第77話:身体強化とは
「たっ!」
「ぬわっ!」
何度目かの攻防。
レキがガレムの顔目掛けて蹴りを繰り出し、ガレムが体をそらし回避した。
勢いのまま跳び越したレキが避けたガレムの後方に着地し、振り返ったガレムと再び向かい合う。
「ふぃ~・・・」
額に流れる汗を拭いながら、気の抜けたような声でレキが深呼吸する。
試合が始まってから既に一時間ほどが経過していた。
その間、レキはひたすら攻め続けている。
常人なら体力も尽きそうなものだが、一日中魔の森を駆け回っていたレキにはまだまだ余裕がある。
「ふむ・・・」
それは対戦相手であるガレムも同じ。
防御に徹している為、集中力はともかく体力はそれほど消耗していない。
体格が大きい分、ガレムの方が余裕があるだろう。
「レキ殿もまだ余裕そうだな」
「あの年であの動き・・・」
攻め続けるレキと防ぎ続けるガレム。
大人と子供、体格も大きく異る両者。
通常なら子供のレキの体力はとっくに尽きてもおかしくはない。
にも関わらず、誰が見ても両者共にまだまだ余裕があった。
「む~・・・当たらない」
「はっはっは、そう簡単に当たってはやれんな」
一時間もの間攻め続けたにもかかわらず、ただの一撃も当てられず不満げなレキ。
同じ相手に一時間以上戦い続けた事など、レキには無かった。
どんな相手でも剣を振るえばそれで倒せたし、最近では魔術も習っている。
ゴブリンが百匹いても、レキなら一撃で倒せるのだ。
残念ながらこの試合は魔術が禁止されている。
元々魔術が使えなかった為、ルールに関しては特に問題なかったが、全力が出せないレキはとても戦い辛そうだ。
反面、防ぎ続けたガレムはまだまだ余力を残している。
何せ、ここからが本番なのだから。
「さて、そろそろ本気を出したらどうだ?」
「へ?」
仕切り直しとでも言わんばかりに、ガレムが促すような言葉をレキに投げかけた。
ガレムもまた、ミリスやフィルニイリス同様レキが身体強化を使用していない事に気付いているからだ。
戦っていたからこそ気付けたのだろう。
これほどの間攻め続けたにも関わらず、体力的に余裕があるのがその証拠だ。
「本気?」
「ああそうだ」
これが全力だなどとありえない。
狩りへと赴くレキは常に身体強化を使用していたのだから。
全身からあふれる黄金の光。
ガレム達が見たそれは、フィルニイリス曰く質も量もけた違いながらも確かに魔力なのだそうだ。
それほどの魔力を使った身体強化こそがレキの強さの秘密だとガレムは考えている。
これまでほぼ互角に試合をしてはいるが、その力はガレムが防ぎきれる程度でしかない。
この程度では間違いなく魔の森のオーガには通用しないだろう。
ミリス達の報告にあったレキの実力には程遠い。
それでも十分強者ではあるが、この程度の実力では少々まずいのだ。
魔の森のオーガを瞬殺し、カランの村でゴブリンの群れを一撃で全滅させるほどの力。
どちらも常人の域を遥かに超える力であり、この試合ではその一端を観衆に見せつけなければならない。
"この圧倒的な力こそか王女の命を救ったレキの実力である"
その為にガレムは武舞台上に立ち、こうしてレキと相対している。
だからこそ、レキには全力を出してもらわねばならなかった。
「少年の力はミリス達に聞かされている。
魔の森のオーガを瞬殺したその力を見せてもらおう」
「ん~・・・でもなぁ」
レキの全力を受け止める為、ガレムが盾を構える。
対してレキは、両手に剣を持ったまま何やら悩み始めた。
「ん?
身体強化なら少年も使えるだろう?
それともあれか、私の身を案じてくれているのか?
それなら心配ないぞ?
