第130話:思い出の地
翌日。
ニアデルに見送られながら、レキは魔の森へと出発した。
共にいるのはフランとルミニア、フィルニイリスにミリス、リーニャにサリアミルニス。
王都からここまで一緒に来た王国騎士団、魔術士団の面々。
そしてニアデルが付けてくれたフィサス領の騎士達。
三十名以上からなる集団である。
流石にこれだけの護衛がいれば、レキのやる事はほとんど無かった。
精々が王都からフィサスまでの道中と同様、食事の度に魔物を狩るくらいだろう。
以前、一個中隊分の魔物を一人で狩ったことのあるレキである。
三十名程度の腹を満たす数の魔物を狩るなど朝飯前であった。
王都からフィサスまでの道中では、あまりレキばかり働かせては護衛部隊の名折れだと言われ、レキは索敵のみに集中して討伐は騎士達という役割分担が出来ていた。
だだそれは、あくまで護衛という仕事上での分担であり、食料を得る為の狩りはレキの役目だった。
尊敬する父親が村唯一の狩人だった事もあり、レキはその仕事を誇らしく感じており、喜んで狩りに勤しんだ。
馬車は順調に魔の森へと近づいていく。
道中魔物が襲ってくるような事は殆どなく、精々ゴブリンを見かけた程度。
それも向こうより先にレキが気づいており、討伐は騎士達に任せた。
倒しても大した金にならず、食べても大変に不味く、レキですら他に無い場合に仕方なく食べる程度。
率先して狩りたい魔物では無いが、かといって放置すれば近隣の村に被害が出る可能性がある。
討伐後は討伐後で、放置すれば異臭を放ち、更には他の魔物を寄せ付けてしまう為、早々に埋めるか焼却しなければならない。
通常なら数人がかりで穴を掘るのだが、これも練習とフィルニイリスに言われたレキがあまり使った事のない黄属性の魔術で地面に大きな穴を開け、騎士達がそこに放り込んだ後再度魔術で埋めるという手段をとった。
使用した魔力は並の魔術士数人分ほどで、フィサス領から同行している魔術士達は無詠唱を含め皆驚いていた。
王宮の魔術士達が驚かなかったのは、王宮で見慣れているからだろう。
襲撃は魔の森へ近づくほどに減っていき、二日も過ぎれば魔物の姿は殆ど見当たらなくなった。
食事の際、レキが魔物を狩る為に飛んで行く距離が徐々に長くなったのも、周辺に魔物がいない証拠だろう。
そうまでして魔物を狩りに行く必要は無いのだが、助かっている事に変わりは無く、何よりレキが好きでやっている為宜しくお願いしているのだ。
魔の森へ近づけば近づくほど魔物の姿が減っていく理由について、フィルニイリスがレキ達に教えてくれた。
魔物は魔素を好む為、魔の森程の濃い魔素の環境下に住む魔物は滅多な事では森から出ようとはしない。
その分、魔の森の魔物は他より数段強い個体になっており、ゴブリンですら魔の森の個体は並の騎士や魔術士をも凌駕する。
他の魔物が魔の森に入ろうものなら、魔の森の魔物に瞬く間に狩られてしまうだろう。
それでも魔の森の魔素に惹かれた魔物は、魔の森へと入っていき、そして出てこなくなる。
加えて、三年程前に魔の森周辺の街や村が一斉に滅んた事件以降、魔の森周辺に人が住む事はなくなった。
当然、人を餌とする魔物も周辺から姿を消し、いつしか人も魔物も見当たらなくなっていた。
魔の森周辺は、現在ある種の空白地帯となっているのだ。
そんな理由から、レキ達一行は魔物の影に怯える事無く(初めから怯えていないが)順調に進み、魔の森まで後半日ほどの場所にまで辿り着いていた。
――――――――――
「あ・・・」
「んにゃ?
どうしたのじゃレキ?」
魔の森まで後半日ほどの距離。
レキの視力ならここからでも見えるかも知れないぞ?
