第9話:絶望を切り裂く黄金
「・・・フィル」
「うん、分かってる」
その声が森の中に響き渡ると、二人を囲っていたフォレストウルフの群れが森のあちこちへと散って行った。
獰猛なフォレストウルフとて分かるのだろう。
この声の主が、自分達がどうあがいても勝てない相手である事を。
自分達より上位の魔物であるオークすら、群れで襲い掛かり狩ろうとするフォレストウルフ。
そんなフォレストウルフが戦いを避け撤退を選ぶ魔物。
王国騎士団の精鋭部隊でも勝てるか分からず、一流と呼ばれる冒険者とて返り討ちにあう魔物。
打倒した者はもれなく栄誉と、少なくない金を手にするだろう魔物。
オーガ。
この世界でも最上位に位置する魔物の一種。
その体は鋼より硬く、生半可な武器や魔術では傷一つ付かない。
その拳はどんな武器や魔術より強く、一振りで岩をも砕く。
大きさは人族の大人の三倍はあるだろう、見上げんばかりの巨体。
たびたび現れては、村や街を滅ぼしてきた強大な魔物。
それが今、二人の目の前に現れた。
「・・・ははっ」
目の前に現れた大いなる絶望。
通常のオーガですら、万全の二人でも足止めするのが精一杯の魔物だ。
ここ魔の森のオーガは、確かに通常の個体とは明らかに違う雰囲気をまとっていた。
決して勝てない、足止めする事すら難しい、そう感じさせるほどの。
オーガを前に、ミリスは一つの決断をした。
「・・・フィル」
「何?」
「私がなんとか奴をひきつける。
だから・・・」
「後は、任せていいか?」
それは、魔の森に入った直後の、リーニャと同じ決断だった。
「ミリスっ!」
「・・・分かった」
「・・・頼んだ」
「ダメじゃミリスっ!」
「・・・姫」
「ミリス、ダメじゃ、それだけはだめなのじゃ」
「姫、もうこれしか」
「でもっ!」
「ガァーーーーーー!」
フランを助ける為、覚悟を決めたミリス。
リーニャを失い、そしてミリスまでも・・・。
自分の為にその命を捨てようとする大切な部下に、それだけはダメだと何とか説得しようと言葉を尽くそうとしたフランだが、彼女の言葉はオーガの発した咆哮と、それに込められた威圧によって止められた。
最上位の魔物であるオーガ。
その威圧は一流の冒険者でも身を竦んでしまうほど。
ましてや今目の前にいるのは魔の森のオーガである。
通常のオーガよりはるかに強力な個体、それが発した威圧を三人はまともに受けた。
「ぐっ・・・」
「・・・これ、は」
片膝を着き、剣を支えにかろうじて倒れこむのを防いだミリス。
全身の魔力を高め、杖に体を預けながら遠くなる意識を何とか繋ぎとめるフィルニイリス。
騎士として、魔術士として修練を積んでいる二人ですら、意識を失わないようにするので精一杯なほどの威圧だった。
ただの子供であるフランが受けたなら・・・。
トサッ。
一瞬で意識を失い、フランが地面へと倒れ込んだ。
ミリスやフィルニイリスですら行動不能に陥るほどの咆哮を、若干八歳の、王族とはいえただの子供であるフランが受けて無事ですむはずが無かった。
心臓が止まらなかっただけマシだった。
実際、オーガの全力の威圧を受ければ、大人ですら心臓が止まる事もあるのだ。
身動きの取れない三人に、オーガがゆっくりと迫る。
「くっ・・・」
「姫・・・」
指一つ動かせない二人を横目に、オーガがその強大な腕を伸ばす。
守るべき主であるフランを、オーガがゆっくりと持ち上げた。
「や、やめろ」
「姫っ」
フランを眼前に持ち上げたオーガは、値踏みするかのようにフランを見て、その醜悪な顔をさらに歪めた。
- ・・・姫っ!
