第178話:ガージュ=デイルガと魔術の授業
ユミが新しい武器を選んでいる頃、別の場所ではガージュが一心不乱に剣を振っていた。
入学初日の模擬戦でルミニアにこてんぱんにやられたガージュ。
これまで、ガージュは武術の手合わせで負けた事は無かった。
デイルガ家が雇った指南役の騎士ですらガージュの剣に手も足も出なかったのだ。
それが、槍のイオシスの娘とはいえ同い年の女子に負けた。
ただでさえルミニアには光の祝祭日の宴などで雑な扱いを受けていると言うのに、武術でも魔術でも座学でも負けていると知ったガージュの屈辱はいかほどか。
その悔しさをばねに、ガージュはこの一月ひたすら鍛錬を重ねていた。
なお、ガージュが負けた事が無いのはガージュが強いからでは無く、指南役の騎士達が過剰なほど手加減をしていたからだ。
デイルガ伯爵家の嫡男ガージュに万に一つも怪我を負わせてしまったら、指南役を解雇されてしまうかも知れない。
解雇とまではいかずとも心証は悪くなるに違いない。
ガージュの指南役に選ばれた者達は、皆ガージュを通じて伯爵家に取り入る事しか頭に無い者ばかり。
ガージュやガージュの父親の顔色を伺うばかりで、誰も本気でガージュを鍛えようとは考えていなかったのだ。
ガージュが一方的に攻撃し、相手はそれを受けるだけ。
指南役の者達はかわす事すらしない。
かわせば、攻撃が当たらなかったなどと言ってガージュの不興を買う恐れがあったからだ。
防御など教わらず、手合わせや模擬戦以前の、指南役という名の的めがけてただ突くだけの剣。
攻撃こそ鋭く、速度もそれなりのものを得たが、それは剣術とすら呼べない物だった。
そんな剣が、槍のイオシスの異名を持つ父親に習い、レキやフランとともに槍を振るい続けたルミニアに通じるはずもない。
武術の試験ではルミニアが二位でガージュは九位。
同じ最上位クラスと言えども実力差は明らかで、案の定ルミニアに惨敗した。
激昂し、がむしゃらに振り回した武器がルミニアの頬をかすめたものの、ガージュが出来たのはそこまで。
その後ルミニアがガージュを冷静に倒したのである。
行われたのはただの手合わせ。
本来ならお互いの実力を見せ合う為の試合だった。
その試合中感情のままに武器を振るい、上位貴族かつ女子であるルミニアの頬に傷をつけたという、貴族とは言えない戦いっぷりをガージュは晒してしまったのだ。
初日に醜態を晒したガージュ。
以降はこうして、おとなしくも真面目に鍛錬する日々を送っていた。
武器も、元々使っていた細剣ではなく騎士剣に持ち替えた。
細剣ではルミニアを初めとした最上位クラスの面々に勝てないと悟ったからだ。
ルミニアは言うに及ばず。
ガージュの突きではフランやミームを捉える事は出来ない。
カルクもあれでそれなりに強く、ユーリは同じ貴族ながらガージュと違ってしっかりと剣術を学んでいた。
ユミはあの体躯からは信じられないほど力があり、ガージュの突きなどその剣の一振りで払ってしまう。
ガドはガドでそんなユミの攻撃を斧で受け続けた猛者だ。
森人のファラスアルムにならガージュでも勝てるが、彼女に勝っても何の自慢にもならない。
種族的にも、本人の資質的にも、性格的にも、武術が苦手なファラスアルムに勝ったところで何をどう誇れというのだ。
純人族以外を見下しているガージュだからこそ、そんな相手からの勝利になんの意味も見いだせないのだ。
もう一人の例外であるレキは、ガージュがどんな手段を用いたところで勝てないだろう。
あれでもフラン王女の護衛であり、剣姫ミリスの愛弟子なのだ。
ガージュが勝てないのも当然である。
問題は、平民であるカルクとユミ、そして獣人族のミーム。
ガージュは伯爵家の息子である事に誇りを抱いている。
父親を尊敬し、将来はそんな父の跡を継ぎたいと心から思っている。
貴族は平民の上に立つ存在でなければいけない。
それは身分や爵位だったり、武術や魔術、教養だったりと、あらゆる面で平民より優れて無ければならないと、ガージュは本気で考えている。
同時に、自分はそこら辺の平民より優秀な存在であるとも。
実際、ガージュは学園でも優秀な方だ。
そもそも最上位クラスに入れた時点で、一年生全百名の上位十名に入っている事になる。
