第32話:街へ入るために
昼食後も歩き続けたレキ達。
「ねぇ、なんか見えるよ」
「ん、どれじゃ?」
「ほら、あれ!」
レキの指さす方に見えるのは大きな壁だった。
高さは森の大木ほど。
オーガですら容易には超えられないであろう巨大な壁は、魔物から人を守る為の防護壁だった。
「ん?
なんじゃあれはっ!?」
「おっきいよね」
レキ達が歩いてきた平原。
その後ろにあるのはこの世界で最も危険な場所、魔の森である。
通常よりはるかに強力な魔物が闊歩し、常人では半日以上いられない濃い魔素のあふれる森は、人が決して踏み入ってはならない場所。
平原を隔てて存在する魔の森は危険と恐怖の象徴でもあった。
だからこそ人は、その森から平原を隔てて生活を送っている。
魔の森から歩いて三日ほど。
そこが、魔の森から最も近い人々が生活を送る場所であり、目の前にそびえる壁こそが人と魔物を隔てる境界線なのだ。
エラスの街。
フロイオニア王国内にある、魔の森に最も近い街。
魔の森を出て三日目、レキ達一行はようやく街へと辿り着いた。
「ふわぁ・・・」
「すごいのう・・・」
目の前に聳え立つ壁を、レキとフランがぽかんとした顔で見上げた。
最果ての街ともいわれるこの街は、文字道り人々が暮らす街としては最も魔の森に近い場所にある。
その為に設けられた、街と平原を隔てる壁は高く硬く、同時に魔物を寄せ付けない為の工夫が仕込まれている。
「魔の森の小屋にあった魔石。
あれと同じ物が壁に埋め込まれている」
魔物は魔素を好む為、魔素を吸収してしまう魔石は魔物を寄せ付けない効果がある。
よって、こういった比較的大きな街には魔石が埋め込まれた壁が作られているのだ。
「そろそろ行きましょう」
「うむ!」
いつまでもここで眺めていても仕方ない。
リーニャの合図に、レキ達は再び街へと歩き出した。
日はそろそろ沈み始める頃合い。
もう三日も歩き通しだったのだ。
一刻も早く街に入り、ひとまずの疲れを癒して明日からの移動に備えなければならない。
やがて、レキ達は壁の傍までやってきた。
聳え立つ壁の一角には門があり、街の衛兵がその傍に立っている。
「街に入るには身分証がいる。
商人なら商人ギルドの、冒険者なら冒険者ギルドのギルド証を提示する。
貴族なら家紋や紋章があれば良い」
「オレは?」
「レキの場合は提示できるものがないので、代わりに銀貨一枚を支払う必要がある」
「ぎんか?」
「お金ですよ」
「・・・お金取るの?」
レキの生まれた村は閉鎖的であり、行商人など滅多に訪れない村だった。
村は自給自足な生活を送っており、各家庭で足りない者は村人同士で融通し合っていた。
その為、普段の生活で貨幣は必要としていなかった。
貨幣を知らないわけではない。
村で採れない物、用意できない物は近くの街へ買いに行く必要があった。
幼いレキはその買い出しに同行した事は無かったが、街の様子やどうやって購入するかなどは多少聞いた事があった。
因みに、この世界の貨幣に単位は無く、使用される貨幣の種類で金額が定められている。
使用される貨幣は以下の通り。
銅貨
銀貨
金貨
白金貨
もっとも低い貨幣が銅貨、高い貨幣が白金貨であり、銅貨を1とした場合銀貨は100、金貨は10,000の価値となる。
白金貨は10,000,000ほどの価値があるが、普段の生活ではまずお目にかからない貨幣だ。
銅貨一枚でパンひとつ買える程度で、金貨一枚あれば一家族なら一年は暮らせるだろう。
「銀貨と引き換えに仮の身分証が発行される。
その身分証があれば街の中では困らない」
「あくまで仮の身分証ですから、街を出る際は返却する必要がありますよ」
「えっ、なんで?」
「素性の知れない者を不用意に街に入れない為。
不満なら商人なり冒険者なりのギルド証を発行して貰えば良い」
「ちなみに商人ギルドに入るにはいろいろ条件がありますね」
「冒険者ギルドも同様だな。
と言っても冒険者になる条件など年齢と実力くらいだがな」
「知ってる!
