第129話:貴族の体裁
リーニャを先頭に、ミリスとフィルニイリス、そしてサリアミルニスが部屋に入ってきた。
「どうしたの?」
明日はいよいよ魔の森へ向かう。
今日の内にルミニアを連れて行く方法を考えなければ、ニアデルがボコボコになってしまうかも知れないのだ。
少しでも考える時間が欲しいレキは、フィルニイリスの話を促した。
「魔の森へ行く目的が増えた」
そんなレキ達にフィルニイリスが告げた内容、それはレキ達が対面している問題の解決案だった。
「どういう事じゃ?」
部屋に入るなり唐突にそんなことを告げるフィルニイリスに、レキとフランが仲良く首を傾げた。
そんな二人ではなく、フィルニイリスはルミニアを見ながら説明を続けた。
「公爵夫人の魔力は多少回復したが、このままでは再び悪化する」
「えっ!?」
唐突に告げられた言葉に、母親の状態を正しく知らされていなかったルミニアが声を上げた。
「今の状態で更に魔力を使用すれば、魔力枯渇に陥る恐れがある。
夫人の症状を改善する為には、魔の森の食材を持ち帰る必要がある」
「そ、そんな事が・・・」
母親が臥せっている理由を、ルミニアはただ魔力の使い過ぎによる疲労としか聞かされていなかった。
確かに間違ってはいないが、半月もの間臥せっている根本的な原因は他にあるのだ。
「お、お母様は大丈夫なのですか?」
「今のところは大丈夫。
ただ、これからどうなるかは分からない」
改めて調べた結果、ルミニアの母ミアーリアの魔力回復量は一般より遥かに少なく、起きている時では自然回復する量より消費する量の方が若干多かった。
寝ている間は回復量が若干上回るが、起きている間は逆に消費され続けているのだ。
食事などで魔素を取り込み、体内の魔力生成量を意図的に増やせれば回復量が上回るのだが、今のミアーリアは体調不良による食欲減衰が起きているらしく、このままでは魔力枯渇に陥る可能性が高かった。
魔力が枯渇すれば意識を失い、ある程度回復するまで意識が戻る事は無い。
通常なら枯渇しても半日ほど眠れば意識を取り戻す程度には回復するが、ミアーリアの場合は回復量が極端に低い為、数日は意識が戻らないと思われる。
そうして回復した魔力も、意識を取り戻した後で再び失われていき、やがてはまた意識を失うだろう。
そういった悪循環に陥る可能性がある為、早急に対処する必要があるのだとフィルニイリスは説明した。
「・・・あれ?」
難しい話ではあったが、友達の母親の事。
レキは一生懸命話の内容を理解しようとして、そして気付いた。
レキのやる事は別段変わらないという事を。
墓参りのついでに魔の森の食材を持ち帰る事は事前に決まっている。
「ついで」だったのが明確な「目的」に変わっただけだ。
「私達のやる事は変わらない。
でも私達だけで行くわけにはいかなくなった」
「・・・あ」
フィルニイリスの説明に、ルミニアが気付いたようだ。
それこそがルミニアが欲していた「魔の森へ向かう理由」となる事に。
「公爵夫人の容態を改善する為、魔の森へ向かい食材を確保する。
それが出来るのは私達だけ。
だからと言って全てを私達に委ねてしまえば、公爵としての体裁が悪くなる」
「ん?」
「よく分からんのじゃ」
「つまりですね。
奥様のご病気を治す為とはいえ、お客様である私達だけを魔の森という危険な場所に向かわせると言うのは、公爵としていささか問題があるのです」
「ん~?」
「ダメなのか?」
「私達が冒険者でしたらなんの問題もないのでしょうけど、私達はあくまでお客様ですからね。
それもニアデル様が饗さねばならない王族です。
その王族のフラン様と護衛である私達だけを魔の森へ向かわせ、ニアデル様が何もしないというのはですね、「自分の奥様の容態を改善するため王族を死地へと向かわせたにも関わらず、自らは何もしなかった」という事になってしまいます。
それはフロイオニア王国の貴族としていささか問題があるのです」
「だから、私が同行する必要があるのですね」
「ふふっ、そうですね」
