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短い話たち

決戦の後

作者: 山岡希代美



 雨が上がった。見上げる空の雲間から陽の光が射し始めた。この雨が我が軍を優勢へと導き、敵軍が撤退をし始めた。

 私は味方とはぐれて、ぬかるんだ林道を自陣に向かって歩いていた。しかし、本当に自陣に向かっているかは定かではない。私は方向音痴だからだ。

 もしもせっかく撤退中の敵軍の真っ只中に迷い込んでしまったら、と思うと不安でしょうがない。むしろ動かない方が誰かが探しに来てくれるのではないか。

 そう思って立ち止まった時、突然路傍の藪の中から男がひとり飛び出してきた。

 しかも敵兵ではないか。身なりからしてかなり上位の将のようだ。おまけに見上げるほどでかい。

 彼はゆっくりと体勢を整え、固まっている私に気が付くと穏やかに微笑んだ。

「これは、私も年貢の納め時ですかな」

(それはこっちのセリフだ)

 努めて平静を装いつつ、私も静かに返す。

「いいえ。勝敗は決しています。我々がここで争ったところで無意味ですし」

 彼は一瞬、眉の端をピクリと動かしたがすぐに穏やかに微笑んだ。

「……そうですな」

 この男は私の後ろに何千もの兵が隠れていたらとか思わないのだろうか。

 この余裕すら感じられる態度は何なんだろう。と思うと、この男が何者なのか正体を知りたくなった。

「あの、よろしければ、お名前をお聞かせ願えますか?」

「ああ、坂内塔矢(さかうちとうや)と申します」

 その名を聞いて私は再びフリーズした。

 坂内塔矢といえば鬼神のごとき猛将として戦場にその名を轟かせている。本来なら出会った瞬間に首が飛んでいても不思議ではない。

 私がフリーズしてしまった事に気付いていないのか今度は塔矢が聞き返してきた。

「そちらは?」

 私はハッと我に返り、笑いながらお茶を濁す。

「いや〜あなたがあの塔矢殿とは。私ごとき名乗るほどの者ではありません。一介の雑兵です。雑兵」

「ほう、雑兵……ですか」

 塔矢は私の顔に視線を据えると目を細めて唇の端に意味深な笑みを浮かべた。

 逆に勘繰らせてしまったか?

「随分と軽装ですね。雑兵なら最前線でしょう?」

 やはり怪しんでいるのか。私は一生懸命言い訳をする。

「体力ないので重い鎧が着けられないんです。だから最前線には出るなと言われています。方向音痴だし」

 塔矢は驚いたように目を見張った。

「方向音痴……! それでこのような所におられたのか。まさか初陣ではありますまい」

「そうですねぇ。かれこれ、え〜と……」

 指折り数える私に塔矢はあきれたように嘆息した。

「よく今まで生き延びてこられたものだ」

 うまくごまかし通せたと安心した私は彼に向かって微笑んだ。

「どうやら私は大変運がいいようです」

 その刹那、塔矢の瞳の奥に眠っていた鬼神の炎がちらりと揺らめいた。

「その運も今日限りのようですね」

 塔矢は一歩踏み出すと腰の剣をスラリと抜き両手で構えた。私は逆に一歩退き脳ミソをフル回転させる。

 全身から冷や汗が噴き出した。

 まともに戦って勝てる相手でない事は誰の目にも明らかだし、自分が一番わかっている。なんとかして逃げ延びる方法を考えなければならない。私は決して死ぬわけにはいかないのだ。

