お迎え①
お迎えが近い。
それを儂は知っていた。
人間、死の間際になるとわかるものだ。
ボケたのではないかとな?
いいや、例え身体がヨボヨボでも、わしの脳細胞は元気だ。
今朝の……朝ごはんは……はて……そもそも食べただろうか……。
バーさん。おい、バーさん。
きこえんのか。
嗚呼そうじゃった。
儂はこれから死ぬんじゃった。忘れておったわい。
思い返せば……はて、昼ご飯はまだかのぉ……。
おい、美智子さん! 美智子さん!
孫の幼稚園の迎だろうか。
茶の一つも出さんとは、駄目な嫁だ。折角……死のうという老人の今際位……。
おい、中々迎えが来ないではないか。
「モーロクじいさん。目ぇあけてくんないかしら?」
耄碌?
矍鑠としておると何度言えばわかる!
「もう一度、言うわ。目ぇあけてくんないかしら?」
開いた目に飛び込んできたのは若々しいぱっつんぱっつんの太ももと、おパンティーじゃった。
B-29が飛び交う中の、赤裸々な青春の日々が思い出された。
ピンクか。ええのぉ。
眼福……。
「ちょっと、ガン見しないででくれる?」
「いやじゃ! 後生じゃ! 火葬場で焼かれる前に、目に焼き付けさせてくれ!」
儂はぴちぴちの脚をつかんだ。
藁をも掴む気持ちだったが、掴んだ彼女の脚は、藁のようにごわごわではなく、すべすべでもちもちしていた。
「きもいきもいきもい!」
ガシッ…・・。
きつい一撃が頬を襲った。おそらく、爪先の一発じゃった。
「老体を蹴るとは、介護士には向かない奴め……」
儂は腫れた頬を摩った。
儂を蹴った女子は、中々の美人であった。天女のような恰好をして、髪は緑色である。
その瞬間、儂は理解した。
こんな老いぼれが、現世でティーンのむちむちあんよを触れるだろうか? 否、ここは天国。
つまり、
「儂は死んだんか?」
「イエスでもあり、ノーでもあるわ」
「藪医者みたいな曖昧なことを言うでない。そうじゃ……奴らは鬼畜じゃ。老人を金蔓としか見ておらん。じゃから、大したことない病気も、癌になるともいえるし、ならないともいえるとか曖昧なことばかり言うんじゃ……。死んでいない? なぜ、はっきり言わんのじゃ。あれか。延命治療で医療費を踏んだくるつもりか! あんた、美人なんじゃから、悪の道に手を染めてはいかん。正直に生きればいいこともあるんじゃ。人生、正直が一番じゃ。儂も軍隊内で濡れ衣を着せられたときも、正直に部隊長に報告し続けたんじゃ。結果、儂の無実が証明された。じゃからな……、あんたも頑張らないといかん」
「なんで説教されてるの。私……」
美人の女子は困り顔で言った。
「で、本題なんだけどおじいさん。異世界へいかない?」
「異世界とはなんじゃ? 孫もよく言っておったが」
「そうね~、楽しいところよ」
女子はしたり顔になった。
「今、異世界は人口不足なのよね。魂の移民を募っているの」
「移民じゃと! 聞こえよがしに移民と言い、その実はブラジル移民のように、異国に棄民する気じゃな……。甘言を弄して騙し、片道切符で送り出し、ついてみれば荒野。過酷な開墾作業に、三十台で亡くなったものも数知れない。あんた、ブローカーもやっておるんか。本当に悪いことは言わん。若いんだからやり直せる。やり直しなさい」
「また説教? 老人の相手は面倒ね……。若いとすぐに、異世界転生! とかダボハゼなんだけど」
「長生きすると疑り深くなるのじゃよ。人生経験の悪い側面じゃのぉ」
「それ、痴呆の兆候じゃないの? よく、ぼけ老人が言うらしいじゃない。財布を盗られた! とか家族を猜疑心いっぱいの目で見るやつ」
「儂はボケておらん! 朝飯が、美智子さんのつくったベーコンの目玉焼きとわかめの味噌汁だったことも憶えておるわ! 適度のまずかったことも憶えておるわ!」
はて。
若干、頭が冴えているような。
今朝の食事も思い出せる。さっきまで、思い出せなかった気がするんじゃがのお……。
「それで、どうするの? おじいさん」
異世界転生。つまり、第二の人生。
しかし、儂も長生きした。赤いちゃんちゃんこもきたし、紫のちゃんちゃんこもきた。
孫は六人。曾孫は五人。
これ以上、いったい何を望めばいいのか。これ以上を望むのは強欲ではないか。
金もなかった。美人も抱けなかった。
だが、悪くない人生だった。
「儂は天寿を全うしたんよの? 天寿を全うしたのなら、もういいわい」
「残念なんだけど、天寿は全うしてないわ」
――天寿ではなかった。
「な……ん……じゃ……と」
「タンクローリーに轢かれて死んだのよ」
「ガッデム……なんてことじゃ……」
轢かれなければ、長寿世界一だって狙えたかもしれない。
儂は人生を奪われたのじゃ。
急にまた、もう一度人生をやり直したいという気持ちが鎌首を擡げてきた。
「異世界は可愛いギャルがいっぱいよ」
天女の女子がにやつきながら言った。
「可愛いギャル……。諏訪根自子みたいな美人はいるかね」
「諏訪根自子……って誰よ……」
「おらんのか! おるんか! 重要なことなんじゃ! 考えてもみい。醜女ばかりの異国にいっても悲しいじゃろ」
「いるいるわよ。いるから、早くしてよ!」
「何故そんなに急くんじゃ?」
「天女業は、時給制じゃなくてノルマ製なのよ」
「そ、そうか。おるんか。おるのなら重畳。では、いこうではないか。異世界へ」
女子は手をたたいた。
喜色満面であった。
「一丁あがりね! では、この中からチートスキルを選んで」
やおら、天女の女子は巻物を差し出した。
何やら小さい字で書いてあるが、老眼なので読めない。
全く読めない。
「老眼鏡は?」
「ないわよ」
「これはあれじゃな。小さい文字で注意事項をこれでもかと書き、年寄を騙そうとする保険屋とか携帯電話屋、パソコン屋……きゃつらのの常套手段じゃな……」
「違うわよ! 若者向けなのよ。これ」
「巻物なのにか。若者向けなら、なんじゃったっけ。タブレットゆうやつなんじゃ?」
天女の目が左右の泳いだ。PCデボの店員と同じ目をしている。
じゃが、儂はもう決めていた。
異世界へ行くのだと。
「じゃあこれでいいわい」
適当に選んだ。
「これでいいのかしら? ガチで?」
「いいわい」
女子は女神のような笑みで言った。
「ようこそ異世界へ」