「へっ?」
「にゃ?」
フィルニイリスとリーニャから説明を受けた子供達三人。
レキとフランはさっぱりと言った様子だが、ルミニアだけは理解していた。
王族としての自覚がほとんど無く、フィサス領にもただルミニアが親友だからと言う理由でやって来たフランである。
レキもそれは同じで、立場としてはフランの護衛だが、実際はフランとルミニアの友達としてこの場にいる。
だからこそ、その友達の母親が苦しんでいるなら助けてあげたいと思うし、助けなければならないとも思っている。
そこには打算も何もなく、ただ友達とその母親を思う純粋な心しかない。
そもそもフィサス領へは魔の森へ向かう為に立ち寄っただけで、ミアーリアの容態など関係なく魔の森へは向かうつもりだった。
その「ついで」にちょっと食材を手に入れて持ち帰るくらい、レキからすればなんて事のない作業である。
だが、いくらレキにとっては些細な事でも、それはレキの強さがあるから出来る事だ。
魔の森の食材を持ち帰るなど、本来なら命と引き換えにしてでも達成できるかどうかという話である。
冒険者ギルドに依頼した場合、依頼料は金貨数十枚、受けられるのも最低でも金級、下手をすれば最上位である魔金級の冒険者に依頼しなければならない。
そんな危険なお願いをするのだ。
ニアデルの立場を考えれば、何もかもを任せる訳にはいかないのである。
冒険者であればニアデルが依頼を出した事にすればいい。
食材を持ち帰ってもらい、その対価として高額な報酬を渡せば、ニアデルの体裁も保たれるだろう。
だが、レキ達はあくまでお客様。
フランに至ってはニアデルが仕えるフロイオニア王国の王女である。
仕えている主を、臣下たるニアデル公爵が願いを叶えてもらう為、危険を承知で魔の森へ向かわせるなど、はっきり言ってありえない話だ。
まだニアデル自身が魔の森へ向かう方が良い。
自分の妻の命を救う為、無謀にも魔の森に向かう公爵。
例え死ぬと分かっていても、王族を死地へ向かわせるよりいくらかマシ、美談にもなるだろう。
つまり、レキ達が行けば確実に食材を持ち帰れるにもかかわらず、フロイオニアの貴族としてレキ達だけを向かわせるわけには行かないという、ニアデルの公爵としての立場が問題なのである。
ニアデルの方から何らかの支援なり協力があれば良いのだろうが、レキの実力を考えれば多少の支援などあってないような物。
魔の森までの護衛と、野営の際の天幕や食材の提供、レキ達が魔の森へ入った後の、馬車の護衛やレキ達の帰りを待つ待機要員など。
支援する事はそれなりにあるが、実際に魔の森へ向かうレキ達の危険度に比べればどれも些細なものだろう。
第一、その程度ならレキ達自身が用意出来てしまう為、貴族としての体裁を保てるはずもない。
それを解決する方法として「イオシス家の者が同行し食材を取ってくる」という解決案が用意されたのである。
これならば、事実はどうあれイオシス家の者が自ら魔の森へと向かった事になる。
そう、たった一人の娘であるルミニアを同行させるのだから。
レキがいればどのような場所でも問題はない。
持ち帰る食材に関してはフィルニイリスが見極めてくれるだろう。
必要なのは最後までイオシス家の者が共にいたという事実のみ。
王族だけを死地へと向かわせたわけではないという、ただの体裁の話なのだ。
そういった貴族としての厄介な話を、公爵家の娘たるルミニアは正確に理解したようだ。
先ほどからどうやって自分もフラン達に付いて行こうか、その理由というか言い訳づくりを考えていたルミニアである。
この話は、いわゆる「渡りに船」というやつだった。
フィルニイリスの提案に、躊躇う事なく笑顔でルミニアは受け入れた。
「それでは、私はもう一度お父様にお願いしてきますね」
「えっ?」
「にゃ?」
「私も行く」
「では私達もご同行させて頂きますね」
「はい」
「えっ?えっ?」
「私も行こう。
道中の護衛に関して、ニアデル様と再度打ち合わせをしなければならないだろうからな」
「にゃ?
にゃんじゃ?