今まさに守るべき主君を食われようとしているのに、ミリスは何も出来ないでいた。
女の身ながら騎士に憧れ、幼少より剣の腕を鍛えてきた。
学園でもとりわけ武術の時間に力を入れ、空いた時間は全て鍛錬に費やしてきた。
そのかいあってか、学園卒業後は騎士団へ入る事が叶った。
それからも鍛え続けた結果、今では騎士団でも有数の剣の使い手としてその名は広く知れ渡るようになり、身分も小隊長になった。
何より、王族であるフランの専属護衛の任を与えられるほどに至った。
忠義も高く、高い実力と高潔な精神を持つフロイオニア王国きっての女性騎士。
そんな騎士が今、絶望の前に己の無力をかみ締めていた。
- ・・・何か、何でもいい
この状況でも、フィルニイリスはなにか出来ないかと思考を巡らしていた。
それは宮廷魔術士長としての意地か、あるいは長く仕えている王国への恩義か。
故郷の森を出て大陸中を旅してきた。
さまざまなものに触れ、さまざまな経験をし、知識を高め魔術を磨いてきた。
そうした旅の途中、魔物に襲われている一団に遭遇し、その鍛え上げた魔術で窮地を救った。
ぜひお礼をと招待されたフロイオニア王宮。
助けた一団がフロイオニア王族の一団であったのは果たして偶然か運命か。
助けた王族の一人、まだ幼い王子に懐かれ、なし崩し的に国に仕えるようになって数十年。
気が付けば宮廷魔術士長としての地位と、王の相談役という立場を手に入れ、さらには幼いフランの教育係をも務める事になった。
知識と実力、何より王家からの信頼の厚い魔術士は、これほどの絶望を前に、それでも頭を働かせ続けた。
そんな二人をあざ笑うかのように、オーガはフランを更に持ち上げた。
大きな口を広げ、今まさにフランを丸のみにしようとしていた。
- ・・・短剣を、奴の注意を
- ・・・魔術を、初級でもいいから
指一本動かせない体。
剣も、魔術も使えない。
それでも最後まで抗おうと、必死に出来る事を二人は模索した。
- ・・・何か。
- ・・・何でもいい。
- ・・・お願い!
出来る事など何もなかった。
この絶望的な状況に出来る事など、それこそ何かに祈る事くらいだった。
神話における神か精霊か・・・。
何でもよかった。
この状況を打破してくれるモノならなんでも。
今まさに食われようとしているフランを救ってくれるなら、創世神話における創造神と対立したという破壊神であっても。
だが、ここは魔の森。
二人の願いを聞き届ける者はおらず、森にいるのは魔素によって強化された魔物だけ。
それでも最後まで目を背けなかったのは騎士の矜持か宮廷魔術士の誇りか・・・。
二人の目に映るのは、守るべき主がオーガに丸のみにされようとする光景・・・。
「うおぉぉーーーーりゃぁ!」
ザシュッ!
それを切り払う、黄金の光だった。
――――――――――
「ウガァーーーーー!!」
森の中、オーガの咆哮が響き渡った。
だがそれは強者の威圧ではなく、己の存在を主張する為の叫びでもない。
魔物の中でも上位の個体である自身の、自慢の右腕が切り払われた激痛による叫びだ。
森の木々を揺らす声。
衝撃で威圧も解けたのだろう、倒れかけていた姿勢が崩れ、思わず地面に倒れ込むミリスとフィルニイリス。
絶望的だった魔物が腕を失い、捕まれていたフランが宙を舞った。
「「って、姫ぇ~!」」
あまりの出来事に現状認識が遅れていた二人が、先ほどとは違う窮地に叫んだ。
オーガの体躯は人の数倍、民家の屋根を超える大きさがある。
それほどの高さから落ちたなら、大人であろうと下手をすれば命にかかわる。
ただでさえ今のフランは意識を失い、体は重心の関係で頭から落下しているのだ。
- ・・・まずい!
