第29話:レキの魔術
「ご、ごめんフラン」
「うにゃ~・・・びしょ濡れじゃ~」
「あらあら・・・」
濡れた服を脱ぎ、森の小屋から持ってきた毛皮に身を包むフラン。
消えかけていた焚き火にもう一度火を灯し体を温める。
幸い、今の時期はそれほど寒くは無い。
天気も良く、濡れた服も昼には乾くだろう。
その間、ここから動けなくなったのは時間の損失ではあるが。
魔術の暴発。
己の魔力を制御しきれず、想定以上の魔術が発動してしまう現象。
覚えたての魔術を行使する際、稀に発生する場合がある。
行使する魔術に対し、必要となる魔力量が分からず、必要以上に込めてしまうのが主な原因と言われている。
特に、魔術に慣れていない者が起こしやすい。
そういう意味では、初めて魔術を使うレキが暴発させてしまったのは仕方ないと言えるだろう。
問題があるとするなら、その威力が通常の暴発よりはるかに大きかった事と。
「呪文は?」
魔術に必要な三要素の一つ、呪文の詠唱を行わずに魔術を発動させた事。
特に後者は、宮廷魔術士長であるフィルニイリスにとって予想外だった。
「あっ、忘れてた!」
「忘れ・・・」
魔術に必要な三要素である魔力・詠唱・イメージは、基本的には一つでも欠ければ魔術は発動しない。
魔力は魔術のいわば燃料である。
魔術は魔力を消費する事で発動する為、魔力を込めなければ発動しない。
詠唱は魔術を発動させる為の鍵とも言われており、正しい呪文を詠唱する事で自動的に魔術が発動する。
イメージについては発動させる魔術の形を定める為であり、イメージしなければただ魔力を放出するだけで終わってしまう。
その内、魔力とイメージが必要な事は先ほどレキが実証したばかりだ。
「レキ、もう一度。
今度はリムを」
「リムって・・・あっ、フランの風だ」
「そう。
呪文はいらない。
魔力とイメージ、それだけに注意して」
「うん!」
呪文も魔術に必要な要素の一つである。
宮廷魔術士長であるフィルニイリスが、基本魔術ですら呪文を唱えているのがその証拠だろう。
それは、長い間伝えられてきた魔術の基礎。
だが、レキは呪文の詠唱をせずに魔術を発動させてしまった。
過去に呪文を詠唱せず魔術を行使しようと試した者は多い。
フィルニイリスもその一人だ。
呪文の詠唱にはどうしても時間がかかる。
その間、魔術士は無防備になってしまう。
フィルニイリスが騎士であるミリスと組んでフランの護衛に当たるのも、自分が呪文を詠唱する間ミリスに時間を稼いでもらう為だ。
もちろん、ミリスもフィルニイリスの魔術を頼っている。
自分が前衛で敵を引き付け、フィルニイリスが止めを刺すと言う役割に不満を覚えた事は無い。
だがもし、魔術の行使に呪文の詠唱が必要なければ・・・。
試した者は多いが、結果は・・・フィルニイリスが今も呪文を詠唱している事でも分かるだろう。
ほとんどの者が、魔術そのものが発動しなかった。
ごく一部の者だけが、レキの様に無詠唱で魔術を発動させる事に成功しているが、威力が低すぎたり、想定以上の魔力を消費してしまったりと、詠唱するよりはるかに効率が悪かった。
具体的に言えば、簡単な火を起こすのに家一軒を燃やすほどの魔力が必要だったのである。
呪文の詠唱とは、イメージ道りの魔術を効率よく発動させる為に必要なのだ。
「えっと・・・"リム"っ!」
同じように両手を前に突き出し、再びレキが気合を入れる。
呪文の詠唱はいらないと言われたが、何せ先ほどまで魔術を使った事が無いレキだ。
何も言わずに発動できるほど器用ではなく、かと言って呪文全てを覚えているほど賢くない。
だからこそ魔術名だけは唱えたのだが。
「おおっ!」
「・・・」
ゴウッ!
