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第7話:三つ巴

 あれだけぎらぎらと血走った眼でぎらつかせていた女子も、見事に勘違いを起こして気まずそうな表情を浮かべている。

 それが面白かったといえばそうであるし、騙したのは紛れもない事実であるので罪悪感がないわけでもない。

 雷志が二つの感情に苛まれながら、はていつになったら授業が始まるのだろうと不思議に思って、もう一度視線を上げた。



「……え?」



 黒板ではなく、大きくて柔らかな物体が顔全体を包んでいた。

 鼻腔をくすぐる甘い香りと、頭上ですすり泣く声に雷志が女教師に抱擁されていると気付くのに、実に十秒も費やしてしまった。

 その十秒間で――



「辛かったね雷志くん……大丈夫、先生がこれからずっと君を指導してあげるから! 身も心もばっちりアフターケアをしてあげるから安心して!」



 今は体育の授業でないにも関わらず、どこから聞きつけたのやら担任(エルトルージェ)の登場に雷志は目を丸くした。

 その頃には視界はエルトルージェの胸ばかりしか映していなくて、恐らくは故意であろうぐりぐりと押し付けられる度に様々な角度からやってくる柔らかさに、雷志は心地良さを感じていた。


 彼女を制したのは、ブレザーをちゃっかり羽織っている可梨菜だった。



「ちょっとエルトルージェ先生! 抜け駆けするとか教師としてどうなんですか!?」

「お黙りなさい小娘が! 貴女に男を満足させられるだけの魅力も経済力も■■■もないでしょう!?」

「昼間の学校で普通に下ネタ言う教師はきっと先生だけだと思います」

「雷志くん、私のことは気軽にエル先生って言ってくれていいのよ?」

「人話を聞いてください、いやマジで」

「先生でも譲れないものはあるんです」

「貴女と同じ気持ちなのが少々不愉快でもありますが、そのとおりですエルトルージェ先生。彼はこの私……竜崎恋(りゅうざきれん)と出逢った瞬間から夫になる運命なのですから。あぁ、一夫多妻制とはいいますが誰にも譲る気はありませんので、そのおつもりで」

「あれ? あの人って確か上級生だったような……」

「竜崎さん! 授業を抜け出すなんて何をしているんですか! 早く自分のクラスに戻りなさい!」

「あ、やっぱりそうだった」



 上級生も乱入してきて、もはや授業が続けられそうな雰囲気ではない。

 そうこうしている内にチャイムが虚しく鳴り響く。

 今回の最大の被害者は間違いなく、この時間を担っていた女教師だろう。

 がっくしと肩を下ろして、すぐに鬼の形相でエルトルージェの腕を掴んでずるずると引きずっていく辺り、相当お怒りだと察した雷志はこれから彼女の身に降りかかるであろう不幸に合掌した――エルトルージェが教室にどかどかと戻ってきたのは、彼女が連れ出されてからほんの数秒後のことだった。



(戻ってくるのかよ!? ……とりあえず――)



 さて、と雷志は視線をすぐに別の方に映す。

 教室に巻き起こった嵐はまだ消えていない。寧ろ勢いをより強くして吹き荒れている。

 貴津祢可梨菜、竜崎恋、エルトルージェ・ヴォーダン……三人のケモノビトを中心に空間がぐにゃりと歪に歪んでいる。

 原因は彼女より発せられる殺気だ。氷のように冷たくて、研ぎ澄まされた日本刀のように鋭利な気は直接触れてなくても押し潰されそうな錯覚を憶えさせる。

 現に、この室内に満ちた空気に耐えられなかった生徒達が次々に体調不良を訴えて、しまいには気絶してしまう始末である。

 雷志はまだ意識を保てていた。



(あの地獄を経験してきたおかげだな。じゃなかったら俺も今頃倒れてたぞ……)



 女子生徒は皆、精神面が極めて強い。多少は堪えているものの、殺伐とした空気に抗おうと試みている。

 耐えられなかったのは男子生徒ばかりだった。

 心優しく乙女チックな面を持ち合わせている彼らだと、耐えられずに卒倒してしまうのも頷ける。

 とりあえず放置はできまいと、雷志は倒れている生徒達の介抱に走った。

 その間、常に三人の動向への警戒も怠らない。

 今この瞬間に衝突してもなんらおかしくない状態だ。そうなってしまったら仲裁役がいる。

 本来その役目を担うはずだった教師も乱闘に加わってしまい、下手に頼れなくなってしまった。三人の争いの原因(タネ)は皮肉にも自分自身であり、彼女に頼ろうものならエルトルージェは喜んで雷志に協力する。

 そうなると残された二人はどうなるかというと、冷静を保てていられるはずがない。雷志が危惧する点はここにあった。

 喜んでよいものか、それとも嘆くべきか。どちらとも転がれない複雑な心境は否めないものの、可梨菜も恋も祓御雷志を手中に収めたいがために動いている。

 その相手が恋敵(ライバル)の元へ走ったとなれば、嫉妬の炎に油が注がれるのも等しい。

 エルトルージェだけではない。誰かに頼ったその時点で、新たな怒りの矛先をいたずらに増やして、より危険が高めてしまう。

 この事態を防ぐには、雷志がこの場を制止させなくてはいけない。



(本当にとんでもない世界だなここは!)