「抜かれよ。腰の剣は飾り物か」

 焦れた塔矢がまた一歩前へ出る。私ももう一歩退いて一応なだめてみる。

「やめましょうよ。名もない雑兵を斬ったってあなたの名が汚れるだけですよ」

 塔矢は私を見据えたまま不敵の笑みを浮かべた。

「確かに。雑兵ならばそうでしょう。ですが君主の首なら千金に値すると存ずる」

 バレてるじゃん! だから見るからに身分も年も下の私に最初から敬語だったのか。

 そう。私は自軍総大将で「殿」と呼ばれる身分なのだ。私の首ひとつであっさり形勢は逆転する。だから決して死ぬわけにはいかない。戦が続いている限り。

 腰の剣は本当に飾り物で、名のある名刀らしいが代々君主に受け継がれる国宝で、実戦で使用された事は一度もないと聞く。

 私の戦場での役割は国宝の剣を携えて自軍を鼓舞し、軍師の戦略に許可を与え、何よりも健在である事なのだ。

 戦場で孤立した上に敵将に素性を知られ命の危機に見舞われているなど、耳タコになった口やかましい家臣の小言が頭の中でエンドレスリピートする。

”だからあれほど徘徊なさりますなと申し上げましたのに”

 私は腹を括った。バレてるならば逆にハッタリもかましやすい。

 一息つくとまっすぐに塔矢の目を見据える。

「塔矢殿。私がひとりだとお思いか?」

 塔矢の瞳の中の炎が一瞬揺らめく。

「私は方向音痴だから姿が見えなくなるとすぐに仲間が捜しに来るのだ。きっと今もすぐ近くまで来ているハズだ」

「何がおっしゃりたいのか」

「だから多勢に無勢ですよって」

 塔矢は微動だにせず唇の端で笑う。

「あなたの首を頂くのにさほどの時は必要としません」

 だろうね。私は次の手を考える。

「塔矢殿。あなたを死なせたくはない。私の首を取ったところですぐ私の仲間に取り押さえられる。それよりも私と共に参られよ」

 私が言い終わるか終わらないかのうちに私の身体の左側スレスレを塔矢の剣が一閃した。

()(ごと)を……!」

 動けば危ないので動くつもりはなかったが反射的に動いてしまったのだろう。塔矢の剣の切っ先は、私の左腕をかすめ一条の赤い筋を腕に刻んだ。

 彼の瞳の中の炎は勢いを増していた。

「この私に自軍を裏切りあなたに(くだ)れとおっしゃるのか。坂内塔矢も甘く見られたものだ」

 こんな手が通用するとは端から思ってはいなかったが、時間稼ぎのつもりが火に油を注いでしまったらしい。

 塔矢の剣が私の鼻先に突きつけられた。

「今一度(ひとたび)申し上げる! この場でそっ首叩き落されたくなくば腰の剣を抜かれよ!」

 私は諦めて剣の柄に手をかけた。

 塔矢は私の鼻先から剣を引き間合いを取る。

 私はゆっくりと剣を抜きながら、刃こぼれひとつ曇りひとつないその美しい抜き身を改めて眺めた。

 この美しい宝剣を初めて実戦で使用した者として私は歴史に名を残すだろう。しかも剣を振るう間もなく3秒で倒れたとかいう但し書きと共に。

 両手で剣を構え、深く息を吸い込むと軽く目を閉じて家臣たちに心で詫びた。

 ごめんよ、みんな。へっぽこ大将で。願わくは私がまだ生きているうちに誰かに見つけてもらうこと。

 目を開いて腕に力を込め塔矢を見据える。それを合図と受け止めた塔矢が掛け声と共に斬りかかって来た。

「参る!」

 迫ってくる塔矢に防衛本能が目覚める。やはり死ぬ訳にはいかない。無謀なのはわかっているが少しでも時間を稼ぎたい。

 私は宝剣をかざして塔矢の最初の一撃をなんとか受け止めた。

 ギリギリと金属の擦れる音がして塔矢が剣に力を掛けてくる。腕が折れてしまいそうなほど重い。

 私は渾身の力を振り絞って塔矢の剣を押し戻した。たったこれだけの事で腕の筋肉はブルブルと震え剣を構えているのがやっとだ。

 しかし塔矢は息ひとつ乱すことなく笑みさえ浮かべて、胸の少し上あたりで必死に握り締めた私の剣に向かって二度三度と打ち込んでくる。その度に剣から伝わる衝撃に腕がジンジンと痺れてきた。