という音を鳴らし、風がうなる。
少し離れた場所にいるミリスが驚きの声をあげ、フィルニイリスは無言でレキの起こした風に見入った。
緑系統の基本魔術リム。
風を生み出す魔術。
と言ってもその威力は枯れ木を飛ばしたり髪の毛を乾かしたりする程度。
まともに食らったところで、精々驚いたり髪の毛がぐしゃぐしゃになる程度で、間違っても人一人を軽く吹き飛ばしかねないほどの風を生み出す魔術ではない。
つまり、レキの二度目の魔術は、今回も正しく暴発したのだ。
――――――――――
「"エド"っ!」
ゴウッ!
「次、エル」
「"エル"っ!」
ゴゴゴッ!
フィルニイリスの命じるままに、レキが魔術を発動させた。
赤系統の基本魔術エド。
指先に火を灯す程度の、本来なら薪に火をつける際に使用する魔術。
レキが使うそれは、家一軒くらいなら燃やし尽くせるだろう。
黄系統の基本魔術エル。
本来なら地面の土を動かす程度の魔術も、レキの場合は地面に亀裂が走った。
どちらもある意味では失敗であり、フィルニイリスにとっては予想道りの結果だった。
お手本と称して、事前にフィルニイリスも使って見せている。
エドは指先に火がともり、エルは地面から土がボコッと飛び出た。
間違っても家を燃やすほどの火を出していないし、地面に亀裂も走っていない。
「魔力を込めすぎ。
もう少し力を抜く」
「うん!」
それを、フィルニイリスは魔力を込めすぎであると断じた。
それはある意味正しく、同時にありえないはずだった。
いかに魔力を込めたとて、基本魔術で家を燃やす事は出来ない。
地面に亀裂が入るほどの魔術は、もはや基本魔術と呼ばないだろう。
何より、呪文を詠唱せずにこれほどの魔術を行使するには、通常の魔力量では到底不可能なのだ。
フィルニイリス自身、過去に呪文を詠唱せず魔術を発動させようと試した事がある。
結果は、上級魔術をイメージして魔術を行使しても、発動こそしたものの初級以下の威力でしかなかった。
それでいて消費した魔力は正しく上級魔術並なのだから、割に合わないどころの話ではない。
数発も打てば魔力枯渇に陥るとあっては、とてもではないが使い物にならない。
「次、リム」
「"リム"っ!」
ゴウッ!
フィルニイリスの指南の下、レキは先ほどから何度も、呪文を詠唱せずに魔術を発動させている。
使っているのは基本魔術。
だが、その威力は基本魔術とは呼べない。
威力だけなら中級並みである。
消費される魔力はそれ以上だ。
常人ならとっくに魔力枯渇に陥り、意識を失っているだろう。
「次、ルエ」
「"ルエ"っ!」
ドウッ!
念の為、先ほどから誰もいない方へ向けて魔術を行使するレキ。
まるで湖でも作りかねない程の水をいともたやすく生み出すレキに、フランがキラキラした視線を送っていた。
リーニャとミリスは、最初こそ驚いていたものの今は野営の後片付けをしている。
「まだ多い。
もう少し力を抜いて」
「うん!」
フィルニイリスの指南にレキが元気に頷く。
生まれて初めて魔術を使っている為か、今のレキはとても楽しかった。
魔力を込めすぎているのもその辺りが原因だったりするのだが、レキもフィルニイリスも気が付いていなかった。
「"エド"っ!」
ゴウッ!