最上位クラスの中では武術も魔術も下から数えたほうが早いが、それでも同年代の子供の中では遥かに優秀なのだ。
だからこそガージュは納得がいかなかった。
最上位クラスに入れる程優秀な自分が、平民や他種族に劣っている事が。
ユーリは良い。
同じ貴族であり、爵位こそ自分より下だが、だからこそ頑張ってきたのだろうと思えるからだ。
自分も学園に入る前は勉強に剣術に、そして魔術にと自分なりに頑張ってきた。
内容こそお粗末なものだったが、それでも一生懸命やってきたのだ。
ユーリは多分、自分より頑張ったに違いない。
三男であるが故に跡継ぎになれないユーリが自分より頑張るのは当たり前である。
ルミニアも良い。
彼女は自分より爵位が上で、おそらくは自分より優れた環境で育ってきたのだろう。
父デシジュ曰く、ルミニアは幼少の頃は体が弱く、武術より読書を好んだそうだ。
入学試験の座学で二位だったのはその為だろう。
武術に優れているのは、ルミニアの父ニアデルのお陰に違いない。
槍のイオシスと呼ばれるニアデル=イオシスを父に持てば、ルミニアでなくとも強くなれるに決まっている。
フランなど優秀で当たり前だ。
貴族社会の頂点に立つ王族なのだから。
優秀でなければ人の上に立つ資格など無い。
フランの側には王国最強の騎士である騎士団長ガレムを筆頭に、剣姫ミリス、宮廷魔術士長フィルニイリスがいる。
彼ら彼女らに幼少の頃から鍛えられれば、誰だって強くなるだろう。
そもそも王族なのだから優秀なのも当然である。
問題はその他の面々。
伯爵家の嫡男であるガージュより優秀な平民や他種族など存在してはならない。
何故ならフロイオニア王国は純人族の国で、ガージュはその国の貴族の子供なのだから。
そんなガージュより優秀な平民や他種族が、この国にいるなどあってはならないのだ。
ガージュは幼少の頃よりそう父親に教わってきた。
尊敬する父がガージュに間違った事を教えるはずは無く、ガージュはそんな父の言葉を信じて頑張ってきた。
父デシジュの教えは「貴族たるもの平民より優秀であれ」というものであり、どちらかと言えば平民の上に立てるよう頑張れという激励の言葉である。
それを周囲の教師達が無意味に持ち上げたが故に、「貴族は平民より優秀である」という言葉にすり替わっていた。
もちろん全てが歪んだわけでは無い。
ユミやカルクを妬む事はあっても陥れようとはしていないのがその証拠である。
ユミやカルクが自分より強い事に納得はしていない。
だからこそ彼ら彼女らより強くならなければと、こうして鍛錬に勤しんでいるのだ。
今は一人で鍛錬しているガージュだが、一応全員と模擬戦は行っている。
結果は前述した通り、ファラスアルム以外には敗北を喫している。
だからこそこうして鍛錬に勤しんでいるのだが、一人で強くなるのは限界があるだろう。
そこにガージュが気づかない限り、おそらくガージュはファラスアルム以外の誰にも勝てないままである。
入学の際、父親にはフランやルミニアと友好的な関係を築けと言われている。
伯爵である父デシジュが今よりも高みへ至る為には、王族であるフランや公爵家の娘であるルミニアに取り入るのが手っ取り早いからだ。
その為にも、ガージュは強くならなければならなかった。
カルクやミームより強くなれば、きっと皆の輪に入れるはずだから。
貴族の息子として甘やかされ、取り入ろうとする者達に囲まれて育ったガージュは、どうすれば皆と仲良くなれるかを知らなかった。
――――――――――
武術の授業が終わり、昼を挟んで午後からは魔術の授業である。
講師はフロイオニア王国が誇る宮廷魔術士長フィルニイリス。
無詠唱魔術というレキがもたらした新たなる魔術、それをいち早く習得したフィルニイリスは、無詠唱魔術を学園の生徒達に教える為こうして学園にやってきているのだ。
なお、フィルニイリス以外のフロイオニア王国魔術士達も、他の学園を始めとしてこの大陸全土に無詠唱魔術を広める為各地へと赴いている。
未来の魔術士を育てる為、知識と経験、そして確かな技術を持った宮廷魔術士の中でも、宮廷魔術士長であるフィルニイリスがこの学園の担当になったのだ。
と言うのはもちろん建前。
元々無詠唱魔術はレキがもたらした技術である。
それをフィルニイリス達フロイオニア王国の魔術士がなんとか習得し、こうして全土に広めようとしている。
