第531話:何のために剣を
「何のために剣を振るっているのですか?」
その問いに、フィルアは訝し気な視線を送るのみ。
剣を振る理由など強くなりたいからに決まっている。
強くなって弟妹達を守る為。
ただそれだけを目的に剣を振るい、それだけの為に学園に来た。
孤立した事で鍛錬に集中できるようになった、そう考えることにしたフィルアは、毎日剣を振るった。
ローザの問いかけに答える事も無く、ただ黙々と。
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翌日もローザは現れた。
問いかけても応える事は無いと察したのか、何をするでもなくただ剣を振るうフィルアを黙って見ていた。
観察していたと言った方が良いか。
答えを得られないのであれば自身で理解するしかないとでも思ったのか。
例え話しかけられてもフィルアが応じる事は無かっただろうし、仮に隣で剣を振るわれても気にもしなかっただろう。
数日後。
一年生最初の行事である野外演習が始まった。
一年生の野外演習は最上位クラスから順に行われる。
期間は五日。
フィルアは中位クラスな為、ローザとは十日ほど遅れて向かう事になった。
中位クラスは三十名。
五人で一チーム、合計六チーム。
チームごとに分かれて行動する事が決められていた。
クラスで孤立しているフィルアも学園の行事であり決定事項である以上、どこかのチームに属しなければならない。
仕方なく、女子だけで構成されているチームに入る事にした。
野外演習はただ森へ行って帰ってくるだけだと聞かされていた。
目的は生徒だけで遠征し野営を行う事。
移動に二日、森で一日過ごし、帰ってくる。
ただそれだけだと、そう聞かされていた。
最上位クラスであるローザが野外演習を行っている間も、フィルアは相変わらず中庭で剣を振るっていた。
野外演習のチームに強制的に組み込まれ、話し合いをする必要こそあったが、それも簡単な打ち合わせで終わった。
荷物は各自で持ち、料理なども得意な者が行う。
天幕は荷物になるから持って行かない事になり、代わりに毛皮のマントを一人一枚着ていく事になった。
渋々打ち合わせに参加するフィルアに、メンバーの生徒達は特に何も言わなかった。
全員が平民だったからだろう。
野営経験のある者はいなかったが、それでも一応は不足なく準備できた。
打ち合わせを早々に終え、フィルアはいつも通り剣を振るう。
そう言えば最近はローザが来ないなとも思ったが、ああそう言えば彼女は今野外演習に行っているんだとすぐに思い至った。
彼女が戻ってくるまでの五日間は、以前の様に一人で剣を振るっていた。
少しばかり寂しさを感じなかったわけでも無いが、フィルアのやる事は変わらない。
ただいつも通り剣を振るった。
五日経ってもローザが現れる事は無かった。
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ローザが姿を見せなくなって十日。
いよいよフィルアが野外演習に向かう日がやって来た。
ローザが来たなら野外演習の事を聞いてみようか、などと一瞬思ったりもしたフィルアだったが、来なかった以上仕方ない。
それに不満を抱く事も無く、ただ自分に愛想が尽きたのだろうと考えた。
これまでフィルアの方から言葉をかけることも無く、ずっと無視していたのだからそれも当然だろうと。
ローザが来なくなった理由。
それは、彼女が魔物の脅威にさらされ、恐怖と不甲斐なさ、そして突如生まれた淡い想いに戸惑いつつ、自分を見つめ直していたから。
それをフィルアが知るのは、彼女がローザと同じ脅威にさらされた後だった。
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孤立していたとはいえコミュニケーションが取れない訳では無い。
