第2話
既に第1章は書き終わっています。時間は決めていませんが、毎日投稿を予定しています。
ロバートは何一つ疑っていなかった。突然、黒猫が人間の言葉を口にすることも、貴族でもない彼が魔術を使えるようになることも。
英雄がいつも言っていた。
「不幸が続いたら、その先を楽しみにしな。幸せなだけの人も、不幸なだけの人もいない」
実際、黄金林檎はロバートの手にやってきた。彼に幸運をもたらしてくれるているのだ。不思議な事があったっていいじゃないか?
賞金稼ぎに成れる。ここまで努力を続けて来て何一つ成果が出ずにいたロバートに、魔術という強力な才能が手に入るのだ。
「目を閉じて、使いたい魔法を想像しな」
ロバートはソフィアが発する言葉をどこか懐かしく感じる。言われた通りに目を閉じる。彼は疑わない。
「どんな力があって、とんな目標に対して、どんな結果になるのか……その魔法の事を詳しく、細かく、想像するのさ」
ロバートは信じる。
「どんな見え方で、どんな匂いで、どんな音を慣らすのか……」
ロバートは想像する。
非力で運動神経も特殊能力もないロバートが、魔術師になって憧れの英雄と一緒に魔物を退治する。そう、何度も夢見てきたこと。
最初に思い浮かんだ敵は、つい先日、英雄から聞いた牛の魔物、巨大岩牛だ。巨大岩牛を倒すなら火球の魔術なんてどうだろう? 手のひらから火の玉を出してぶつける。真っ赤な火の玉。魔物を燃やし尽くしてしまう熱。焦げた匂い。
身体の中の何かが手のひらに流れていく。集まった何かが手のひらから離れた瞬間、ロバートの何かが吸い出された。
路地から大きな音が響く。
ロバートが目を開けると、路地の一角が燃えている。
「そう。それでいい。ロバートくんの真っ直ぐな想いが力になる。信じる事ができるのが君の才能さ」
ロバートは思う。
近くて、遠い英雄。
英雄だけは彼を馬鹿にしなかった。いつか何かが手に入る、努力は裏切らない。英雄はいつもそう話していた。英雄の言葉がなければ、投げ出していたかも知れない。そもそも今夜だって、自分の代わりに引いてきてと、英雄が声をかけてくれなければ、聖誕祭で神くじも引いていない。
「今の感覚を覚えておきなさい。繰り返せば簡単に魔法は使えるようになる。いい? 今の感覚だよ」
黒猫の姿は長い黒髪の女性へと変わっていた。いや、靄がかかって、はっきり見えないのだが、何故かロバートには彼女の姿がわかる。長い黒髪と、赤く光る瞳、そして、左目の傍にある泣きぼくろ。
「やっぱり貴族の血を引いてなくても魔術は使えるんだね? 」
ロバートが読んで知っている伝説の中の魔術師には貴族でない者もいた。
黒髪の女性は路地で燃え盛る炎に手を向ける。一瞬にして火が消える。
「なに、きっかけを与えてあげただけ。そこらの人間はこのきっかけを掴めない。想像するだけでは駄目、その感覚を掴めるか掴めないかが、魔法が使えるか使えないかさ。貴族が使えるのはそのきっかけを子供に与えているから」
ロバート自身は特別な事はしていない。魔法の真似事、おままごとなんて小さな頃から何度もしている。だが実際に使えた事なんて一度もなかった。
「一流に成れるか成れないか……それはロバートくん次第。どれだけ魔法を願えるか、想像できるかだ。魔法に不可能はない。君が私のような存在になれるのを楽しみにしているよ。私は永いこと独りぼっちだからね。あと私の存在を人に話しては駄目。約束よ」
そう言って、黒猫だった女性は、深く黒い全てを塗りつぶす靄に覆われて行く。靄が晴れた時には消えていなくなっていた。
ロバートは自分の手のひらを見る。普段と変わらない手のひら。火傷もしていない。
路地の燃えていた場所に行くと、地面や壁に燃えた跡が残っている。
ロバートは駆け足で帰った。明日、英雄と一緒に狩に行こう。魔術を見てもらって、英雄の仲間に入れてもらおう。
※ ※ ※
聖誕祭の翌日もいい天気になりそうだった。
朝早く起きたロバートは準備運動をして、昨日の復習をする。一晩寝たら夢でした、では意味がない。
ロバートは、昨日魔術を使えた時に身体の中に流れた何かを、手のひらに意識して集めてみる。熱を感じた訳ではない。痛みを感じた訳ではない。身体の中を何かが流れたのだ。その感覚を思い出す。いや、思い描く。
「やっぱり夢じゃない……」
ロバートは確かにそれを感じた。彼が図書館に通い、独りで学んだ、かなり常識的な魔術の知識で言うと、それは魔力。魔力を感じ、魔力を動かし、魔力を集める事ができた。
ロバートは空を見上げ、ソフィアと名乗った謎の存在に感謝する。彼女が精霊なのか、神の御使いなのかはわからない。だが、彼は感謝を祈りのように示す。
ロバートは幸運が続いている事を確信する。彼は生まれてこの方不運だったと信じている。ならばこの先には幸運が続くのが当たり前だと考える。ならば逡巡など不要。過去の偉大な英雄達はいつも突然現れる。それを彼は書物で知っていた。
家を出て、ロバートが向かう先は右側の二つ隣の家だ。昨日は祭りで、英雄は自宅に戻って来ていた。その家の前には朝早くから近所の子供達が集まっている。
賞金稼ぎとしての仕事がない日には子供達に武勇伝を話してくれたり、武術の稽古をつけてくれたりするのだ。
英雄が登場する。
藍色の外套を羽織り、綺麗な栗色の髪は短い。そして何より彼女を特徴付けているのは琥珀色の瞳。
「サンドラ、今日は何の話? 」
「稽古をつけてくれる日だよ」
「サンドラねえちゃん、あそぼ! 」
この界隈でサンドラを知らない人はいない。素晴らしい剣の腕を持ち、倒した魔物や盗賊は数知れず、魔族ともやり合った事があるという賞金稼ぎ、それが彼女だ。
「サンドラ、おはよう」
「ロバート、おはよう」
サンドラはロバートの誇りだった。隣の隣という、すごく近所に住む彼女は、彼が赤ちゃんの時にお守りなんかもしてくれたことがある。
さっそくロバートはサンドラに今日の用事を伝える。
「サンドラ、魔物狩りに連れていって! 」
「? 」
突然の申し出にサンドラは首をひねる。昨日までのロバートは頑張り屋のひ弱な少年だ。
「何言ってんだよ! お前なんか足手まといだ! 」
「そうだ! ロバート、何も出来ないじゃん! 」
「わたしと戦っても勝てないよ」
子供達がサンドラを連れていかれるのを阻止する為に声を上げる。彼等が言ってる事は間違いでもない。昨日までのロバートは、狩りに行っても足手まといにしかならず、彼の剣や弓の訓練の為だとしてもまだ早い。
「本気なんだ。俺は役に立てる」
ロバートは小さい声でだが、はっきりと伝えた。
そのロバートの頭に手を置き、迷っているサンドラに声を掛けた男がいた。
「サンドラ、俺も行くから坊主の願いを叶えてやろうじゃないか。坊主も一度恐怖を覚えたら、我が儘なんて言わなくなるだろ? 森で巨大猪が出たらしいんだ」