大人にならないとダメなんだよね?」
「ええ、正確には12歳になってからですね」
「12歳・・・」
この世界の成人は15歳。
だが、15歳になればすぐ働けるという訳ではなく、商人なら一人前になるまで数年の期間が必要となる。
それまでの期間は下働きとも見習いとも言われ、当然ながら下働きをさせる為にわざわざ大人を雇う必要は無い。
という理由で12歳になった子供を下働きとして雇い、15歳になるまで面倒を見るのがこの世界の各ギルドの通例となっていた。
成長段階の年齢ではあるが、子供ほど力が弱い訳では無く、ある程度の雑用ならこなせるだろうという事で、どのギルドもこの年齢から登録が許可されているのだ。
「まぁまぁ。
今回はフラン様の従者ということで問題なく入れるはずですよ」
「護衛じゃないの?」
「その格好では無理がありますね」
「ああ」
ちなみにレキの格好と言うのはなめした魔物の毛皮に穴を開け、頭から被った後適当な木の蔓で腰の部分を縛っただけの、およそ服とは言えない代物。
街中ではスラムなどで良く見かける格好でもある。
「レキの服は街に入ってから考える。
問題はどう言って入るか」
「うにゃ?」
フランは王族である。
通常ならフロイオニア王家の紋章を提示すればノンストップで入れるだろうが、今は事情が違う。
「姫の場合、王家の紋章を見せれば問題なく入れる」
「うむ!
当然じゃ」
「紋章を見た衛兵が街の領主に連絡する。
そして領主が迎えに来る」
「うむうむ!」
「その後、領主の屋敷に案内され、この街での滞在中は屋敷に泊まる事になる」
「宿じゃないんだ」
「王族を街の宿に泊める訳にはいかない」
「うむ!」
「そして領主は城へ連絡をする」
「うむ」
「さっきからうむばっか言ってる」
「う、うにゅ」
フィルニイリスの説明に対する相槌がお座なりになったのを指摘され、言葉を変えた結果良く分からない返事になるフランである。
フィルニイリスの説明に問題はなく、今のところは返事をする必要もないのだが。
問題はここから。
「城への連絡が着いたら迎えが来る」
「う、うむ」
「ここから王都まで約十日前後、馬を飛ばせば七~八日。
王宮での準備と迎えの移動時間を考えて、二十日前後の間私達は領主の屋敷に泊まる事になる」
「うむ」
「二十日前後の間、姫は屋敷の中で過ごす事になる」
「・・・うにゃ?」
「迎えが来るまで屋敷から一歩も出られない」
「な、なぜじゃ?」
フィルニイリスの告げた「滞在中は屋敷から出られない」という言葉に、フランが戸惑いの声を上げた。
「何故なら私達は野盗に追われる身。
万が一を考えれば当然」
「領主の屋敷ほど安全な場所はそうありませんからね」
「護衛の騎士もいるだろうしな」
元々、フラン達は野盗に追われ、このエラスの街へ来たのだ。
魔の森へ逃げ込み、偶然レキに出会い街まで辿り着けたものの、まだ安全とはいい辛い。
どこに野盗の追っ手が潜んでいるか分からないからだ。
「王族である姫を街の宿に泊めるなど、どの街の領主も許可しない。
屋敷で持て成すのが普通」
「仮に街を散策されるなら、私達以外にも大勢の護衛の方が付いてくださるでしょうね」
「姫様の望む自由な散策は、まあ出来ないだろうな」
「うにゅ~・・・」
「そっか~・・・」
仲良く顔を見合わせ、レキとフランが肩を落とす。
行く先々の街の散策はフランの楽しみの一つだ。
初めて訪れるエラスの街、そこにはどんなお店がありどんなお菓子が売っているか、とても楽しみにしていた。
それはレキも同じ。
エラスどころか街自体が初めてとなるレキは、旅の最中フランから聞かされていた街の様子に期待を膨らませていた。
小屋から持ち出した魔物の素材、それを売ったお金でお菓子を食べようとフランと約束もしているのだ。