再びレキの手から、大木を焼き尽くすほどの炎が生み出された。
今まで、詠唱無しでの魔術は不発に終わるか威力が極端に落ちるものでしかなかった。
フィルニイリス自身、詠唱無しでは初級魔術は発動せず、上級魔術は初級魔術並の威力しか出なかった。
無詠唱で魔術を行使するには、最低でも上級魔術並の魔力が必要である。
これが、魔術士たちが導き出した結論だった。
おそらくそれは間違っていない。
だが、レキの魔術を見る限り、魔力さえあれば上級魔術もイメージ道りの威力で発動できるかもしれない。
魔力さえあれば無詠唱でも魔術は発動する。
ただし、必要とされる魔力量が膨大過ぎる為、上級魔術並の魔力を注いでようやく初級程度の威力にしかならないというのがこれまでの考えだ。
ここで注視すべきは、初級並みの威力であっても発動する魔術は確かに上級魔術である、という点だろう。
例えば、威力と速度、更には周囲を焼き尽くすほどの炎の槍をいくつも生み出す上級魔術の場合。
無詠唱で行使したそれは、そこらに生えている雑草を燃やす程度にしかならなかったものの、それでも確かに炎の槍ではあった。
周囲を凍てつかせる絶対零度の魔術も、天から雷を降らせる魔術も、大地を割る魔術も。
どれも威力や規模は小さいながらも、確かに上級魔術ではあったのだ。
通常、魔力が足りなければ魔術は発動しない。
無詠唱で魔術を行使した場合、初級魔術は軒並み発動しなかった。
だが、上級魔術は威力や規模が小さいだけで発動はした。
その違いはなんだろうか。
レキに魔術を教えながら、フィルニイリスは一つの仮説を立てていた。
それは、魔術には発動させる為に必要な最低限の魔力量というものがあり、無詠唱ではその魔力量が膨れ上がるのではないか、という事だ。
例えば基本魔術。
必要な魔力量を仮に10とした場合、呪文を詠唱しつつ必要となる10の魔力を込める事で、イメージ道りの基本魔術が発動する。
この10という魔力を込める際、フィルニイリス達魔術士はその魔力量を無意識に調整し込めている。
これは経験からなる事であり、熟練の魔術士なら行使する魔術をイメージする際、同時に10必要な魔術なら10の魔力を、20必要な魔術なら20ほどの魔力を込め、魔術を行使しているのだ。
その方が無駄が無く、長期戦を戦い抜くには必須の技術だからである。
仮に、呪文を詠唱しない事で、必要となる魔力が数倍に膨れ上がるのだとしたら。
基本魔術を発動させるのに必要な魔力量が10だとして、それが無詠唱の場合は50になるとしたら。
無意識に10しか込めていなければ、発動しないのも当然だろう。
発動こそしたが威力が低かったという上級魔術に関して言えば・・・。
通常なら100の魔力を込めて発動させている上級魔術も、ただ発動させるだけなら20で十分だったとする。
この場合、発動した魔術は前述した雑草を燃やす程度でしかなかったとしても、魔術自体は発動している。
仮に、無詠唱で魔術を行使する場合、その数倍の魔力が必要となるのであれば、無意識に100の魔力を込めたフィルニイリスでは最低限の威力でしか発動できなかったというのも納得がいく。
通常の詠唱魔術で行使する際の必要魔力量と、無詠唱で魔術を発動させるのに必要な最低限の魔力量が近かった為、発動こそしても威力が低かったという事なのだ。
結論から言えば、同じ魔術でも詠唱有りと無しとでは必要となる魔力量が大きく違うという事。
その違いを理解し、魔力を調整しなければ無詠唱魔術をイメージ通りの威力で行使する事は出来ないのだろう。
己が建てた仮説を脳内で精査しつつ、フィルニイリスがレキの魔術を見る。
レキが使っている魔術は、どれも威力こそあるが上級魔術とは言えない物。
原因はおそらく、レキが上級魔術を見た事が無いからだろう。
魔術に必要な魔力・詠唱・イメージ。
そのうちのイメージがレキには無いのだ。
だからこそ、レキが先ほどから使っている魔術は、どれも基本魔術の威力が増大したものでしかない。
水を球状に固めて飛ばす事も無ければ、火を矢のように飛ばすことも無い。
風で遠くの木々を切断する事も無いし、地面より土の槍を生み出す事も無い。
どれも、イメージが無ければ使えない魔術ばかり。
だが、イメージさえ伴えば・・・。
ただでさえ基本魔術で大木を焼き尽くすほどの炎を生み出したレキである。
これに明確なイメージが伴えば、大木はおろか森すらも焼き尽くしかねない。
レキにちゃんとした魔術を教えるのは、少なくとも魔力を制御できるようになってから。
まずは手加減を覚えさせよう、そう決意したフィルニイリスだった。