弟妹達の面倒を見る事も多く、村ではしっかり者の姉で通っていた。
常日頃から剣ばかり振るっていたフィルアは、同い年の女子より力も体力も多かったらしい。
移動に不満を漏らす事は無く、体力の少ないチームメンバーの荷物を代わりに持ってあげたりもした。
野営の支度も率先して行い、ただ料理だけは自信が無かったのでそこは他の女子に任せた。
一日目は無口ながらも意外と面倒見が良い女子として。
二日目からは寡黙ながら頼りになるメンバーとして。
チームメンバーとも次第に打ち解け始めたフィルアだったが・・・三日目に事件が起きた。
三日目。
その日は早朝から森に入り、中央にある湖を目指す事になっていた。
移動はチームごとに分かれ、各チームには念の為護衛の騎士が一人ずつ付いてくれることになった。
万が一森ではぐれ、迷子になった場合、生徒達はひとまず森の中心を目指し、騎士が捜索に向かう。
そんな説明を受けた。
フィルアのチームに付いたのは、王宮から派遣された騎士の一人、小隊長のミリスだった。
ミリスの名は他国にも有名であるらしく、フィルアも知っていた。
授業でも、特に武術の授業では女でも強くなれるという実例で紹介された事もあるほどだった。
ミリスが平民の出である事も手伝い、平民でも強くなれる、騎士になれる確かな実例として、目標にされたり憧れたりと学生の間でも特に有名だった。
そんなミリスが護衛についてくれるとあり、中位クラスの特に女子生徒は大いに喜んでいた。
あくまで護衛。
移動や野営などは生徒が主体で、騎士達は少し離れてついて歩いていたのだが、初日などは何度も後ろを見てはキャーキャーと騒がしかった。
ただ、フィルアはそれほど興味がなく、むしろ鬱陶しいとすら感じていた。
そして三日目。
憧れのミリスが直々に護衛についてくれるとあり、当然フィルア以外の女子生徒は大興奮である。
森の移動中もあれこれと話かけ、ミリスも快く応じていた。
ただ森の中央にある湖まで行って帰るだけ。
そう聞かされていたフィルア達は、森の中何の警戒もせずただ楽しそうに歩いていた。
異変が生じたのは、そんな彼女達の先頭を歩くフィルアが早く着かないかななどと嘆息した直後だった。
左右の木々がざわざわと音を立て、唐突にゴブリンが現れた。
ゴブリンとはこの世界でも特に有名な魔物である。
その個体数は多く、狩り尽くすのは不可能だろうと言われている。
生息域は大陸のいたるところ。
空や水中以外ならどこにでもいるとすら言われている。
当然、森もゴブリンの生息域である。
突然の事態に、フィルアは驚きのあまりただ茫然と立ち止まってしまった。
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例えばユミの様に、過去ゴブリンに襲われた事のある者なら、その恐怖を思い出し叫び声の一つも上げたかも知れない。
実際、森のそこかしこからは生徒達の恐怖におびえる声が上がっていたのだが、距離が離れていた為その声がフィルア達に届くことは無かった。
先ほどまで騒いでいたのもゴブリンの接近に気付かなかった要因だろう。
フィルア達のチームは、フィルアを含めてゴブリンを見たのは初めてな生徒ばかり。
その為とっさに行動を起こす事が出来ず、フィルアが我に返ったのも一匹のゴブリンが飛び掛かってきた後だった。
「あ・・・」
普段なら出さないような間の抜けた声を発するフィルア。
硬直するフィルアの服が後ろに引っ張られ、尻餅を付くと同時に、目の前に迫っていたゴブリンがミリスの剣で両断された。
そこで初めて、フィルアや他の女子生徒達の思考が追いついた。
そして。
『きゃ~~~~!!!』
叫び声を上げたのは誰だっただろうか?