言わばレキは無詠唱魔術の祖であり、そんなレキに魔術を教えられるような魔術士などそうはいない。
フィルニイリスなら、威力では敵わずとも知識や経験からレキにも教えられる。
という理由でフィルニイリスがレキのいるフロイオニア学園の担当になったのである。
もちろんフィルニイリス自身の希望もあったが。
「魔術には相性がある。
赤系統の魔術は青系統の魔術で消せる。
青系統は黄系統で吸収、せき止め、黄系統は緑系統で風化する。
緑系統は赤系統によって散らされ、あるいは赤系統が強化される。
相反する系統なら下位の魔術でも相殺できる」
「うん、分かった」
今は魔術の相性についてフィルニイリスがレキに教えている。
レキが威力に秀でた魔術士なら、フィルニイリスは知識と制御に秀でた魔術士である。
宮廷魔術士長の肩書は伊達ではない。
「フラン、ルミニア、ユミは少しでも早く魔術を放てるようイメージを高め魔力を練る事。
無詠唱魔術の最大の利点は呪文の詠唱に必要な時間が要らない事。
発動までに時間がかかればその最大の利点が失われる事になる」
「む~、分かってはおるが」
「なかなか難しいです」
「レキは凄いね~」
もちろん指導しているのはレキだけではない。
今のフィルニイリスはフロイオニア学園の魔術講師である。
この学園の生徒全員を教え導く存在なのだ。
「カルク、ユーリ、ファラスアルム、ガージュ、ガドは頭の中でしっかりと魔術をイメージする事。
魔術はイメージと魔力が大事。
呪文の詠唱はあくまでそれらを助ける為のもの。
魔力を練り、イメージさえしっかり出来ていれば魔術は発動する」
「んなこと言われても」
「ああ、たしかにこれは・・・」
「む、難しいです・・・」
「・・・ちっ」
「む」
そんな魔術の授業において問題なのは、現時点での生徒達の習得率に差が開きすぎている事だろう。
レキは当然。
フラン、ルミニア、ユミの三名は発動までに時間がかかるとは言え無詠唱魔術を習得しており、今はその発動までに要する時間を少しでも短くする為、瞬時に魔力を練る練習中である。
無詠唱魔術を習得していない面々には、魔術に対する理解力を高めるとともに魔術を無詠唱で放つ為に必要な、魔術のイメージを高める訓練を課していた。
そして・・・。
「獣人とて魔術が使えない訳ではない。
それに、魔力が強くなれば身体強化の強化度を上げる事も出来る。
制御を高めれば身体強化の精度も上がる」
「わ、わかってるわよ」
獣人であるが故に魔術が不得手なミームにも、しっかりと指導を行っている。
ただ、流石にフィルニイリス一人で全員を見るのは難しい。
レキ達最上位クラスの生徒は十名と少ないが、その他のクラスは一クラスにつき三十名いるのだ。
上位、中位、下位それぞれ三十名、それに最上位十名を合わせて100名。
それが一年生の生徒総数である。
フロイオニア学園は四年制であり、一年生から四年生それぞれが100名ずつ存在している。
それはつまり、フィルニイリスが無詠唱魔術を教える対象が400名存在するという事でもある。
「獣人は魔力を外に放出するのが不得手な分内部で巡回させる事に長けています。
心臓から血管を伝い、魔力が全身を巡るイメージをしてください」
「心臓から全身に・・・」
「はい。
心臓は身体の中心であり、血管は心臓に繋がっています。
指先からつま先、頭へといたり再び心臓に返ってきます」
「指先からつま先、頭の先まで・・・」
そんなフィルニイリスを補佐すべく共にやってきたのが、王宮でレキ付きの侍女だったサリアミルニスである。
フィルニイリスと同じ森人であり、王国の重要人物であるレキ付きの侍女に選ばれるほど優秀な彼女は、そんなレキやフィルニイリスから指導を受けた事もあって無詠唱魔術を習得済みである。
その実力と、何よりレキ付きの侍女を務めていたという点を考慮され、フィルニイリスの補佐としてフロイオニア学園へとやってきたのだ。
実は、この学園に来る為それはもう血が滲むような努力をしたのだが、それを知るのは師であるフィルニイリスだけである。
「ユーリさん達は既に魔術が使えるわけですから、まずはご自身が使える魔術を反復して練習する事が大事かと」
「いや、それでは・・・」
「その際、少しでも速く魔術を放てるよう練習してください。
