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第0-1話:奇跡の生還

 ふと目を開けると、真っ白な天井が真っ先に飛び込んできた。

 生活感が溢れる白さと、眩い照明に目が霞んで仕方がない。

 程なくして徐々に覚醒し始めた聴覚が周囲の音を拾い出した。

 会話の内容こそ、まだはっきりと聞き取れはできないもののがやがやとしていてとても騒がしい。


 どこかで祭りでもやっているのかもしれない。少年がそう思っていると、足元の方で音が鳴った。

 この時には既に聴覚は完全に機能していて、がらりという音の正体が扉の開閉音ということが瞬時に理解できた。

 誰かが自分の部屋にやってきたらしい。

 大方母親だろう、そう思って身体をのそりと起こした少年は目をこれでもかと大きく見開いた。

 彼の前にいるのは一人の女性だった。齢は二十代後半ぐらいだろう、潤いのある肌は若々しさを体現している。

 一点の穢れもない純白の上下で統一した姿格好は私服というにはどこか固い、どちらかと言えば制服のような印象を与える。


 少年は一瞬、何が起きているのかまったく状況を把握できずにいた。

 目の前にいるのは母親ではない、まったく見知らぬ女性だった。

 彼の家族構成に女性は母親しかおらず、それさえも異なるとなると晃が困惑を隠せないのも無理はなかった。

 そしてどういうわけか、相手もまた晃に対して酷く狼狽した様子を晒している。

 その真意が測れないからこそ、少年は更なる困惑を禁じ得なかった。

 とにかく、何か会話を切り出さなければ。

 何故このように思い立ったのか、晃はわからない。

 混乱して冷静さを失った思考が導き出した結果と言ってしまえばそれまでだが、少なくともこの時の少年はそれが最適な選択だと信じて疑わなかった。



「あ、あの……」

「た……」

「た?」

「大変です先生! 先生ェェェッ!!」

「あ、ちょっ……!」



 手を伸ばす晃だったが、その手が慌ただしく走り去っていった女性の背中に届くことはなかった。

 伸ばした手を戻すこともせず彼が呆然としていると、慌ただしい足音が遠くから少年の耳へと届けられた。

 先程の女性か、それにしては随分と数が多いような気がする。

 (いぶか)し気に扉を凝視していた少年の前に、足音の正体が勢いよくその姿を見せた。

 飛び出していった女性を先頭に、白衣を纏った女性達が少年のいる部屋へと駆け込むや否や、困惑している彼に機関銃(マシンガン)の如く言葉を絶え間なく投げかける。

 膨大な数の言葉が幾音にも重ねられて届けられた少年の顔は、実に険しい。

 目覚めてからまだ間もないことと、困惑しているのを差し引いたとしても、一人の人間が一度に拾える音には限度というものがある。


 俺は聖徳太子じゃないんだぞ……、と不満を胸中にもらしつつも、はて。

 少年は小首をひねった――この時、あれだけ騒がしくまくし立てていた女性陣らがほんのりと顔を赤らめたが、その理由を彼が知る由もなかった。



「あの、ここって……病院ですか?」



 よくよく見やれば、現在いる場所が病院であると裏付けられるものが周囲には腐るほどあった。

 脈拍を常に計測している精密機械、右腕に……いつの間にか挿入されていた針と管――管の先には透明水で満たした容器と繋がっている……俗に言う点滴と呼ばれる医療処置だ。

 ここまで状況を把握できたのであれば、彼女らが医療従事者と結びつけるのはそう難しいことではない。白衣や白の制服が何よりの証拠である。

 となると、今度はどうして自分が病院へいるのか……、と当然ながら少年はこの疑問と直面することとなる。

 何かしらの理由がなければ病院に自ら好き好んでいく輩は早々おるまい――いや、一人だけいた。

 一目惚れした看護婦(ナース)に逢いたいがために理由もなく来院を繰り返し、厳重注意を受けた愚かな友人の存在を少年は思い出して呆れ果てる。


 それはさておき。


 どうして病院にいるか、少年ははたと己を見やった。