どういう事じゃ?」
今だ理解できていないレキとフランをよそに、ルミニアを筆頭にして、フィルニイリス達はニアデルの待つ執務室へと向かった。
一応レキとフランも首を傾げながらも付いていき・・・。
そして、
「・・・うむ、そういう理由ならば仕方なかろう。
ルミニアよ、イオシス家当主ニアデルが命ずる。
フラン様に同行し、魔の森の食材を持ち帰ってくるのだ」
「はい!」
ニアデルも今度は納得し、ルミニアの同行に許可を出した。
――――――――――
ニアデルの執務室を出たレキ達は、先程までいた部屋に戻り、のんびり過ごす事にした。
「つまり、フラン様やレキ様だけを向かわせるのは、私達イオシス家の立場を考えた場合にいろいろと問題があるという事なのです」
「ん~・・・良く分かんない」
「レキに任せてはダメなのかのう?」
「いえ、レキ様にお任せするのは仕方ないのですが、何もかもレキ様に委ねてしまうのは良くないという事でして」
「オレじゃなきゃ出来ないんだよね?」
「それはそうなのですが・・・」
ニアデルが何故許可を出したのか、さっぱり理解していないフランとレキに、ルミニアが頑張って説明していた。
「大体叔父上も叔父上じゃ。
ルミも行かせるのなら始めから行けと言えば良いのに」
「えっと、それもですね」
レキもフランも一向に理解を示さず、ルミニアも理解は出来ても説明までは上手く出来ないようで、と言うか二人が理解できるように説明するのが難しく、難航しているようだ。
そんな三人を、リーニャ達は温かく見守っている。
あえて口を挟まないでいるのは教育の為。
レキやフランに理解させるのが面倒くさいとか、そういう理由では決して無い。
「魔の森に行くのは本来命がけで、面白半分で行くのは良くないという事なのです」
「わらわは楽しみじゃぞ?」
「オレもっ!」
「いえ、レキ様はそうでしょうけど・・・」
「え~」
仲が良さそうで何より。
天真爛漫なフランと素直なレキ、真面目なルミニアの三人は、とても良く纏まっているように思う。
若干ルミニアが苦労している気はするが(と言うか現在進行形で苦労しているが)、その分レキが武力を、フランが権威を担当しているわけであり、ルミニアは常識と苦労を担当するのだろう。
「命をかける以上、それに足る理由や目的が必要なのだとお父様はおっしゃられました。
ただ面白そうだからとか、お二人に誘われたからではダメなのです」
「お墓参りは?」
「それはレキ様の目的ですから・・・」
「わらわはウォルン達に会うのも楽しみじゃぞ?」
「えっと・・・」
数年もすれば、レキやフランも相応の知識を身につけるだろう。
そうなれば今ほど苦労はしない・・・はず。
それまではこうして、一緒に頑張ってもらいたいものだ。
「む~、ルミは楽しみじゃないのか?」
「いえ、それはもちろん楽しみですけど・・・」
「目的とか理由とかどうでも良いのじゃ。
わらわはルミと一緒で嬉しい。
それで良いのじゃ」
「フラン様・・・。
はい、そうですねっ!」
「うむ、そうじゃ!」
そんな事を考えながら、リーニャ達は子供達を温かく見守り続けた。
――――――――――
「失礼致します」
各々が明日に備えて早めの就寝を迎えようとしていた頃。
ニアデルに呼ばれたルミニアは、一人ニアデルの待つ執務室へとやってきた。
「来たかルミニア」
「はいお父様。
明日の事でお話があるとの事ですが・・・」
明日はいよいよ魔の森へと向かう。
魔の森の危険性は重々承知しているつもりだが、レキとフランが一緒という事もあって、やはり恐怖よりも楽しみの方が強くなっていた。
魔の森が恐ろしい場所である事に変わりはないが、レキがいればなんの心配も無いと知っているからだろう。
「ここから馬車で三日ほど進んだ場所に、かつて村があった」
「?」
そんなルミニアをよそに、ニアデルが唐突に語り始めた。
「魔の森にほど近く、わずか数十名程の小さな村であった。
覚えておるかルミニアよ?
