第10話:合流
激高するオーガ。
ただでさえ食事の邪魔をされ、更には右腕を切り落とされた魔の森の魔物は、この世界に生まれて初めてといって良いほどの激情に荒れ狂っていた。
久しぶりのご馳走、この魔の森ではめったにお目にかかれない人族の雌。
しかも一匹はまだ子供である。
人族の肉は雌の方が比較的柔らかく、子供なら更に柔らかい。
オーガの目の前にいたのは、そんな人族の雌が二匹に雌の子供が一匹。
見つけた時は歓喜した。
邪魔なフォレストウルフの群れを咆哮一つで蹴散らし、独り占めにするつもりだった。
雌共は少しばかり威圧をかけるだけでおとなしくなり、子供の方は意識を失った。
涎を垂らしつつ手を伸ばし、まずは子供を丸のみにしようとしたその直後だった。
どこからとも無く飛んできた何かに腕を切られ、ご馳走を奪われた。
腕の痛み以上に、己の腕と獲物を奪った怒りに叫ぶオーガが、感情のままにレキへと襲い掛かった。
迫りくるオーガに対し、レキは少女を抱えたまま。
剣を振るうには少女が邪魔で、かといって蹴りだけで倒しきるにはオーガは頑丈過ぎた。
仕方ないと、レキはひとまず腕の中の子を目の前で倒れている女性二人に託す事にした。
「えっと・・・リーニャの知り合いの人?」
「「・・・」」
「あの~・・・」
「「・・・」」
地面に倒れたまま少女へと手を伸ばしていた二人だ。
二人もこの子を助けようとしていたのだろう。
野盗には見えないし、ならこの二人に預けた方が良いに決まっている。
念の為、リーニャの知り合いかどうか確認するレキだが、対するミリスとフィルニイリスは、目の前の状況に固まったままだった。
突然現れた少年が、オーガの腕を切り飛ばしたのだ。
現状を理解するのに時間がかかるのも当然だろう。
「ねえ?」
「「・・・はっ」」
「お姉さん達、リーニャの知り合い?」
「え、あ、ああ。
確かにそうだが」
「リーニャは仲間。
少年は?」
「オレ、レキ!
リーニャにお願いされて助けに来た」
そう言って、レキはフランを地面に降ろした。
どこか得意げに見えるのは、リーニャにお願いされて助けに来た自分が、まるで冒険者になったように思えたからだ。
森で魔物に襲われた少女を助ける冒険者。
良くある物語の一節である。
「リ、リーニャは無事なのか!?」
倒れている自分達の目の前で、何故か胸を張る少年に対し、ミリスは会話に出てきたリーニャの安否を聞いた。
主を庇い、全身を強く打ち付け、更には矢を受けたリーニャ。
置き去りにするのは苦渋の決断だったが、仮にリーニャでなく自分が怪我をしていたら同じようにしただろう。
野盗を引き付ける為、囮役を志願したリーニャ。
怪我と言い、とても無事では済まないはずだ。
それでも聞いてしまったのは、それだけミリスもリーニャを大切な仲間と思っているから。
失ったはずの仲間。
その仲間の名前を出した少年に、ミリスが諦めかけていたリーニャの無事を確認した。
「あ、うん。
もうすぐ来るよ」
「来る?
リーニャが?
どこから?
どうやって?」
「えっっと、ウォルンに乗って」
「ウガァーーーーーー!」
「も~っ!」
レキの説明を遮るオーガの咆哮。
リーニャの知り合いなら大丈夫だろうと、助けた少女を二人に預け、レキは再びオーガへと特攻する。
空いた手に剣を持ち、全身から黄金の光をあふれ出したレキが、自分でぶっ飛ばしたオーガへと跳んでいく光景を、ミリスとフィルニイリスはただ見送った。
「ウォフっ!」
「なっ!」
「後ろっ」
その直後、今度は二人の後方からオーガとは別の吠え声が聞こえてきた。
(フォレストウルフっ!?)
先程オーガの咆哮で散り散りになったフォレストウルフが戻ってきた!
そう考え、背後を見た二人の前に現れたのは、フォレストウルフより二回りは大きいだろう銀色の美しい魔物だった。
「シ、シルバーウルフ・・・」
シルバーウルフ。
フォレストウルフの亜種にして上位種。
その力はフォレストウルフを遥かに超え、オーガ以上とも言われる魔物である。
森の深奥に生息し、フォレストウルフはおろか他の魔物すらも従えるという森の王。
その神々しい姿から、森の守り神とも称される最上位の魔物だ。
冒険者ギルドが定めたランクはオーガと同じ「7」
ただし、オーガがその力と凶暴な性質により、最優先の討伐対象に指定されているのに対し、シルバーウルフは希少性と個体の強さ、何よりうかつに手を出してはならない魔物に指定されている。
魔物の中でも気性は穏やかで、こちらから手を出さなければまず襲ってこないと言われている。
ただしその強さは本物で、仮に手を出そうものなら国が滅びかねないほどだ。
ランク「7」と定められたのも、そういった事情からである。
それほどの魔物が突然現れた事に、ミリスとフィルニイリスは新たなる絶望を覚えかけた・・・が。
「お、お待ちください!