 寝間着ではない、だがそれに等しいデザインをした青い衣装……入院着という代物だ。それを何故か自分が纏っていることに、今更ながら気付く。


 俺は入院していたのか……、とそう自らに問い掛けるも、入院する原因が何一つ少年は思い出せずにいた。

 なんとか振り絞った細心の記憶も、朝早くに家を出たというありふれた記憶もの。とても現状に繋げられそうな要因とはお世辞にも言えない。

 とにもかくにも、まずは情報がほしい。

 少年がすぐ近くにいた女医師に声を掛けようとした時、彼よりも先に向こうから質問を投げ掛けられた。



「……本当に目が覚めたのね」

「あの、俺はいったいどうしてここに……?」

「記憶が混濁しているわね……無理もないわ。だってあなたは発見されてから二年間もずっと眠り続けていたんだもの」

「に、二年間も……!?」



 あまりにも予想外な数字(じかん)に、少年は目を丸くした。

 彼にしてみれば目覚めてからまだ数分程度にしか時の流れを感じていない。

 浦島太郎の気持ちが、このような形で体感するとは誰が予想できよう。

 よもや自分が、そんな気持ちが少年の胸中で肥大化していく。

 二年……それは短くもあり、あまりにも長すぎる時間だった。



「……気を落とさないで。確かに二年間あなたはずっと意識不明だった、だけど最悪一生目が覚めなかった可能性の方がずっとあったの」

「…………」

「これから色々と大変でしょうけど、命を大事にして。生きている限り何度だってやり直せる……その権利は誰にでもあるんだから。もちろん、あなたにもね」



 唖然としている少年に、女医師がそっと声を掛ける。彼の心境を察してだろう、投げられる言葉はとても優しい。



「……そう、ですよね」



 女医師の言葉に、少年は静かに首肯した。

 二年という数字は確かに大きいかもしれない。だが生きている、この事実に比べればとてもちっぽけな数字ではないか。

 己の人生はまだこれから先ずっと続いていくのだ、悲観して立ち止まっている時間こそ無価値に等しい。

 まだ俺はやり直せる……、と自らにそう言い聞かせた少年はベッドからゆっくりと降りた。

 二年という月日をベッドの上ですごしてきた肉体だ、筋力の衰えは否めず日常生活に戻れるまでのリハビリが余儀なくされる――と、少なくとも病院としては考えていたであろう。

 だが、少年はしっかりと自分の足で立つばかりか、おぼつく様子もなく彼女らの前で歩いてみせた。

 驚く女医師達のどよめきを他所に、少年は改めて己の身体を見やった。



「……特に問題はなさそう、だな」



 しっかりと動いてくれる肉体を前に、自然と彼の口角が緩く釣り上がる。

 続けて傷跡などがないか、確認するべく少年は入院着に手を掛けた。

 胸元を大きくはだけさせれば、傷一つない肌がそこにある。

 目立った傷もなく、ほうっ、と安堵の息をもらしたのも束の間。

 悲鳴にも似た叫び声が病室に響き渡った。防音が施されているとは言えども、限度というものはあるし、そもそも扉は開封されたままだ。

 彼女らの叫び声は外にまで漏れ出し、道行く人々は何事かと怪訝な眼差しを一斉に向けてくる。

 患者やその家族ではなく、注意するべき立場にいる医師が迷惑行為をしてしまっては元も子もない。

 少年は困惑の感情(いろ)表情(かお)に示しながらも咎めんとした。

 だが、彼のそうした試みは彼女らの言霊によって阻まれる。



「ちょちょちょっ! あなたは自分が何をしているのかわかっているの!?」

「年頃の男の子が肌を晒すなんて目の保よ……いえ、みっともない!」

「もっと肌を見せなさ……じゃなくて隠しなさい!」

「前もそうだったのかしら! だとしたら合法的に……いやでも」



 途切れることもない言葉の濁流に飲み込まれてしまいそうになりながらも、少年は言われたとおりに従った――自分達からそうしろとのたまっておきながら、いざ実行に移すと名残惜しそうな反応に、少年はどうすればよかったのかと酷く頭を悩ませた。