王家の紋章を掲げ、王族として街に入れば領主の館に招かれるらしい。
加えて、ここは最果ての街エラス。
魔の森に最も近いとされるこの街は、以前は森に挑もうとする冒険者であふれていたそうだ。
魔の森へ入り、帰ってきた者は少ない。
だが、帰ってきた者達はそれに見合う名声と、何より魔の森の魔物の良質な素材を手に入れてきた。
エラスの街のみならず、魔の森にほど近い街はそんな冒険者達で賑わっていたのだが・・・。
今から三年ほど前、魔の森周辺の村がことごとく滅ぶ事件が起きた。
原因はいまだ不明。
生き残った者はおらず、魔の森に隣接する村全てが滅んだ事から、魔の森の魔物が何らかの理由で溢れ、周辺の村を襲ったのではないかと言われている。
その事件以降、魔の森周辺から村は消え、また再建される事も無かった。
原因がわからぬ以上、下手に村を再建してもまた滅ぼされる可能性があるからだ。
魔の森から最低でも三日は距離を空けて住まねばならない、というのが今のこの世界の現状であった。
以前は、魔の森に隣接する街や村で最終的な準備を整えたのち、森へ入るのが当たり前だった。
だが今は、魔の森まで最低でも三日はかかる距離にしか街が無い。
そこから移動し、野営を繰り返しつつ魔の森へ入るのは、正直厳しいものがあった。
そういった経緯もあり、エラスの街からは徐々に人が減っていった。
人が減れば景気も下がる。
街からは活気が失われ、住人の数もかなり減ってしまった。
仕事を失い生活に困った者達がスラムのような地区を形成し、そこに住み着くようにもなった。
スラムはまた、脛に傷を持つような者達が逃げ込む場所にもなる。
エラスの街の治安は、少しずつ悪くなっていた。
王族たるフランが自由に出歩けるような街ではなくなっているらしい。
「む~。
でも、わらわにはフィルやミリス、それにレキがおるぞ?」
「私はこの街でやる事がある」
「ミリスは?」
「ミリス様は私の護衛として買い物に付き添って頂きます」
「買い物?」
「ええ、食料や衣類、他にも道中で失った物がたくさんありますので。
ただ、私一人だと流石に不用心ですので、ミリス様に護衛として付き添って頂けないかと」
「ああ、大丈夫だ」
フィルニイリスのやるべき事が何なのかは分からないが、おそらく聞いても教えてくれないだろう。
経験からそれを知るフランは、フィルニイリスではなくミリスに頼もうとしたのだが、こちらはリーニャに取られてしまった。
「わ、わらわも一緒に」
ならばと自分も買い物に付き添おうとしたのだが・・・
「そうしたいのは山々なのですが、おそらくこの街の領主様が許可なされないかと」
「姫に何かあれば領主の責任。
それを回避するには屋敷から出さないのが手っ取り早い。
問題さえ起きなければ取るべき責任も無いのだから」
「う~・・・」
そもそもフロイオニア王国の王女であるフランを治安の悪い街で出歩かせる事自体問題である。
いくら腕利きの護衛がいたとしても、何事にも万が一というのがあるのだ。
その万が一を回避するには、屋敷から一歩も出さなければ良い。
もちろん買い物などもっての他である。
「・・・うにゅ」
街に入ろうとした時の勢いをすっかり失ったフラン。
俯き肩を落とし、全身で落ち込みを表現している。
「姫が王家の紋章を提示して街に入った場合は、以上の事が想定される」
「うにゃ~・・・」
「レキはレキで屋敷に入れない可能性がある」
「えっ!?」
突然話を振られ、レキが驚く。
街の散策を楽しみにしていたレキだが、領主の屋敷というのも少し楽しみだった。
それを見透かされ、しかも自分だけ屋敷に入れないと言われれば驚くのも無理はない。
誰だって仲間外れは嫌なのだ。
「おそらくは大丈夫だと思いますよ?