 意識が回復したその瞬間から、異質であるのを身をもって学んだつもりが改めて思い知らされた雷志は、一筋の冷や汗をつっ、と頬に伝わると、引き続き介抱に走る。



「よしっ、これで全員だな……!」

「ちょっと、エル先生までいるじゃん。これは教室が吹っ飛ぶかもしれないわね」

「え?」

「雷志くん、ここは危ないから離れた方がいいよ。ほとぼりが冷めるまで私のクラスに来たらいいわ」

「いいえ私のクラスよ! そのまま楽しいこと、一緒にしましょ?」

「いやどっちも結構だから。それに後一限授業が残ってるだろ……」



 この娘らは恐れを知らない天然なのか、はたまた命知らずか。

 チャンスを逃す手はないとばかりに、次々と雷志に誘惑の声が掛かるが彼は精密機械のように冷静かつ即答で断り続ける。

 既に何人もの下心満載な誘いを雷志は断ってきた。

 上手く隠せていたなら、那由他の可能性で承認していた未来もなくはなかったもしれない。

 もっと学んでほしい、げんなりしながら三十人目の卑猥(ひわい)すぎる誘いを断った――。



貴津祢(きつね)さん。いい加減雷志くんの着用していたそのブレザーを脱がないと……。男子生徒の物を着用するのは校則で固く禁じられているのは、この学校の生徒なら当然知ってるよね?」



 一見するととても穏やかな口調であるのに、その言霊には隠そうともしない憤怒と殺意で満たしたエルトルージェの言葉が耳に届けられる。



「エル先生、これは雷志がボクにってくれたものなんです。だから校則は関係ありません。というか、追いはぎから下着ドロボーはダメですけどこれは渡されたものですよ?」

「貴女が持っていることが問題なんですよ可梨菜さん。それはこの私が持つのが相応しい代物です。さぁ、早くこちらへ」

「竜崎さん? 何を言ってるのかな?」

「うっ……。これ早くしないとヤバいな」



 全員を教室の外まで運び出し、なんだどうしたと集まってきた野次馬らに生徒を雷志が託すまで、幸運にもまだ三人は罵声を浴びせるだけに留めて睨み合ったまま動こうとしない。


 いや、動けずにいる、が正確な表現だろう。


 曰く、真の達人とは相手と直接武を交えずとも力量を測れるという。

 創作界隈にも取り入れられているこの情報は実際にある話で、かく言う雷志も三人が殺気を露わにした時から既に力量を目の当たりにした。

 彼女達は、強い。それもとびっきり。

 過去、数多くの経験を雷志は積んできた。具体的な事例を挙げると、億劫になるほどの数と濃厚な質は、人間として生きている間では絶対に味わえないとさえ断言できる。

 そんな経験を持つ彼が容易に勝てる姿(みらい)が想像できなかったから、雷志は三人を強者として認識した。

 三人の実力は互角、そうでなくてはこの三すくみはできあがらない。

 誰かが動けば、忽ちその隙を狙ってどちらかが飛び掛かる。だから迂闊には動けない。

 三人が互いを睨み合ってから、早十分が経過しようとしていた。

 六限目を告げるチャイムが虚しく奏でられる。



「……とりあえず、二人はちゃんと授業を受けること。貴津祢さんは放課後そのブレザーをちゃんと雷志くんに返すこと。わかった?」

「……はい、エル先生」

「竜崎さんも、早く自分のクラスに戻って」

「……わかりました」



 授業に助けられた。

 殺気こそ消えていないものの、三人は各々の場所へと戻っていく。

 一先ず危機は去った、が結局は問題を先延ばしにしただけ。六限目が終われば再び彼女達は集うだろう。

 どうにかできないものか。うんうんと唸りながら思考を巡らせていた雷志の肩に、そっと優しく手が置かれる。

 エルトルージェが申し訳なさそうな、でもこのブレザーは本人でも渡したりなんかしない、と着用して絶対に脱がないと言わんばかりに片腕で襟の部分を握り締めている。



「ど、どうかしたのか?」

「……絶対に返さないからね」

「いや返さないのかよ」

「これはもうボクの宝物だから!」

「そんなのを宝物にしないでくれ……」



 雷志は大きな溜息を一つこぼした。

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