第3話
ロバートの頭に手を置いた男は、サンドラとよく仕事を一緒にしている賞金稼ぎだ。女の子達からは彼の登場に歓声があがる。中肉中背で顔がよく、賞金稼ぎの中でも腕はピカ一だ。ロバートの嫌いな男だ。才能があり、悩みのない男。
「フレディ、無責任に言わないでよ」
サンドラは迷ったまま答える。
「巨大猪の一匹や二匹、サンドラと俺がいたら楽勝だろう? 」
サンドラはフレディを睨み付ける。確かにサンドラとフレディがいれば楽勝には違いない。サンドラが考えているのは別な事だ。今までロバートがこんな我が儘を言った事はない。
「ん~、私はね、ロバートが賞金稼ぎになりたいの知ってるから、何も訊かずに駄目とは言わないよ。急に魔物狩りに連れてけって言い出した、その理由を知りたいなあ」
ロバートはサンドラが簡単に頷かない事を知っていた。けど、反対、反対、絶対駄目とは言わない。彼女はそんな人じゃない。彼はきちんと彼女に伝える。
「俺は力を手に入れた。俺は黄金林檎を当てたんだ! 」
暫しの沈黙。それから湧く歓声。
過去には、祭の中の式典で、黄金林檎を渡していた事もあったのだが、本人が食べずに持ち帰る際に事件が起きてから、誰が当たったかを発表しなくなったのだ。
「黄金林檎、食べたのか? 」
「すげえ」
「ならこの自信もわかるわ~」
「でもさ、黄金林檎食べて有名になった人もいるけど、全員ではないよ? 」
「いいなあ……」
子供達が騒ぐ中も黙ってサンドラは考えていた。
黄金林檎……確かに奇跡を起こす可能性がある。だが、狩、特に魔物相手の狩では、失敗したから帰ろうね、ではすまされない。サンドラは自身やフレディの心配をしていない。賞金稼ぎは自分の身を自分で守ればいい。ロバートの為に傷つこうが死のうがそれは賞金稼ぎの問題だ。
だが、ロバートの身に何かあったら?
「やりたい事を目標にしたらいけないの? 挑戦してもいけないの? 」
ロバートの言葉にサンドラは固まる。彼女が賞金稼ぎを目指した時、そして反対された時、どう思っていたか? 誰がそんな自分を擁護してくれたか?
今まで、ロバートからこんな我が儘をサンドラは言われた事がない。彼女は、彼が自分に憧れている事を知っている。
ロバートは無謀な少年ではない。読み書き算術は優秀なくらいだ。彼は賞金稼ぎとしての才能が無いことを嘆きながらも、諦める事なくずっと訓練をしていた。結果は伴っていなかったが、自暴自棄になる子ではない。黄金林檎を食べて何か身体の変化を確信を持って感じているのに違いない。
サンドラは具体的に考える。巨大猪が一頭だけなら何とかなりはする。彼女が巨大猪の脚を負傷させ突進力を失わせる。彼女とフレディで巨大猪を押さえつけて、ロバートに止めを刺させる。
もし、一頭でなく二頭ならロバートには参加させず、フレディにロバートを守らせて、サンドラ独りで倒す。三頭以上なら戦わずに撤退する。
「わかった。機会がないのはいけないね」
ロバートは頷きながら、ありがとうと呟く。他の子供達は騒いでいる。
サンドラはロバートの姿に彼の両親の姿を見る。彼の両親は既に亡くなっている。彼女は彼を絶対に守り抜く事を心に決めた。
「じいちゃんには伝えてきな。私は準備をしてくる。フレディはすぐ行けるな? 」
フレディは飄々とした態度を変えていない。にっこり笑って頷いた。
「賞金稼ぎになる事が、本当に幸せならいいんだけどね」
サンドラは呟いて、家に入って行った。
※ ※ ※
交易都市カサンドラ。帝国第二の都市。その周りには農村が広がっている。東側はサトウキビ畑が、西側には麦畑が広がっている。
その西側の麦畑の先の森にロバートは来ている。まだ涼しい季節ではあるのだが、緊張からか汗が滲む。
森に着いてからはサンドラが先頭に立ち、ロバートはフレディに守られながら付いていく形だ。
ロバートは辺りを見回しながら進む。周囲の状況を掴んでいるかいないかが勝負をわけると、サンドラが昔から言っていた。
ロバートにわかった事は、森が静かな事くらいだった。森の深いところまで入った事はないが、木の実を取りに来たことは何度もある。だが、こんなに静かだった事はない。
サンドラが手で合図を出したのが見える。ロバートには合図の中身がわからない。彼は黙って隣にいるフレディを見る。フレディが軽く頷いてから小声で答える。
「この先に一頭いる」
ロバートも頷く。彼は何時でも魔術が使えるように準備を始める。身体の中の何かを手のひらに集める。そう、多分魔力と呼ばれるもの。身体の中に流れているそれを意識する。手に掴むように……。
「ほう……」
フレディの呟きに、ロバートは掴みかけたそれを取りこぼす。上手く掴めない。こんなちょっとした事で掴めないのを悔しく思いながら、再度意識するところから始める。
サンドラがロバートの視界から消える。仕掛け始めるんだ。ロバートは魔術を暴発させないように、そしてきっちり巨大猪ジャイアントボアを仕留められるくらいの心象を思い描く。
あの時と同じでいい。あの感覚を繰り返す。
手のひらに魔力が流れていく。
「中止だっ! 」
サンドラの声が響くのと同時に激しい音が届く。
木立から飛び出てくる獣。
二頭いる。一頭は身体を起こしている。もう一頭は頭を下げて突っ込んでくる。
フレディの動きが早かった。突っ込んでくる巨大猪ジャイアントボアに向けて剣を突き出していた。
ロバートは倒れていた。フレディに身体を押されていたのだ。
フレディが巨大猪ジャイアントボアの眼に剣を突き刺した時には、もう一頭の巨大猪ジャイアントボアの横っ腹にサンドラが剣を突き刺していた。
それは一瞬の事。
ロバートは何も出来なかった。当たり前だが、誰も彼を待っていてはくれない。これが現実の戦場……。
だが、ロバートは考える。目をつぶることはなかった。逃げ出してしまうこともなかった。恐怖は感じたが、思考が止まることもなかった。ただただ反応が遅いだけ。
反応を素早くしないといけない。もしくはこちらが先手をとれるように動かないといけない。
それを学んだ。そう学べたんだ……。早くも成長を確信する。無謀に思える挑戦も、今なら必ず何か身になる。
ロバートが現実で知る英雄サンドラはいつも言っていた。一番大事な事は心が折れない事。心が強い者は誰しも英雄になれると。
「違う! 早く逃げろ! 」
サンドラの大声が耳を打つ。
森の木々が倒れる音が続いて聞こえる。まだいたのだ。獣の唸り声が飛んでくる。
巨大猪よりさらに大きな……人の高さの三倍は優に越える大きさの、黒と緑の毛が混じった巨大猪が現れる。それはもう別の魔物だ。
恐怖だ。恐怖が形を持って襲って来る。
地鳴りとともに進んでくるそれに、ロバートは何も考えることが出来ず、顔を背け、反射的に手のひらを向けた。