 なぜ一気に首を跳ねないのかは謎である。

 ガキンと剣を合わせると塔矢が私に語りかけてきた。

「どうなさいました。受け身だけでは私は倒せませぬぞ」

 いや、元々あんたを倒す気ないし。

 やはり弄ばれているのか。小憎たらしいので言葉だけでも反撃してみる。

「言ったはずだ。あなたを死なせたくはないと」

 直後、剣ごと後ろに突き飛ばされた。私は倒れないようにかろうじて足を踏ん張る。

 塔矢の周りで闘気が渦巻いた。どうやらまた余計なことを言って墓穴を掘ったらしい。

「おもしろい。私に一太刀なりとも浴びせることが出来たなら、この場はおとなしく退かせていただきましょう。どこからでもかかって来られよ」

 なぜそうなる。第一無理だって。しかも塔矢は私ごときがつけ入る隙などどこにもない。

 塔矢は剣を上段に構えて私を挑発する。

 そりゃ、あんたみたいな大男に私の剣の有効範囲は首から下しかないだろうけどさ。

 迂闊に斬りかかれば上から振り下ろされた剣であっさり首が飛ぶのはわかりきっている。

 剣を構えてお互いにらみ合ったまま暫しの時が流れた。

 その時、遠くから、かすかに私を呼ぶ声が聞こえた。塔矢にも聞こえたらしく、ほんの一瞬彼の意識がそちらにそれた。

 その一瞬の隙を見逃さず、私は素早く塔矢の懐に飛び込み、その開いた胴を真一文字に切り裂いた。——つもりになった。

 実際には剣と塔矢の固い鎧との摩擦で剣に腕ごと身体を持って行かれそうになりながら、塔矢の目から見ればスローモーションのようにゆっくりと両手で必死に剣を横に引いた。というのが正しい。

 その後は素早く後ろに飛び退き、剣を構えたまま塔矢の反応を待った。

 硬い鎧を着けた塔矢が私のへっぴり剣ごときでは全くのノーダメージのはずなのだが、少し顔が俯いてはいるものの最初の構えのまま動こうとしない。

「塔矢殿?」

 不思議に思って声をかけると塔矢が大声で笑い始めた。そして剣を鞘に収め呆気に取られる私に一礼した。

「参りました。どうやらあなたを見くびり過ぎていました。油断があったとはいえ、この坂内塔矢一本取られたのはあなたが初めてです」

 えっ? そうなの? 少し優越感を覚える。

「本来ならば私は致命傷を負っていたでしょう。あなたが非力な方でよかった」

 やっぱり小馬鹿にされているのか。いたずらっぽく微笑む塔矢の瞳からは鬼神の炎が消えていた。

「約束どおりここは退かせていただきます」

 塔矢は深々と礼をすると背を向けて立ち去ろうとした。

「私の首はいらないのか?」

 塔矢は振り返ると出会った最初の時と同じように穏やかに微笑んだ。

「私はあなたの名を伺っておりません。名のわからぬ者の首を持って帰っても致し方ありませぬ。それにあなたはおっしゃった。勝敗は決していると」

 塔矢は再び背を向けると立ち去りながら付け加えた。

「次に戦場で出会った時は名乗られよ。さすれば遠慮なくその首頂戴つかまつる」

 立ち去る塔矢の背中を見つめて私はダメ元でもう一度誘ってみた。

「塔矢殿。さっきの戯れ言じゃないから。イヤになったらいつでも私の所においで」

 塔矢は一瞬立ち止まったがすぐに振り向きもせず軽く手を挙げて「聞かなかったことに致します」と言うと林道のはずれから来た時とは反対側の藪の中に消えていった。

 塔矢の姿が見えなくなると同時に一気に全身から力が抜けた。

 そして今頃になって塔矢の剣が残した左腕の傷がズキズキと痛み始めた。非常事態に直面すると人間の体は痛みの神経をシャットダウンするってのは本当なんだとつくづく感心した。