少なくともフィルアでは無かったと思う。
何せフィルアは、声を上げる事も出来ず、ただ呆気に取られていたからだ。
余りの衝撃的な出来事が目の前で繰り広げられると、人はそれを現実だと認識できなくなるという。
今のフィルアがまさにそうだった。
迫りくるゴブリン。
それを両断する麗しき女騎士ミリス。
ゴブリン共の断末魔の声と上がる血しぶき。
後ろから聞こえてくる女子生徒達の悲鳴。
どれもが非現実的であり、フィルアは地面に座り込みながらしばし呆然とするしかなかった。
その後、ミリスに叱咤され、フィルアは恐怖に振るえるチームメンバーと共に森の中心へとただ足を進めた。
淡々と、黙々と。
心ここに非ずのフィルア。
チームメンバーは身を寄せ合い、体と心を震わせ、涙すら流しながら懸命にミリスの後をついて歩いた。
今一度襲撃があったなら、次は誰かが命を失うかも知れない。
ミリスがいるとは言え、女騎士一人でフィルア達を助けられるとも思えなかった。
それこそ、以前聞かされた行商人の話の様に。
滅ぼされた村とそこにいた住人の様に。
何も出来ず殺されるのではないかと、そんな想像が頭によぎった。
一度撃退したからか、あるいはフィルア達が無言で歩いていたからか。
それ以降ゴブリンに襲われる事は無く、フィルア達は無事、森の中心にある湖へと辿り着いた。
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到着した安堵からか、フィルアのチームメンバー達はその場にしゃがみこみ、お互いの無事を全身で確認し合うかのように抱き合い泣き崩れた。
フィルアもまた、湖の結界内に入った直後に膝から崩れ落ち、しばらくの間乱れた呼吸を整えるのに必死だった。
気持ちが落ち着いてくるのと同時に思考も戻り、そして、先ほどの出来事が明確に脳裏に浮かんできた。
護衛の騎士がいなければ、自分達は死んでいた。
その考えに至り、フィルアの体は今更ながらに恐怖で震え始めた。
強くなりたかった。
弟妹達を守れるようになりたかった。
その為に剣を振るい、その為に学園に入った。
学園に入れば、毎日剣を振っていれば、いつかは妹達を守れるくらい強くなれると、そう思っていた。
妹達を何から守りたいか。
どれほどの脅威がこの世界に存在しているのか。
そして、かつてフィルアが聞いたとある村を襲った脅威。
それがどれほどの物かを、フィルアは今日初めて理解した。
フィルアがこれまで身に付けた強さなど、本当の脅威の前には何の役にも立たなかった。
魔物の存在は知っていたし、理解したつもりだった。
ゴブリン程度、武器を持った大人であれば倒せると聞かされていた。
確かに個体であれば、一匹程度なら、がむしゃらに剣を振るっても倒せるかも知れない。
だが、ゴブリンの真の脅威はその数。
群れを成したゴブリンに勝てるのは一流の冒険者か騎士だけ。
まともに剣を持った事のない大人や、学園で少しばかり剣を習った程度の学生が勝てる存在ではなかった。
自分が今まで行ってきた鍛錬は何だったのか。
いざと言う時恐怖に襲われ、何も出来ない自分に幼い弟妹が守れるだろうか。
野外演習から帰還後、しばらくの間フィルアは部屋に閉じこもり、日課であった鍛錬も行わなかった。
ゴブリンの脅威は衝撃的であったが、それこそが学園の目的でもあった。
魔物の脅威をその身をもって知る事で、自分達が何のために剣を振るうのかを知る為。
日々の鍛錬は、自分達が手も足も出なかった魔物にいずれ勝つ為のもの。
再開した授業の初日にその話をされ、流石に生徒達の反発も大きかった。
だが、貴族がどのような存在から民を守るのか。
守られている平民達もまた、貴族がどのような存在から自分達を守ってくれるのか。
それを知る為に必要だったと言われれば、次第に反発も無くなった。
そしてフィルアも、あれこそが将来弟妹達を襲うかも知れない脅威である事。
フィルアが強くなるのは、ああいった存在から弟妹達を守る為なのだと知り、ようやく立ち直る事が出来た。
今まで知らなかった本物の脅威を知る事が出来た。
フィルアが身に付けたかった強さとは、あのゴブリンから弟妹達を守れる強さなのだ。
フィルアは再び剣を取り、中庭での鍛錬を再開した。
久しぶりに中庭へとやってきたフィルアは、そこで数日ぶりとなるローザと再会した。
「お、お久しぶりです」
「ん」
言葉少なく挨拶を交わし、フィルアは再び剣を振るう。
ただ、その剣は今までとはどこか違った。
「あなたはどうして剣を振るっているのですか?」
それがローザにも分かったのだろう。
最初に剣を振るう理由を聞かれて以降、挨拶くらいしかしてこなかったローザが同じ問いをフィルアに投げかけた。
今まではただ強くなりたかった。
その為に剣を振るっていたフィルアだが、今は違う。
強さの指標が出来、具体的な強さを見ることも出来た。
だからだろうか、半ば無意識に、フィルアはローザの問いに答えた。
「守りたい者を守れる強さが欲しいから」