理解したのは一瞬、だがオーガの威圧は解けたとはいえ体は思う様に動いてはくれなかった。
折角オーガの手から逃れたというのにっ!
倒れた姿勢から、それでもミリスが腕を伸ばし、フィルニイリスが体を無理やり動かそうと全身の魔力を高めた。
どうあがいても間に合うような状況では無かった。
それでもあがく二人を救ったのは、先ほど見た黄金の主だった。
「とっ!」
何でもないような声を出しながら、白髪の少年が空中でフランを抱きかかえた。
「ふぃ~、危なかった~」
スタッと言う軽い音を鳴らし、目の前に少年が着地する。
その後方、先ほどまでフランをつまみ上げていたオーガの姿は見えなかった。
フランを空中で受け止める際、邪魔だからとレキが蹴り飛ばしたのだ。
そんな事を目の前の少年がした事にも気づかず、ミリスとフィルニイリスはただ目の前の少年を見つめていた。
二人の視線に気づいたのだろう、少年はフランをしっかりと抱えつつ二人に笑顔を返した。
実のところ、フランを助けられたのは間一髪だった。
リーニャを救い、彼女をシルバーウルフのウォルフの背に乗せ、レキとウォルフは森の中を爆走した。
悲鳴を上げたリーニャはだが、止まってくださいとだけは言わなかった。
フランを助ける為、恐怖を飲み込んだのだ。
それでも何度か悲鳴は上げていたが。
レキとウォルフの速度はそれはもう凄まじかったが、ミリスとフィルニイリスが身体強化を全力で施した状態で移動した距離もなかなかのものだった。
それでも追いかけている内に聞こえてきたのは、フォレストウルフの雄たけびとオーガの咆哮。
あっ!まずい。
とレキが先行しなければ、今頃フランはオーガの腹の中だっただろう。
ある意味、オーガの咆哮が無ければレキも間に合わなかったかも知れない。
「う~ん・・・この子だよね?」
リーニャの言う「あの子」を探し、そして助けた女の子。
綺麗な、肩の下辺りまである金色の髪。
非常に整った可愛らしい顔。
動きやすく、されど森を歩くには不釣合いな服。
年はレキと同じくらいだろうか?
リーニャに乞われて助けに来たは良いものの、肝心のどんな子なのかをレキは聞いていなかった。
まあ、オーガに食べられそうになっている子がいたなら、それが誰であれ助けただろうが。
そもそも基本的にこの森にはレキ以外人がいないのだ。
レキが抱えている子で間違いは無いはず。
とはいえ、これで助けたのが別の子だった場合、助けるべき子は別にいるという事になってしまう。
そんな万が一にもありえない可能性を考えたのか、とりあえず知っていそうな人に聞く事にしたレキ。
「えっと・・・あれ?」
目の前にいた、なんか地面に倒れながら手を伸ばしている女性二人に尋ねようとして、なんて聞こうか迷うレキ。
何せ、助けるべき女の子の名前すら知らないのだ。
第一「この子でいいの?」と聞こうにも、それを聞く相手はリーニャであり目の前の二人ではない。
なにを聞けばいいんだろうと、無い頭を捻りつつレキが頭を傾げた・・・。
「ガァーーーーーー!!」
そんな時である。
レキ達の遥か後方で、オーガが怒りの声を上げた。
片腕を失い、さらには蹴飛ばされた怒りの声であり、ついでに獲物を取られた怒りでもあった。
先ほど以上の声に、まるで森全体が震えているかのような錯覚すら受け、威圧が込められていないにも関わらず身を震わせたミリスとフィルニイリス。
圧倒的強者の怒りの声に体の芯から震えだしそうになった二人と比べ、怒りの原因となった少年はと言えば・・・。
「も~、うるさいなぁ~」
何とも迷惑そうな顔をするだけだった。