伊達に騎士団長はやっていないからな」
「んと、そうじゃなくて」
「ではなんだ?」
出し惜しみするような少年ではない事はガレムも知っている。
むしろ自分の力を隠す事無く、皆の為に振るえるのがレキという少年である。
一撃で終わらせてしまうのが惜しいのか?
いや、試合開始からこれまで、レキは全力ではないが本気ではあったはずだ。
戦い方や表情を見れば分かる。
あの顔は、全力を出せないながらも本気で戦っている者の顔だ。
まさか何らかの事情で身体強化が使えなくなったのか?
ならば今すぐ試合を中止して・・・。
などと、ガレムが余計な心配をし始めていたところで、レキが口を開いた。
「魔術禁止じゃないの?」
「・・・何?」
その答えに、ガレムは首を傾げた。
――――――――――
「さっき言ってたよ?
魔術禁止って」
「あ、ああ。
この試合は剣士としての実力を見る為のものだからな。
少年はまだ魔術を制御できていないのだろう?
下手に放てば周囲にも被害が及ばないとも限らん。
剣ならそんなこともあるまい」
ガレムはレキの魔術を見た事はない。
だが、ミリスやフィルニイリスから話は聞いていた。
曰く、呪文の詠唱を必要としていない。
曰く、襲ってきた暴漢共を見様見真似の初級魔術でぶっ飛ばした。
曰く、百匹程のゴブリンの群れを同じく初級魔術の一撃で殲滅した。
魔術についてはさほど詳しくないガレムでも分かる。
暴漢はともかく、ゴブリンの群れを一撃で殲滅できる威力など中級魔術でも厳しいだろう。
ましてや呪文の詠唱もなく魔術を放つなど、宮廷魔術士長のフィルニイリスにも出来ないはず。
報告したのがフィルニイリスだからこそ、ガレムは驚きはしたものの嘘だとは思わなかった。
だが、この場にいる者達も受け入れるかと言えば、それは難しいだろう。
そもそも呪文を詠唱せずに魔術を放つ時点でおかしいのだ。
そこに伝え聞いた威力を加味すれば、目の前で起きた事であっても、詐欺だイカサマだなどと罵倒される恐れがある。
ついでに言えば、ガレムや試合場が無事で済むかも分からない。
だからこその魔術禁止なのだ。
「魔術使っちゃいけないんだよね?」
「うむ、そうだな」
「じゃあ身体強化もダメだよね?」
「うむ、何故だ?」
「あれっ?」
レキの問いかけに最初は頷き、次は首を傾げたガレムに、レキもまた首を傾げた。
舞台上で首を傾げ合うガレムとレキ。
なんとも異様な光景であった。
「レキ」
「あっ、フィルだ」
そこに助け舟を出したのは、宮廷魔術士長のフィルニイリスである。
風の魔術を使用し、王族専用の観覧室からレキにも聞こえるよう、大声で語り掛ける。
「身体強化は使っても構わない。
何故なら身体強化は魔術ではないから」
「そうなの?」
「魔術とは魔力を用いて様々な事象を外界にて発生させる技術。
身体強化は魔力を体内に巡らせることで身体能力を強化する物。
外界への干渉はない」
「?」
首を傾げたレキに、フィルニイリスの説明は続く。
「自然界の様々な事象、火、水、土、風。
それらを魔力によって生み出すのが魔術。
身体強化はただ己を強化するだけ」
「でも魔力使うよ?」
「事象が己の外に、他者あるいは世界が認識できるものが魔術。
身体強化は己の内側にしか干渉しない。
発動される事象も無い。
故に身体強化は魔術たり得ない」
「・・・え~っと」
「身体強化は魔術とは違う」
「う~ん・・・。
分かった」
「よろしい」
フィルニイリスの説明は半分も理解できなかったようだが、身体強化と魔術は違うという事だけは理解したようだ。