 私は右手に固く握り締められていた宝剣を見つめて溜息をついた。

 あんなにきれいだったのにガタガタに刃こぼれしている。

 しかし、塔矢の剣圧にも折れなかったところを見ると名のある名刀というのは本当らしい。

 これを見たら家臣が嘆くだろうなと思いながら剣を鞘に収めたところで数人の家臣たちが私の元にやって来た。

「殿! ご無事でしたか」

「ささ、この場は早々に立ち去られた方がよいかと存じます」

 などと、私を取り囲むようにしてこの場から連れ去ろうとする。

「え? 何? ここってどこなの?」

 呑気に尋ねる私に家臣のひとりが呆れたように嘆息した。

「やはり迷っておいでてしたか。ここは敵陣の程近くにございます」

「え゛」

 それで塔矢があんなに驚いていたのか。

 家臣のひとりが私の左腕の傷に気が付いた。

「殿、お怪我をなさったのですか」

「ああ、大事無い。ちょっと斬られただけだ」

 それを聞いて全員が殺気立つ。

「斬られたって、誰に?!」  

 あーうるさい。

「坂内塔矢」

「坂内塔矢に会われたのですか?!」

「よくぞご無事で」

 よけいにうるさくなった。塔矢のことは彼らの方がよく知っているのだろう。

「まさか素性をお明かしにはなりませんでしたでしょうな」

「明かしてはないけど、気付かれてたみたい。それでちょっと手合わせすることになって……」

 再びどよめきが起きる。

「塔矢と手合わせ!」

「なんと無謀な!」 

 いちいちうるさいぞ、おまえら。

「でも私、塔矢に勝ったぞ。初めて一本取られたって塔矢が言ってた」

「それは塔矢が本気でなかった証拠に他なりません。手加減されてたのですよ」

 そりゃそうだろうけどさ。そんなにあっさり私の勝利を否定しなくても。

 ふと傍らを見ると、いつもは一番口うるさい家臣のひとりがずっと俯いたまま押し黙っている。かなり怒っているようなので、今告白するのもどうかとは思ったが2回に分けて怒られるよりは一度で済ませたかったので俯いた彼の前に国宝の剣を差し出した。

和成(かずなり)、ごめん。そういうわけでこれ、刃こぼれしちゃって……」

 怒号が飛んでくるかと思って構えていたが和成は俯いたまま剣を受け取り

「剣など……あなたのお命がご無事であれば……」と静かに言う。

 なんだか拍子抜けする。

 だが次の瞬間、和成は突然顔を上げると目に涙を浮かべて私を怒鳴った。

「あなたは! ご自身のお立場を全くわきまえていらっしゃいません! 我々がどれだけ心配したとお思いですか?! だからあれほど徘徊さなりますなと申し上げましたのに!」

 はいはい。泣くほどの事じゃないだろう。

 いや、それ以上の事かもしれない。君主の私が命の危険にさらされたのだから。

 泣くほど心配したのかと思うと和成がちょっとかわいそうになったので素直に頭を下げた。

「心配かけて申し訳ない」

 奇妙な沈黙が流れた。

 不思議に思い上目遣いに和成を見ると、目を丸くして絶句している。

 何が起きたのかあたりを見回すと、他の者たちが口々に和成を叱責した。

「ひかえよ! 和成」

「口が過ぎるぞ」

「殿に詫びを入れよ」

 和成は困惑した表情で私と仲間を交互に見つめている。

 私は間に割って入った。

「待て! どうして和成を責めるんだ。悪いのは私だろう。な?」

と和成の顔を覗き込むと、彼は軽く微笑んで私に頭を下げた。

「いえ。殿、申し訳ありませんでした。少し言葉が過ぎました」

 そして顔を上げると私の目を見据えて付け加えた。

「ですが、やはりあなたは少し君主としての自覚に欠けております。家臣に対してみだりに頭など下げるものではありません」

 あ、そういう事? 別にいいじゃん。めんどくさいな。

 私は、顔を引きつらせて笑いながら

「あ〜その点に関しては、おいおい努力するから今日のところはさっさと帰ってみんなで戦勝の祝杯でも挙げよう」

と言うと皆に背を向けて歩き始める。

 その途端、全員が異口同音に私を引き止めた。

「殿! そちらではございません」




(完)



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