そう言われて、フランと伴に御者台に座っていたレキが、周囲を見渡して何かに気づいた。
魔の森が見えたわけではない。
レキの目線は横へ向けられていた。
そこには、魔の森より大分小さい森があった。
その森は魔の森に近く、だが魔の森とは別の森である。
魔素も通常の森と同程度で、魔の森にほど近い分魔物もあまり住んでおらず、精々ソードボアがいる程度の、ごく普通の森だった。
「何か見えたのですか?」
「ん~、ここからでは良く分からんのう」
「・・・」
後ろに控えていたルミニアも、レキとフランに習って森を見る。
レキほど視力の良いわけではなく、当然何も見つけられなかったが、それでもレキが見つけたであろう何かが気になったのだ。
「森ですか?」
「森じゃな」
レキの視線を追って見つけた森には、特に気になるような点は見当たらない。
それでもレキが気にする以上何かあるはずだと、フランとルミニアはその森を一生懸命観察した。
本当に、何の変哲もないただの森だった。
魔の森に近いが故に危険な魔物が少なく、ソードボアや木の実などの豊富な森の恵みが得られる森。
かつて、その森に隣接するように一つの村があった。
村の住人達は森の恵みを毎日享受していた。
とある一家の父親が、毎日のように森に入ってはソードボアなどを仕留め、家族や村の住人達に振る舞っていた。
まだ幼かったその家の子供は、毎日森へ向かう父親の背を見送っていた。
初めて狩りに連れて行ってもらえた日の事を、その子供は今もはっきりと覚えている。
森の厳しさや狩りの難しさ、そして父親の強さと頼もしさ。
あの頃は、そんな日がずっと続くと思っていた。
今日が楽しくて、明日が楽しみで、おやすみとおはようが当たり前だった。
そんな当たり前が、どれほど幸せな事だったか。
視線の先にある森を見つめながら、レキの脳裏にはあの頃の様々な思い出が蘇っていた。
優しかった両親。
楽しかった村での日々。
それらが鮮やかに蘇り、レキは懐かしさに思わず笑みを浮かべた。
悲しさや寂しさといった感情もあるが、それ以上にただ懐かしいと、そう思った。
三年前、村が滅んですぐの頃、レキは一度だけ村の跡地へ行った事がある。
御膳試合の後、王宮で国王や宰相に語った事だ。
その時のレキは、村の跡地に行っても何も思わなかった。
懐かしいと思えるほど時間が経っていなかった、という事もあるのだろう。
悲しみや寂しさ、怒りといった感情すら湧いてこず、ただ漠然と村の跡地を見渡した。
レキの心には、村の跡地同様何も無かった。
両親の死に、一時的に感情までも無くしていたのかも知れない。
村の跡地で見た幸せだった頃の村と両親の夢。
その夢を見なければ、今も感情を失ったままだったかも知れない。
夢と現実のあまりの違いに、無くしていた感情が一気に蘇ったのだろう。
そして、夢と現実との違いに嘆き、レキは森へと逃げ込んだ。
あれから三年。
かつて村だったその場所を見つめるレキの心には、懐かしいという感情だけがあった。
それはただ、三年もの月日が経っていたせいなのかも知れない。
あるいは、その三年の間に様々な経験をし、多くの出会いがあったからかも知れない。
森を出てからの数ヶ月は毎日が目まぐるしく、何より楽しくて仕方なかった。
楽しくて嬉しくて、村での日々を思い出す暇も無いほどだった。
だからこそ、ふいに思い出した村での日々が懐かしく感じられたのだろう。
あの頃のように、今も幸せだから。
今の幸せとあの頃の幸せ、二つの幸せがレキの胸にはある。
二つの幸せは違うもので、でもどちらも同じくらい幸せで、だからこそ村での日々を「懐かしい思い出」として振り返る事が出来た。
懐かしいと、そう思う事が出来た。
だからこそ、レキは笑顔でこう言えるのだ。
今の幸せをくれた、大切な友達に。
「あそこ、オレの村があったとこ」
と。
――――――――――
「にゃ!?」
「えっ!?」
レキの言葉にフランとルミニアが驚きの声を上げた。