最も、頷かなければフィルニイリスの講義が始まっただろう。
フィルニイリスの事だ、レキが理解できるまで説明してくれたに違いない。
だが、魔術はおろか一般的な知識すら拙いレキが、フィルニイリスの説明をこの場ですぐ理解できるとは思えなかった。
最低でも半日、下手をすれば数日かけて説明して、ようやくと言ったところか。
それほど長い時間難しい話をされたなら・・・レキは寝る自信がある。
「詳しくは試合が終わってからじっくりとする」
「え、別にいい・・・」
「する」
残念ながらレキの思惑はバレていたらしい。
ともあれ、魔術と身体強化は別物、と言うのがフロイオニア王国、ひいてはこの世界共通の認識である。
理由はフィルニイリスが述べた通り、魔力による干渉が己の身体のみに限られている点と、自然界の様々な事象とは関係ない点が挙げられる。
そもそも魔術とは、魔力を用いて火や水や土や風などの自然界の様々な事象を生み出し、または操る為の技術である。
魔物に対抗する為、自然界の脅威に立ち向かう為、あるいは生活を楽に、豊かにする為。
理由は様々だが、基本的に魔力を様々な形で発生させ、己の外へ干渉する技術が魔術である。
対して身体強化は、魔力こそ用いるもののそれを何らかの形で発生させる技術では無い。
己の体内に魔力を巡らせ、筋肉や神経などを強化するだけの技術だ。
生み出す事象も無ければ外界へ干渉する事も無い。
己の内側のみで完結するのが身体強化であり、魔術の概念とは外れているのである。
付け加えるなら、身体強化で必要なのは魔力の制御のみ。
呪文の詠唱もなく、発動する事象に関するイメージも必要としない。
ただ、己の体内にて生み出される魔力を体全体に巡らすだけ。
ある意味魔術を発動する為の基礎段階の作業である。
魔術士なら呼吸をするかのように、騎士でも多くの者はごく自然に行えてしまうのだ。
魔力を消費するという点では同じだが、前述した理由により、魔術と身体強化は区別されているのである。
「えっと、じゃあ身体強化はしていいの?」
「していい。
むしろするべき。
何故ならガレムは既にしている。
レキがしないのは不公平」
「えっ!?」
驚きの表情でレキがガレムの方を見た。
自分と互角に戦っていた眼の前の大人は、どうやら身体強化をしていたらしい。
ルール上なんの問題も無く、ただレキが知らなかっただけ。
それでも・・・。
「・・・ずるい」
「何がだ」
そう思ってしまうのも無理はなかった。
――――――――――
試合が一時中断される形で行われているやり取り。
フィルニイリスの風の魔術により、その会話は試合場に集まる全ての者達にも聞こえていた。
「やれやれ、身体強化と魔術の違いも知らぬとは」
「所詮は子供という事でしょうな」
貴族達はレキの未熟さ、誰もが知っている事を知らないレキの知識を論い。
「・・・」
対して騎士達は、身体強化もせずに王国最強の騎士と互角に戦っていたという事実に言葉も出なかった。
そんな中、レキの力を知るミリスだけは納得したように頷いていた。
「あの~・・・」
「ん?
なんだ」
「隊長だけ納得されても」
「いや、でも納得したのだから仕方なかろう」
「え~・・・」
「大体だな、レキが始めから全力を出していれば試合など開始と同時に終わっていたんだ」
「相手はガレム団長ですよ?」
「団長だろうがオーガだろうがレキに敵うはずがない」
「え~・・・」
「実際レキが攻め続けていたではないか?
身体強化無しであれだぞ?
