通う高校二年生。交際経験なし、彼氏絶賛募集中――現在、恋愛真っ只中である。
可梨菜達が通っている学校に、ある通達があった――一人の男子生徒をそちらに編入させる。
男子生徒がやってくる。昨日全校集会でそう告げられた生徒達の盛り上がりときたら、まるでお祭り騒ぎだったと思い出しては、少々はしゃぎすぎたことを可梨菜は反省する。
それほどまでに、男子生徒の編入は彼女らにとっては一大イベントに他ならなかった。
古来より、この世界の男女比率には大きな歪みがあった。
科学が発展した現代になっても未だ謎は解明されておらず、また打開策も見つかっていない。
女性の方が圧倒的にこの世界は多い、この事実は何百年という歳月が経っても覆せていないが、とにもかくにも番となる男性がいなければ子供を産むことができない。
子供とは、未来を担う希望だ。
その希望が失われてしまったら国どころか世界そのものが滅んでしまう。
この恐るべき結末を介するべく、男性は昔から多くの女性の番となり子孫繁栄に貢献することを強要されてきた――その考えに見直しが入ったのは、実はつい最近になってからのこと。
以前から問題視されていた重婚制度が現在、改正されようとしている。
女性が多くいる世界にとって、これは由々しき事態であった。
男性の最も多い死亡率は腹上死である。
たった一度の行為でも相当な体力を消耗するのに、十人をも超える相手と休憩なしで行為に及べばこのような結末となるのは当然と言えよう。
男性はとても貴重だ。
だからこそこのような痛ましい事故を起こしてはならないという政府の考えと、それまで黙していた男性陣らからの猛抗議の末、これまで根付いていた常識が崩れつつある。
可梨菜はまだ結婚できる年齢ではない。
しかし、それでも将来について考えているし、結婚できる可能性が減るかもしれないという恐れに焦燥感がないわけでもなかった。
(でも、まだチャンスがないわけじゃない!)
本日付けでこのクラスの一員となる男子編入生が、数多くある学校の中から【聖ペルブランティノス学園】が選ばれたのにはそれなりの理由がある。
古くから運営している歴史があり、そして偏差値が高いのはもちろんだが、何よりも重要視されるのが品性……他所の学校では、男欲しさにあれこれと悪さをしているという悪い話が多々上がる中で、品行方正な生徒ばかりで構成されているのが【聖ペルブランティノス学園】が誇る最大の強みと言ってもいい。
実際は――
「あ~……なんかムラムラしてきたなぁ」
「なんで未成年者も風俗に行くのオッケーにしてくれないんだろ」
「……エロ本でも漁りにいく?」
「また例の河川敷にお宝探しにでも行きますか!」
教師に隠れて、なかなかな下ネタな話題ばかりで盛り上がっていたりする。
今回は表立って馬鹿をしなかったからこそ周囲から得られた信頼と地位あっての恩恵と捉えてまず間違いない。
そしてその権利を誰よりも得られるのは自分を置いて他にいないと可梨菜は信じて疑っていない。
「ボクはね、かおるん……今日くるっていう編入生を絶対、絶っっっっ対にボクの男にしてみせるよ!」
「いやぁ~……それは無理なんじゃない?」
「な、なんでさ! ボクほどの女なら男の子の一人や二人あっという間に……!」
「いや逆に聞くけどさ、その自信はどこからくるわけ?」
「そ、それは……!」
「確かこないだのテストの成績、ギリギリ赤点免れたって感じじゃん?」
「うっ!」
「まぁカリカリもここに入れるぐらいの頭はあるのはまず間違いないけどさぁ……体育だけが得意ってだけじゃまず振り向いてもらえないどころか、声すら掛けてもらえないかもよ?」
「がはぁっ!」
幼馴染の容赦ない言葉に、可梨菜はがくりと膝から崩れ落ちた。