ですが、私達にとっては命の恩人でも街の領主からすれば素性の分からない子供でしかありませんから」
「滅びた村の生き残りにして魔の森で三年もの間生き伸びた子供。
どう考えても胡散臭い」
フィルニイリスが簡単にまとめたレキの素性、それはレキを知る者からすれば凄惨な人生と言えるだろう。
だが、知らない者からすればとてもではないが信じられる話ではない。
魔の森周辺の村が一斉に滅びたというのは、何もフロイオニア王国に限った話ではない。
当然、各国が連携して調査を行っている。
結果、生き残りはおらず、原因は不明。
ただ魔の森周辺の"全て"の村が滅んだという事実だけが判明した。
それから三年。
突如現れた村の生き残り。
しかも魔の森に逃げ込み、そこで三年もの間たった一人で生き抜いてきたという少年。
そんな事を言われて、果たして誰が信じるだろうか。
実際に魔の森で出会い、オーガを軽く倒した光景を見せられなければ、フィルニイリス達とて信じなかっただろう。
「領主の屋敷から追い出される可能性がある」
「ど、どうしよう・・・」
「適当な宿屋に泊まってもらうしか無い」
「まあ、日中は私達と一緒に過ごせますから、分かれるのは寝る時だけですけどね」
「その場合、日中を共に出来ないのは姫だけということになる」
「うにゃ!?」
つまり、日中はフランが領主の屋敷に閉じこもり、その他の者は街中で行動する。
日が沈めば今度はレキだけが一人宿屋で過ごす、という事だ。
当然納得の行かないフランである。
魔の森を抜けてからはや三日、少なくとも歩く事に関しては文句も言わず頑張った結果がこれだ。
街に着いたらレキや皆と一緒にいろいろ散策しようと考え、子供にはつらい行程も我慢して来た。
それが、いざ着いてみたら屋敷に閉じ込められる(正確には違うのだが、フランにはそう聞こえた)など納得できるはずも無い。
だが、いくら不満を言ってもフランが王族である限りどうしようも無い話だった。
落ち込み、叫び、そして項垂れたフラン。
まだ八歳のフランには打開策など思い浮かばなかった。
「姫として街に入った場合はこうなる。
でも、姫はそれで良い?」
「いやじゃ!!」
「ではどうする?」
「うにゃ?」
そんなフランにフィルニイリスが問いかける。
フィルニイリスの言葉に、振り上げた拳をそのままにフランが首を傾げた。
どうするも何も、街に入るには王家の証が必要であり、その証を掲げれば屋敷に閉じ込められる。
だが、証を掲げなければ街にすら入れないわけで・・・。
「・・・えっと」
「王家の紋章で入れば姫は監禁される」
「いや監禁て・・・」
「で、でもわらわが王族なのは仕方ないのじゃ・・・」
「姫が王族と言うのは紋章が証明している。
逆を言えば、紋章さえ見せなければ王族として扱われる事は無い」
「・・・うにゃ?」
屋敷に監禁されない為には証を見せなければ良い。
それはフランにも分かる。
だが、それでは街に入れないのではとフランが再び首を傾げた。
「姫が姫として入らなければ領主の屋敷に招待される事はない。
その場合はただの平民として過ごすことになる」
「・・・うにゃ?」
「街に入っても誰も見向きもしない。
領主も屋敷に招かない。
料理はごちそうではなく些末な物かも知れない。
宿も干し草を詰めただけの寝床かも知れない。
当然城への連絡などつかないし、迎えも来ないので私達で王都へ向かう事になる」
王族として街に入れば監禁(?)される。
なら、王族として入らなければ良いという話。
ただし、その場合は当然だが王族としてではなく一般市民として入る事になる。
領主に屋敷に招かれず、街にある一般向けの宿で豪華とは言えない食事を取り、普通の寝床で寝る。
そもそもが治安の悪く、訪れる商人や冒険者も少なくなった街である。
食事処の質はお世辞にも良いとは言えないかも知れないし、宿も利用客が少ない以上手入れが行き届いていない可能性がある。
これまでずっと、フロイオニア王国王女として蝶よ花よと愛でられ扱われてきたフランには耐えられないかも知れない。
そう考えたフィルニイリスが、予め説明をしたのだ。
王族としての待遇を望むならその分不自由を強いられ、自由を望むなら高待遇は望めないという事を。
「それがどうしたのじゃ?」
「・・・良い?」
「うむ!」
「食事が美味しくなくても?」
「食べられればなんでも良いぞ」
「宿屋も汚くても?」
「野営も楽しかったのじゃ?」
「・・・誰も姫の世話をしてくれなくても?
自分の事は自分でやらなければならない」
「ふふん、着替えくらい自分で出来るのじゃ」
「最悪食事すら自分達で用意しなければいけないかも知れない」
「料理も覚えたのじゃ」
「いえ、あれはただ切って焼いただけでとても料理と言えませんよ」
「うにゃ・・・」
元々素直で活発な良い子のフランである。
歩いての移動も文句を言わず、野営もむしろ楽しんでいた。
料理はおろか薪拾いすら手伝い、干し肉も美味しく食べた。
今更料理や寝床に文句など言うはずもない。
普通の貴族なら、街へ着くまでの質素な生活に我慢の限界が来て、何が何でも領主の屋敷に泊まりたがるもの。
だが、どうやらフランはその普通には当てはまらないらしい。
これも教育の賜物か、あるいはフランだからか。
いずれにせよ、フランは高待遇だが不自由な生活より、質素でも自由を選ぶようだ。




