相談
八月も中旬に入り、夏休みは折り返し地点を迎えた。
あの手紙を見て以降、綾乃がいつ消えてしまうか気が気ではなかった。
しかし、一日経っても二日経っても特に変化はなく、彼女は普段通りの様子で家に居座り続けた。
そのことに、悠介はひとまず胸を撫で下ろした。
「恩返し? どうしたの突然」
「何かアドバイスを頂けないかと思いまして。店長、そういうの好きそうですし」
「そういうのって何よ」
「……サプライズ、みたいな?」
「どうして疑問形なの」
店長は困惑した様子で苦笑いを浮かべている。
バイト終わりの時間と店長の上がり時間が被り、こうして相談に乗ってもらっていた。
休憩室の扉は閉め切られていて、それを越えた先にあるであろう戦場とはしっかりと隔離されている。
二人きりの状況になり、周囲を気にすることなく会話することが出来る。
「とにかく! あまり時間がないんですよ。その人のために俺は何かしてあげたいんです。でも、どうすればいいか良く分からなくて……」
「さては、女の子でしょ?」
「ど、どうして分かったんですか」
「だって、悠介くんの話し方が完全に恋してる人のそれだし」
図星を突かれ、顔に熱が集中するのを感じる。
本人に直接告白した時はそうでもなかったのに、第三者から指摘されると気恥ずかしい。
それを誤魔化すようにして水を飲むと、中に入ってる氷まで喉に入りそうになり、危うく窒息しかけた。
「落ち着いて。動揺し過ぎ」
しばらく咳き込んでいると、店長は背中をさすってくれた。
「焦りは禁物だよ。仕事中もそうだけど、君は何か決めると一人で突っ走りがちだからね。もちろん、それが悪いわけじゃないんだけど、一度立ち止まった方が良い時もあるよ」
ようやく咳が止まり、呼吸が楽になる。
しかし、その後遺症は大きく喉がイガイガしていた。
「……すみません」
責められているような気がして、つい謝ってしまう。
彼が意図していた内容とは違う解釈をしてしまったようで、「そういうつもりじゃなかったんだけどね……」と言われた。
「僕も奥さんがいるんだけどさ。それが初恋だったもので、今の悠介くんみたいにがむしゃらになってたよ。あの頃は若かったな〜」
今も若いじゃないですか。
胸の辺りまで出かかった言葉を飲み込み、浮かび上がった疑問を悠介は尋ねた。
「店長、結婚してたんですか?」
「もちろん! 本当に素敵な人でね。例えばーー」
どうやらスイッチを押してしまったようで、彼は五分ほど奥さんについて語り続けた。
途中で止めようとも考えたが、相談に乗ってもらってる身でそんなことをするのも申し訳なく思い、結局最後まで聞いてしまった。
「……と、まぁそんな感じでね。とにかく焦っちゃダメなんだよ! 分かった?」
いつも以上に快活な様子で店長は声を張り上げる。
その様子から、この人は本当に奥さんを大切にしてるんだと実感させられた。
「わ、分かりました……」
「それならよろしい。それで本題だけど、時間がないって言ってたけど、それはどういうこと?」
彼の表情は先ほどから一転、真面目なものへと姿を変化した。
あまりの切り替えの早さに、悠介は思わず固唾を飲み込んだ。
さすがは接客業に従事する者だと、心の中で賞賛を送り付ける。
「……幽霊って言ったら、信じてくれますか?」
「ゆうれい……?」
言わないでおこうとも考えた。
しかし、隠したところで意味があるとは思えなかったし、何より自分自身が最後まで話を合わせられるとは思えなかったのだ。
「僕は見えないから分からないけど、そういうのが見える人がいても不思議ではないかもね。この世界には色々な人がいるから」
その口振りからして、綾乃の存在を肯定してくれているのだと理解した。
こういうさり気ない優しさが、多くの人を惹きつけるのだろう。
「実は、俺がここで働くきっかけをくれたのもその人なんです。それだけじゃない。今までのことも、弟の件だって、全部その人のおかげなんです」
「君は、本当にその人のことが大切なんだね」
「はい!」
自分でも驚くくらいハッキリとした言葉で返事をしてしまった。
それを見て、店長はどこか満足気にしている。
「それを誇れるのは良いことだよ。だから、その気持ちがあれば大丈夫」
「えっ?」
「君は何かしてあげたいと思ってるのかもしれない。だけど、何より大切なのはそう思える気持ち。何かするというのはそれを表現するための手段に過ぎないんだ。だから、そこに固執する必要はない」
「そういうものですかね」
「少なくとも僕はそう思うよ。どれだけの物を与えられたとしても、そこになんの想いも存在してなかったら、これほど空虚なものはないと思わない?」
そう話す姿は、やけに現実味を帯びている。