 その時。



「うん?」



 奥に設けられている液晶テレビに、少年は意識を傾ける。

 音声は遠くて内容がはっきりと聞き取れない、が映像だけは鮮明に視界に届けられる。その内容に少年はある関心を持った。

 女医師達の制止を他所にテレビの方へと歩み寄る。近付いたことで鼓膜も拾った音を彼に一言一句伝える。



――続いてのニュースです。今日〇〇県□□市にて、二十代後半の男性が同じ会社に勤めている女性社員から性的脅迫を受けていたことがわかりました――



「……え?」



 少年は食い入るように、テレビを見つめ続ける。

 ……要約すると、女性が男性に対して性的なことを要求して逮捕されたということらしい。



「……はぁ?」



 自分なりにわかりやすくまとめても尚、まるで意味が理解できなかった少年は間の抜けた声を出した。



「いやいやいやいやいや、なんかおかしくないか?」



 少年がたまらずツッコミをテレビに入れる間にも、テレビでは次々とニュースが報道されていく。



――本日の午後六時頃、二十六歳の無職の女性が痴漢の容疑で逮捕されました――


――最近痴漢や強姦が多発しています。男性の皆さんは夜遅く、一人で出歩くなどは決して――


――それでは皆様お待ちかね! 今話題沸騰中のレオタード隊の入場だぁぁぁぁっ!――



 報道されている途中で、少年は思わず卒倒しそうになった。

 一見すると普段と変わらない、至って普通なニュースだろう――レオタード姿の男性がたくさん出てきて、きゃあきゃあと黄色い声を上げて喜んでいる女性陣を見せつけられては、彼らに……いや、この世界そのものに狂気を疑わざるを得なかった。

 何かがおかしい。少年にそう思わせるには充分すぎて、呆然と立ち尽くしていた彼の背後からいくつもの手が忍び寄る。

 肩を掴まれるまで気付かなかった少年は、はっと我に返るや否や大きく飛び退いた。



「ななな、なんですか一体……!?」

「とりあえず、これから精密検査をするからこっちにきてもらうわよ。なんだかんだ言ってもあなたはずっと意識不明だったのよ? 安静にしてもらわないと医者としても困るわ」

「…………」

「どうかしたの?」



 不思議そうに小首をひねっている女医が、彼の心情を知る由もなし。

 困惑の極みに達しようとしていた少年の視界を占めているのは女性ばかり――厳密には、女性しか見当たらなかった。

 女だけしかいない空間に、たった男が一人だけという状況に少年は酷く狼狽する。

 このまま目を覚まさなかったら……、いっそのことさっきで気を失っていたなら……、現実逃避に走りつつある少年を女医がそっと抱き締める。

 まるで割れ物を大切に取り扱うように丁寧な手付きで――豊満な胸はさながら気泡緩衝材(プチプチくん)よろしく、彼の頭を優しく包み込んだ。



「大丈夫よ、目覚めたばかりで色々と不安なことがあるでしょうけど私た……いえ、この私が全力で君のことをサポートするわ。だから将来も安心して、私が幸せにしてあげる」

「ちょっと先生何一人だけ抜け駆けしようとしてるんですか!? 大丈夫だからねぇ、こんな年だけいってる女性よりも~私みたいに若くて現役看護婦としてバリバリ頑張ってる方がいいわよねぇ?」

「は? 喧嘩売ってるのかしら?」

「べっつにぃ~?」

「ちょ、ちょっと落ち着いてください二人とも……!」



 突如、目の前で取っ組み合いを始めようとした二人の仲裁に入ろうとした少年の横から、別の声が挙がる。

 その女性は彼女らみたく医療従事者ではない、彼と同じ患者だ。

 ただ入院着の着方が甘いのか、少しでも動けば胸がはだけて、少年はぎょっと目を丸くした――女性は胸部を保護するための、いわゆるブラジャーを身に付けていなかった。



「ちょっとちょっと! 私達だって彼に話し掛ける権利はあるわよ! いくら医者だからって職権乱用してんじゃねーわよ!」

「はぁ? 患者が何言ってるのかしら? あんまし生意気言ってると注射意味もなくぶっ刺すわよ!」



 病院という清潔で静かであるはずの空間が、瞬く間に戦場へと姿を変えた。



「ははっ……はははっ……はぁ……」



 怒号にも似た叫び声を上げながら拳を交える女性(アマゾネス)達を前に、少年はその場にどかっと倒れた。

 処理しきれなくなった思考が爆発する寸前に放棄したのである。問題解決を先延ばしにしただけにしかすぎないが、それでも一先ずは現実逃避ができる。

 意識を深淵へと再び手放した――その直前。



――速報です! □□県××町に住んでいる男性会社員が行方不明となりました。警察はまたしても神隠し事件として調査をしていますが……――



 そんなニュースが内容が、嫌に耳にこびりついた。

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