二人共、レキの村がこんなところにあったなど知らなかったのだ。
レキ自身正確な村の場所を知らなかったのだから、二人が知る由もない。
知っていたのは、馬車に同乗しているリーニャ達である。
彼女達とて正確な位置を知っていたわけではない。
魔の森からフィサス領方面へ約半日ほどの場所で、近くに森があった。
というレキの証言から、おそらくはあの辺りなのだろうと判断したに過ぎないのだ。
フィサスの街から魔の森へと向かう以上、村の跡地を通る事は当然ながら理解していた。
あえてこの場所を通ったのは、今のレキならば大丈夫だと信じていたからだ。
ニアデル辺りは心配していたが、レキとより長い時間を過ごしているリーニャ達には確信があった。
それは多分、今のレキが毎日楽しく幸せそうに過ごしているのを、間近で見てきたからだろう。
村にいた頃が幸せで、今が幸せでなければ、おそらくは過去の残滓に囚われているはず。
今より過去が幸せなら、今と過去の違いに嘆き、過去に戻りたいと思ってしまうものだ。
今が幸せであれば、過去の幸せは思い出となり、今を精一杯生きる事が出来る。
あの頃は楽しかった。
でも今も楽しい。
そう思えたならきっと大丈夫・・・。
リーニャ達はレキを信じたのだ。
それが正しかったかどうかは分からないが、少なくとも今のレキの笑顔に陰りは無く、無理をしているようには見えなかった。
事実、レキは村での日々をただ懐かしく思うだけで、その頃に戻りたいとは思っていない。
何故なら、レキの側には今、かけがえのない友達がいるから。
村での生活は幸せだった。
今も同じくらい幸せで、過去に戻りたいとは思わない。
どちらか選べと言われれば困ってしまうが、過去に戻れない事くらいレキにだって分かる。
だからこそ今が大切に思えるし、今が幸せだからこそ、こうして笑顔で過去を振り返る事が出来るのだ。
――――――――――
そんなレキの様子と違い、フランとルミニアは驚きからなかなか戻ってこられずにいた。
ルミニアの驚きはフラン以上で、今も目を見開いてはレキと村の跡地を見比べている。
ここはフィサス領内。
ルミニア達イオシス家が治める領地である。
その領内にレキの村があったなど、領を治めるイオシス家の娘ルミニアにして、まさかの事実である。
「で、ではレキ様は、フィサスの生まれなのですか?」
「ん~・・・そうなのかな?」
「そんな・・・」
思いがけないルミニアとレキとの接点。
同郷であり、更には領主と領民という関係。
知らなかったレキとの繋がり。
だが、今のルミニアにそんな些細な接点を喜んでいる余裕など無かった。
レキの村がフィサス領にあった。
その村が野盗によって滅ぼされた。
その二つが指し示す事実、それは・・・。
「あぁ・・・」
「ルミニア?」
「レキ、様・・・レキ様」
「えっと、どうしたの?」
「わた、私は・・・私は・・・」
レキはフィサス領の民であり、フィサス領を治めるイオシス家が庇護すべき存在だったという事。
その事実に気づいたルミニアは、あまりの衝撃に頭が混乱し、何を言えば良いのか分からなくなっていた。
謝罪しなければ、でもどう謝罪すれば?
三年も前の事を今更?
レキ様の村は無くなり、ご両親も亡くなられて、領民の安全を守るのが領主の務めで、守れなかったのは私達の責任で。
そもそもレキ様の村を襲った野盗を放置していたのが私達の責任で、ですからやはり謝罪をして、そして・・・。
自分はどうすれば良いのだろうか。
領主の娘として、守れなかった領民であるレキに対し今更何が出来るのだろうか。
そんな事をあれこれ考えるルミニア。
領主の娘としてある程度の教育は受けていてもそこはまだ八歳の子供である。
実際にどうすれば良いか分かるはずもなく、思いついたのは心から謝罪する事くらいだった。
だからこそ、ルミニアは心を決めてレキと向かい合い
「ぼ、ぼうじわげございばぜんでじだぁ~」
「え、えぇ!?」
号泣しながら、それでもしっかりと頭を下げて謝罪した。