そうですね、呪文を自分なりに短縮して見るのも手かと」
「呪文の短縮?」
「はい。
無詠唱魔術とは呪文を詠唱せずに魔術を放つ技術です。
言い換えれば呪文に頼らない魔術です。
呪文を最後まで詠唱してしまえば魔術は発動しますが、それはご自身がそう思い込んでいるからに過ぎません。
ですので、まずは正式な呪文でなくとも魔術が発動するという事をご自身で理解できれば習得も早いかと」
「ん~、んなこと言われてもな」
「頭では分かっているはずです。
現にレキ様を始めとして無詠唱で魔術を放っている方々が目の前にいるのですから」
「は、はい」
「後はそれが自分達でも出来ると強く信じる事です。
その為には、まず呪文が無くとも魔術が発動する事を頭で理解するのが近道です」
「む」
サリアミルニスがフィルニイリスの補佐に選ばれた理由の一つに、高い指導力が上げられた。
元々平民で、更には八歳の頃まで魔の森で過ごしてきたが故に読み書きの出来なかったレキの為、夕食が終わってから眠るまでの間レキの勉強を見たのがこのサリアミルニスである。
王都ではぐれたフランとルミニアを探すため、レキに魔力探知の方法を教えたのもサリアミルニスだ。
フィルニイリスほどの知識は無いが、その分相手の身になって教えるのは得意なのである。
「フラン様達はいきなり最大の威力で魔術を放とうとせず、むしろ最低限の魔力で魔術を放ってみてはいかがでしょうか?」
「ぬぅ、それでは無詠唱の意味が・・・」
「無詠唱魔術の最大の利点は速度です。
威力はご自身の魔力にもよりますから、まずは魔力を溜める事なく放てるよう反復して練習するのが大事かと」
「そうですね。
ついレキ様のような魔術を放とうとしてしまいますが」
「私達にレキの真似は無理だもんね~」
「ええ、誰であろうとレキ様のようにはいきません」
「む~、諦めたらそれで終わりじゃ。
わらわは最後まで諦めんぞ」
「諦めないのは確かに大事ですが、まずは無詠唱魔術を完璧に習得するのが先です。
威力は徐々に上げていけば良いのですから」
「むぅ、分かったのじゃ」
フランやルミニアと顔見知りというのも選ばれた理由の一つだろう。
いくらこのフロイオニア学園が身分や爵位、種族にとらわれず平等に学べる場所だとしても、全く意識しないと言うのは難しい。
その点、レキ付きの侍女であるサリアミルニスは、当然の事ながらフランやルミニアとも見知った仲である。
共に城下街へ出かけたり、ルミニアのいるフィサス領へレキのお供として同行した事も幾度かあり、すっかり打ち解けている。
指導する際には厳しく当たるが、フランもルミニアもその性格もあり素直に受けている。
もちろん平民だからとユミを下に見るような真似はしない。
ユミは平民だがフランやルミニア、そしてレキの友人なのだ。
フロイオニア学園の理念はサリアミルニスも理解しており、そうでなくとも差別などするような性格ではない。
フィルニイリスの補佐という立ち位置ではあるが、サリアミルニスもまた生徒の為しっかりと分かりやすく教えている。
「レキ様に関しては、私から申し上げる事はありません」
「え~」
「私より優れた使い手であるレキ様に、私が教えられる事などありません」
「え~」
他の生徒達にはあれだけ親身に分かりやすい助言をしたサリアミルニスも、レキに言える事は無かった。
威力に関しては言うに及ばず、精度に関してもサリアミルニスより上だからだ。
そんなレキにサリアミルニスが言える事などあるはずも無く、それを素直に告げればレキは不満気に口を尖らせた。
レキの様子は、やはりどこか気やすさを感じさせた。
レキが王宮で過ごした二年間。
その間、サリアミルニスはレキ付きの侍女として常に側にいた。
二人は主と侍女と言うより、姉と弟のような関係なのだ。
「レキは精度を上げる事。
上級魔術でも当たらなければ意味はない。
例えばフランがゴブリンの群れに囲まれているとする「にゃ!?」。
そのフランに当てる事無くゴブリンを殲滅できるようになれば一人前」
「ん~出来るかな」
「出来なければフランが黒焦げになる」
「にゃにゃ!?」
「黒焦げか~」
「黒焦げですか・・・」
「にゃにゃにゃ!?」
レキ達が学園に入学してからの一月は賑やかに、そして平和に過ぎていた。