今から三年程前、魔の森周辺の村が滅びたという話を。
「は、はい。
確か魔の森の魔物が周辺の村を襲ったとか・・・」
その話はルミニアも良く覚えている。
それまで、魔の森の魔物は滅多な事では森から出る事は無く、近づき過ぎなければ問題は無いとされていた。
根拠としては、魔物は魔素を取り込む事によって活動する生物であり、より強い魔素を好む性質故か、魔素の濃い魔の森からは出てこないのだろうというものだ。
だが、三年前の事件によりその説は覆されてしまった。
同時に、魔の森の危険性はそれまで以上に高まった。
滅びた村々は再興される事無く、人々はそれまで以上に魔の森を恐れ、生活圏を極端に離した。
例えばエラスの街。
魔の森に最も近いとされるその街は、魔の森の側に高い壁を築き、常に魔物に備えるようになった。
フィサスの街も同様である。
フィサスの街から魔の森までは馬車で四日ほど。
エラスよりは遠いが、それでも安心できる距離ではない。
領主であり同時に武人でもあるニアデルは、己の武を更に高めるとともに、魔の森方面の警戒を強めるようになった。
まだ幼いルミニアもその話を聞かされ、魔の森とそこに住む魔物への恐怖を強くしたものだ。
魔の森へと逃げ込んだフランを心から心配し、そんなフランを救ったレキを、まるで物語に出てくる英雄のように思い、心から敬意を抱いているのもそんな理由からだろう。
「滅ぼされた村は多く、生き残った者はいない。
魔の森へと向かう途中、そんな村の一つを通る事になるだろう。
そこでお前が何を思うか・・・」
「お父様?」
「フィルニイリス殿やリーニャ殿は大丈夫だとおっしゃられた。
だがレキ殿とてまだ八歳の子供。
滅んだ村を見て、何も思わぬはずがない」
「お父様、一体何を?」
「村は壊滅し、今では何も残ってはおらぬ。
それでも、そこには確かにあったのだ。
村と、それまで過ごした懐かしき日々の思い出が・・・」
「・・・」
ニアデルの語りが徐々に熱さを増し、ルミニアに何かを訴えかけるように響いた。
内容は理解できずとも、間違いなく大事な話である事は理解できたルミニアは、ただ黙って聞き続けた。
「魔の森で生き、フラン様をお救いくださり、王都ではルミニアも助けてくださった。
更には我が妻ミアーリアの為、魔の森の食材を持ち帰ってくれると約束してくださった。
我らはレキ殿に返しきれぬほどの恩を受けておる。
本来ならば、我らが救わねばならなかったというのにな・・・」
「・・・」
父親の台詞。
それが何を意味するのかは分からないが、ルミニアに言いたかったのはそれなのだろう。
レキに受けた恩は大きく、自分達はまだ如何程も返していない。
フランを救った事への対価が王宮での生活だとしたら、ルミニアを救った事への対価は一体何をすれば良いのだろうか。
レキは何も望まず、一人にしてごめんねとルミニアに謝罪したほどだ。
攫われたのはルミニアの責任であり、レキはあくまでフランの護衛だと言うのに。
そしてまた、レキはルミニアの母親の為魔の森の食材を持ち帰ってくれるという。
自分達では踏み入る事すら出来ない魔の森。
いくらレキが魔の森で三年もの間過ごしていたからといって、魔の森が危険である事に変わりはない。
どれほどレキが強かろうとも、一歩間違えれば死に至る可能性は十分にある。
それでもレキは何も言わず、ただお墓参りの「ついで」に取ってくると、そう言ってくれた。
ルミニアを救い、そしてミアーリアを救ってくれる。
一体、イオシス家はどれほどの恩をレキから受ける事になるのだろうか。
そして、その恩に報いるためには一体・・・。
「もしレキ殿が、去りし日の残滓に囚われるような事があれば・・・」
「お父様?」
魔の森の方を見ながら、ニアデルがそんな事を呟いた。
去りし日の残滓とは?
あんなに強いレキが誰かに捕まってしまうような事があるのだろうか。
年齢の割には聡明なルミニアであっても、そこはまだ八歳の子供。
ニアデルが何を考え、何を危惧しているのか。
過去、フィサス領で何が起きたのか。
分からない事だらけだった。
ただなんとなく、父親が過ぎ去った事に対して後悔をしているような、そんな気はした。
「ルミニアよ、明日からの道中、くれぐれもレキ殿をよろしく頼むぞ」
「えっと、フラン様ではなく、ですか?」
「・・・ああ、そうだな。
フラン様とレキ殿、お二方を宜しくな」
「・・・はい」
そんな父親にかける言葉が見つからず、ルミニアはただ頷くだけだった。