ミリス様、フィルニイリス様。
私です、リーニャです!」
眼前のシルバーウルフから、ふとそんな声が聞こえてきた。
――――――――――
「こ、この声、まさかっ!?」
「リーニャ?」
聞こえてくるはずの無い声に、ミリスとフィルニイリスが思わず顔を見合わせた。
森に入る直前、置き去りにせざるを得なかった仲間。
いかにフランを逃がす為とはいえ、彼女を見捨てた事は後悔してもし足りない。
王都に戻ったなら、その時は騎士を辞職し、宮廷魔術士長の地位を返上するつもりですらいたほどだ。
そんなリーニャの声が、あろうことかシルバーウルフから聞こえてきた。
幻聴か空耳か。
今更リーニャの声を聞き間違えるはずもなく、かといってありえない事態に困惑する二人。
「はい、私です」
「リーニャ?
どこ?」
「上ですフィルニイリス様。
シルバーウルフの上です」
「「上??」」
眼前のシルバーウルフの大きさは、元となったフォレストウルフの二回り以上。
ただでさえ地面に転がっている二人が見上げても全体を把握する事は難しく、ましてやその上にいるというリーニャなど見えるはずも無い。
「ウォ、ウォルフさん、
すいませんが降ろして頂けないでしょうか・・・」
魔物の中には知性を持っている個体もいる。
フォレストウルフが人の言う事を聞く等ありえないが、その亜種であるシルバーウルフはフォレストウルフとは比較にならないほどの知性を有しているらしい。
実際、ウォルフと呼ばれたこのシルバーウルフはレキの言う事をしっかりと聞いていた。
リーニャをここまで運んでくれた事と言い、少なくともこの魔物はリーニャの味方である。
それでも恐る恐ると言った感じでお願いしたのは、自分のお願いを聞いてくれるか分からなかったからだった。
「ウォフ!」
だが、ウォルフと呼ばれたシルバーウルフの魔物は、リーニャのお願いもちゃんと聞いてくれた。
リーニャが降りやすいよう、いわゆる伏せの姿勢を取ってくれたのだ。
「あ、ありがとうございます」
ここまで運んでくれた事と合わせ、リーニャが魔物であるウォルフにお礼を述べた。
そんな光景を、ミリスとフィルニイリスは黙って見ていた。
森の入り口で別れた仲間。
あれが今生の別れになるはずだった。
それが・・・。
「「リーニャっ!」」
「はい。
お二人ともご無事で何よりです」
咆哮の影響も、戦いの疲労も忘れ、二人が立ち上がりリーニャに抱き着く。
笑顔を見せるリーニャに対し、ミリスは今にも泣きだしそうだ。
フィルニイリスもまた、表情こそ落ち着いているが声は弾んでいる。
「リーニャこそ・・・よく無事で」
「でもどうやって?」
聞きたいことは山ほどあった。
怪我の事、野盗の追っ手の事、目の前で伏せているシルバーウルフの事。
それに・・・。
「お~~~~!!」
倒したらしいオーガの上で、こちらを見ながら両手を振る少年の事。
「それは・・・いえそれよりフランは?
フラン様はご無事ですか?」
ただ、リーニャにはそれより、何よりも優先すべき事があった。
フラン。
己の命より大切な存在。
妹のように、娘のように思っていた彼女が目の前で倒れている光景に、無事と分かっていても確認せざるを得なかった。
「あ、ああ。
姫は無事だ。
オーガの威圧を受けて気を失ってはいるが」
「そうですか・・・良かった」
そんなフランの無事を知り、リーニャが心から安堵しフランの元へと駆け寄った。
「ああ・・・フラン」
そっと抱きしめ、伝わってくる温かさに目から涙が零れた。
もう二度と逢えないと思っていた。
一度は手放した温もり。
もう二度と離さないと、リーニャがそっと力を込める。
「姫は見ての通り無事。
私達も無事。
リーニャは?」
「私ですか?
いえ、この通り無事ですが」
「何故?
野盗は?
怪我の状態は?
あの少年は誰?
そのシルバーウルフは?」
落ち着いた頃を見計らい、フィルニイリスから矢継ぎ早に質問が飛んだ。
ここはまだ森の中である。
辺りにはフォレストウルフの死骸が散乱し、少し離れたところにはオーガの死体が転がっている。
仕留めた少年が、何故かそのオーガを引きずってきた。
「野盗は彼が、レキ君が一人残らず撃退してくださいました。
怪我も多分、レキ君に」
「それは治癒魔術?」
「はい、おそらくは・・・」
リーニャの怪我はここへ来るまでの間に治っていた。
実際は、泣いているレキを抱きしめていた時に、レキから発せられた黄金の光によって治療されたのだ。
ただ、それが治癒魔術かどうかまではリーニャには分からなかった。
「彼の名前はレキ君です。
私の命の恩人にして、こちらのシルバーウルフ、ウォルフさんの飼い主です」
「違うよ?