身体強化したらどうなるか、お前でも分かるだろう?」
「それはそうですけど・・・」
試合開始からこれまで感じていた違和感、試合中のレキの表情。
それらの理由が分かったからか、ミリスの表情は晴れやかだった。
レキと出会ってからずっと見てきた力。
羨望すら抱くほどの力をこの試合でも見られると思っていた。
同時に、自分達の恩人であるレキの圧倒的な力を皆にも見せつけて欲しいとも思った。
姫様を、自分達を救った恩人はこんなに凄い少年なのだと。
自分の友人でもあるレキはこんなに素晴らしい少年なのだと。
皆に知って欲しかった。
それがようやく叶う。
ミリスが、まるでフランの様にワクワクし始めた。
「・・・なんか、とんでもない事になりそうですね」
そんなミリスを見て、部下がふとそんな言葉を呟いた。
――――――――――
同じころ、王族専用の観覧室では・・・
「ふぃ、フィルニイリス殿、先程のお話は本当ですか?」
「話?」
「レキ殿が身体強化をしていないという」
「事実」
「なんと・・・」
身体強化せずにガレムと渡り合ったレキの実力に、宰相アルマイスも驚いていた。
いや、驚いたのはアルマイスだけではない。
国王も驚き、言葉も出なかった。
「なるほどっ!
レキが「えぃっ!」ってやらないのは身体強化をしていなかったからなのじゃな?」
「身体強化と言うより魔力を使用していないから」
「魔力を使わないとレキは「えぃっ!」ってやらないのじゃな?」
「そう」
そんな中、いつものような戦い方をしていないレキに疑問を抱いていたフランが、フィルニイリスの説明を聞いて何やら納得していた。
「えぃっ!」というのはただの掛け声である。
魔術を使用する際に良く発していたが、声を出さなければ発動できないという訳では無く、そもそも魔術を使用しない時でも掛け声くらい出している。
魔力を用いず、身体強化すら施さず、それこそ薪を割る時の掛け声も「えぃっ!」ならば、石ころを投げる時ですら「えぃっ!」だ。
だが、フランの中での「えぃっ!」は、レキが何か凄い事をする時の合図のようなものらしい。
今もどんな凄い事が起きるか楽しみで仕方ないと言った様子だ。
観客席にいるミリスの様に、あるいはそれ以上に期待に胸をワクワクさせていた。
フィルニイリスはフィルニイリスで、レキの「えぃっ!」は呪文の詠唱のようなものだと考えているらしい。
別段レキは声を発せずとも魔術を行使できるが、魔術そのものに慣れていない為何となく声を出しているだけなのだが、フィルニイリスはそれを魔術を発動させる為のトリガーの様なものだと考えているようだ。
気合という意味では正しいが、気合なぞ試合開始からずっと入りっぱなしだし、試合中何度も掛け声は出している。
だが、フィルニイリスにとって気合と魔力は別物であり、ただの「えぃっ!」と魔力を用いた「えぃっ!」もまた別物らしかった。
フランとフィルニイリスが良く分からない「えぃっ!」談義で盛り上がる中、宰相以下レキの力を知らない者達は今までの試合を振り返りながら戦々恐々としていた。
「身体強化無しでガレムと互角とはな・・・」
「いえ、むしろレキ殿が押していたように見えましたが」
「そうか?
いや、確かにガレムは防戦一方であったな」
「はい、いくらガレム殿の戦いが守りに重きを置いたものだとしても、あそこまで徹するなどありえないでしょう。
押されていたと考えるのが自然かと」
「そうか」
貴族達と違い、ガレムの戦い方を良く知る国王と宰相は、先程までの戦いを正しく理解できていた。
だからこそ、レキが身体強化をしていなかったという事実に驚いたのだ。
それでも思考を放棄せず、理解しようと務めたのは、ひとえに彼らが国王と宰相だからだろう。
人の上に立つ者は、事態を正しく認識する必要がある。
思考を放棄する事は、人の上に立つ者には許されないのだ。
だからこそ、目の前で行われた戦いを理解しようと務めた。
「この上、身体強化を施したとなれば・・・」
理解したが故に、これから行われるであろう一方的な試合に、戦々恐々とするのだった。