「――、ところで話は変わるんだけどさ」
不意に、幼馴染――浅田薫子が話題をすり替えてきた。
見たくもない現実を直視させられてすっかり意気消沈してしまった彼女にはもはやすべてがどうでもよいことに等しかったが、そこは幼馴染である。
幼少期からずっと付き合いがある彼女の言葉を無視するほど薄情ではないと、可梨菜は薫子の言葉に耳を傾けることにした――もしもこれで、実は男とヤりましたなどと宣おうものなら一発ぶん殴ってやるぐらいには怒っているが。
「……何さ?」
「今月で三十一人目だってさ」
「……何が?」
「え……? やだ、ちょっとカリカリそれマジで言ってる? なんのことかマジでわかってないの?」
「べ、別にそういう意味じゃなくて……」
「じゃあ私が何を言おうとしてるかもちろんわかってるわよね?」
「と、当然だよ! ボクが知らないはずないじゃん!」
完全に墓穴を掘った。
これ以上薫子に馬鹿にされたくないという、幼稚すぎる理由からつい胸を張ってしまった己に、可梨菜は酷く叱責するが、時既に遅し。
知っていると答えたものだから、当然――
「じゃあカリカリに問題です。私は今なんの話をしようとしていたでしょうか?」
「え、えっとだからその、ほらアレよアレ……確か、えっと……」
こうなるわけである。
突然のクイズに可梨菜はしどろもどろにな答弁しかできない。
かといってこのまま濁し続けようものなら、それは答えられないも同じ。
知ったかぶりをした女と馬鹿にされるのは火を見るよりも明らかだったから、可梨菜は内心で滝のような汗を流しながらも必死に思考を巡らせた。
(だ、大丈夫。大丈夫よ可梨菜、ボクならきっと答えられる!)
三十一人と数字を頼りに、可梨菜は身近にある者から連想していく。
一クラスの生徒数、【聖ペルブランティノス学園】に在学している男子生徒の数、処女を卒業している女子生徒……などなど。
あらゆる方面から考察してみたものの、どれもこれも違う。
無言で、しかしニヤついた顔で静観に徹している薫子の様子から、可梨菜は察してしまう――もうとっくに自分がわかっていないという、認めたくない事実を。
「……わかったよ! 降参だよ降参! これでいいでしょ!」
可梨菜は両手を挙げて敗北を認めた。
必死に粘ろうとは努力してみたものの、やはりどう足掻いても回答が出ず。
不正解を出して余計に己の無知さを晒してしまうぐらいだったら、いっそのこと素直に白状した方がまだ傷は浅い……はずだ。
可梨菜は苦渋の思いで、そう判断した。
結果、予想通り人を小馬鹿にするような態度を取ったので、すかさず可梨菜は薫子の頭に拳骨をお見舞いした。
「イッタ! ちょ、答えられなかったからって殴るのとかやめてよ!」
「ふん! 元は言えばかおるんがボクのことを馬鹿にしたからじゃないか! それに最初に手を出したのはそっちだよ!」
「くっ……ホントに馬鹿力なんだから!」
「何か言ったかな?」
「いや別に――はぁ、話は戻すとして。お勉強しないカリカリちゃんにこの優秀で親切でクラス一の人気者……――」
「優秀なのは認めるけど、後半は全部デタラメだよね。こないだ男子生徒に声掛けただけでそそくさと逃げられてたの、ボク見てたから」
「……今話題となっている例の事件ぐらいは、お馬鹿なカリカリでも知ってるでしょ?」
「一言多いよ――それぐらいなら、ボクだって知ってる」
「よかった。これで知らないって言われたら、もう救いようがないなって本気で思っちゃった」
「辛辣! ボクだってニュースぐらいは見るってば!」
「本当かなぁ……」
「本当だってば!」
いまいち信用していない幼馴染からの疑惑の眼差しに苛立ちを募らせつつ、可梨菜は意識を過去へと遡らせる。