ウォルフは友達」
リーニャの言葉を、いつの間にか戻ってきたレキが訂正する。
「あと、家にはウォルフの奥さんと子供が二匹いるよ?」
ついでに新たな情報を付け加えた。
「家?
それはどこに?
ウォルフの奥さんと子供というのは?」
「えっ?」
「先ほどの黄金の光は何?
魔力?
少年はどこから来た?」
そんなレキに、フィルニイリスが更に質問を飛ばした。
知識欲あふれる彼女からすれば、先ほどからの状況は不可解にして興味深い事だらけである。
人のいない魔の森に突然現れ、窮地のリーニャを救い、シルバーウルフを従え、オーガを屠る。
黄金の光を纏い、目にも止まらぬ速さで森を駆けまわる。
まるで、おとぎ話の世界の住人である。
魔物より精霊に近いと言ってよい。
つまり・・・。
「まずは少年の家に案内して。
話はそれから」
目の前の少年は、フィルニイリスの興味をこれ以上ないほど惹く存在だった。
――――――――――
「お、おいフィル。
いきなり押しかけて大丈夫なのか?
「何故?」
「何故って・・・」
目に見えて興奮する(と言っても分かる者にしか分からないが)フィルニイリスに、ミリスが慌てて止めに入った。
助けてくれたとは言え、少年の得体は知れない。
敵ではないのだろうが、あのオーガをやすやすと倒してしまうような少年の家に突然押しかけて果たして良いものか。
無礼かどうかというより、その場所が本当に安全かどうかすら分からないのだ。
普通に考えれば、フランと同い年程度の少年が暮らしている家なら少なくともこの場所より安全だろう。
だが、その少年が普通ではなかった。
加えて、シルバーウルフという強力な魔物と一緒に住んでいるとすら言いだしたのだ。
普通ではない少年が、普通ではない魔物と一緒に住んでいる家。
明らかに普通では無かった。
それだけで躊躇するには十分だろう。
「今から森の外を目指しても間に合わない。
この少年の拠点である家で一夜を明かした方が良い。
私達の体力的にも、リーニャの怪我の具合を確認する為にも」
とはいえ、彼女達の目的は魔素酔いの症状が出る前に森を抜ける事。
見捨てざるを得なかったリーニャと再会できた以上、欲を言えば全員無事に王都へ帰還するのが最大の目標である。
森に入ってから数時間。
連戦に次ぐ連戦に体力は限界。
このまま森を抜けるのは、もはや不可能に近かった。
この場に留まっていては、体力の回復より先に魔素酔いで動けなくなってしまう。
周囲には魔物の死体が散乱しており、血の匂いに他の魔物が寄ってくる可能性も高い。
一刻も早くこの場を離れ、魔素酔いを避けつつ体力を回復させる必要がある。
それには、やはりフィルニイリスの提案に乗るしかなかった。
「決して、少年の家に興味があるわけではない」
「おい」
気にならないと言えば嘘になるだろう。
ミリスの把握している限り、魔の森周辺に村は無い。
以前はあったが、とある事情により最も近い街まで最低でも三日はかかるのだ。
だが、レキが日常的に魔の森で狩りを行っているのであれば、近くに家があるはず。
つまり、ミリスの知らない村がどこかにある、という事になる。
更にはそこでシルバーウルフの親子と暮らしているというのだから、フィルニイリスで無くとも興味を抱かないわけがない。
まさか、レキの家が魔の森の中にあるなどと、この時のミリス達は誰も考えていなかった。
「間もなく日も落ちますし、何よりフラン様を休ませて差し上げたいのですが・・・」
「うっ・・・」
「私達も限界。
この状態で森を抜けるのは不可能に近い」
「わ、分かった。
だがそちらの少年の了承をだな」
「うち来るのっ!?」
自分達の事情もある。
恩人である少年の迷惑になるようならと、念の為確認を取ろうとしたミリスに対し、当のレキが食い気味に反応した。
目はきらきらと輝き、どこからどう見ても歓迎、もろ手を挙げて大歓迎しているようだ。
「やった~!」
魔の森に住んでから初めての来客。
三年ぶりに出会った人達である。
まだまだ一緒にいたいという気持ちは強かった。
「ふふっ、嬉しそうですね、レキ君」
「ミリス」
「・・・そうだな。
お招きに預かろう」
そんなレキを見てしまえば「いや、やはり止めておこう」などと言えるはずもなかった。
ミリスの体力も底をつきかけている。
正直、休憩を取りたかったのはミリスも同じだ。
ただでさえここは危険な魔の森。
安全に体力の回復が叶うのであれば、それに越したことはない
一刻も早く森を抜けたいという気持ちはあるが、優先すべきはフランを含めた全員の安全。
一時は見捨てたリーニャ。
自分もまた囮になるつもりだった。
全員での帰還が叶うならそれに越したことは無い。
仕える主が何より望むのもそれなのだから。
こうして、ミリス達はレキのお招きに応じる事にした。