何かあったのだろうかと探る視線を送ると、彼はハタリと我に帰った。
「……ごめん、つい悪い癖が出ちゃった。要は、君が心からしてあげたいと思ったことをすれば良いと思うよ」
「やっぱり、店長もそう思うんですね」
「と言うのは、相談を乗っておいてあれだから。僕から一つアドバイスをあげるよ」
「ありがとうございます」
「その子がどれくらいの年齢なのか分からないけど、やっぱり水族館とか連れてくのは雰囲気あって良いよ。後はありきたりだけど遊園地とか。お化け屋敷で距離感を縮めたり……って、本物の幽霊なんだったね」
店長の引き出しは凄まじく、彼の経験の豊富さが窺い知れた。
ありがたいアドバイスを聞き逃さないように、近くにあった紙にメモを取る。
「……さっきの話だけど、僕も幽霊が見えたら良いなって思うよ」
唐突に、話題は別の物へシフトした。
店長の瞳は本音の色を示しており、からかいや冗談の意は微塵も感じられなかった。
「俺にもどうして見えるのか分からないですけどね」
「僕さ、昔不思議な女の子に会ったことがあるんだよね」
「どんな人だったんですか?」
「とても病弱な子だった。僕たち家族はその子を看病し続けたんだけど、もう手遅れだったみたいで……。今みたいにすごく暑い日だったからね……」
どこかで聞いたことのある話のような気がした。
しかし、その正体は未だ掴めない。
「家の前で倒れてて何事かと思ったよ。多分、迷子か何かで行方不明になってたんだと思う。彼女の面倒を見ながら警察に捜索をお願いしたんだけど、見つかることはなかった。それどころか、彼女の名前すら今も分からないままなんだ」
「そんなことがあったんですか。……だけど、どこが不思議なんですか? 特に変な所はないと思いますけど」
「……彼女が亡くなって、僕たちは埋葬してあげようと考えたんだ。そのままだなんてあまりにも可哀想だからね。……でも」
「……でも?」
そこで、店長は話すのを止めてしまった。
言うべきかどうか逡巡している。
止めた方が良いかもしれないと思い言葉をかけようとすると、それとほぼ同時くらいに彼はポツリと呟いた。
「彼女は姿を消したんだ」
「……どういう、意味ですか?」
「そのままの意味だよ。死んだはずの彼女は、埋葬当日になって突如として姿を消した」
「そんなこと、あり得るんですか?」
「それは僕が聞きたいよ。でも、確かに彼女はいなくなったんだ。僕たちの前から綺麗さっぱり、ね」
店長の言葉に、どうリアクションするべきか分からなくなった。
そんな悠介を尻目に、店長は続ける。
「もしかしたら、彼女は本当に幽霊だったんじゃないかとさえ思うんだ。じゃなければ、あんな風にして消えるなんて……」
店長が綾乃の存在を否定しない理由が分かった。
きっと幽霊という存在を信じたいのだ。
「本当のところは分からない。幽霊だって思い込むのは彼女への冒涜だって分かってる。……でも、もしもあの子が本当に幽霊で僕と会えるなら、ちゃんと謝りたいんだ。『助けられなくてごめんなさい』って」
ーーその人は私のことが見えていませんでしたから。
不意に、あの日の綾乃の台詞が頭を掠めた。
店長の話は、綾乃の話と類似してる点がいくつもある。
思えば、彼女はバイト帰りに毎日のように迎えに来てくれた。
それが何故なのか、今まで理由を深く考えてこなかった。
まさか……。
散りばめられたパズルが次々とはまっていく感覚に、悠介は嫌悪感を覚えた。
「……悠介くん?」
「えっ!? あっ、はい!?」
「そんなにびっくりしてどうしたの」
「い、いえ。なんでもないです」
動揺を悟られないように水を飲もうするも、その中身はすでに空になっていた。
行き場を失った右手はテーブルの上に置かれ、何かを求めるように忙しなく動き回っている。
「……ごめん。また湿っぽくなっちゃった。こんなこと話すつもりは無かったんだけどね」
「大丈夫です。……色々考えたくなったので、そろそろ帰りますね。相談に乗ってくれてありがどうございました」
話を無理矢理終わらせるように、悠介は立ち上がる。
それから半ば逃げるようにして、休憩室の扉に手をかけた。
「ああ、うん。もう遅いから気を付けて帰ってね」
去り際に一度だけ振り返ると、店長は不思議そうな表情を浮かべていた。
それに気付かないふりをして、そのまま休憩室を後にした。
店内を出ると、生温い夜風が服の間をすり抜ける。
違和感を感じた。
その正体を確かめるように辺りを見回しても、景色に変化は無い。
いつまでもここにいても仕方ない。
考えたいこともあるし早く帰ろう。
そう思って歩き出すと、ようやく違和感の原因に気付いた。
この日に限って、綾乃は悠介を迎えに来なかったのだった。




