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めぐりめぐるその日まで  作者: たく
23/35

過ち

人混みを縫うようにして、その身をよじらせる。


時々人と接触しそうになった。


しかし、そんなことに構ってる余裕はどこも無い。


「圭吾っ!」


こちらの存在を察知し、彼は逃げ出した。


見失わないようにその姿を脳裏に焼き付け、無心でそれを追う。


ふと、人波を外れて路地裏に忍び込んでいくのが見えた。


このままじゃまた見失う。


そう思うと同時に、悠介の足はピッチが上がった。


遅れて角を曲がると、その背中はまだ姿を残していた。


「待てよっ!何で逃げるんだよ!」


こちらの呼びかけも虚しく、圭吾はひたすら走り続ける。


追いかけても追いかけても辿り着けないもどかしさに苛立ち、悠介は心の中で大きく舌打ちをする。


空気がだんだんと湿ってきている気がした。


呼吸をする度に感じる不快な感覚に、吐き気が込み上げる。


再び角を曲がり、圭吾は一瞬フェードアウトした。


このままじゃキリがないと感じた悠介は、圭吾が曲がった道を敢えて直進する。


この路地は迷路のような地形になっていたが、悠介は賭けに出た。


捕まえるにはこれしかない。


悠介は自身の決断を信じ突っ走る。



誰も歩いてない道を、ひたすら孤独に走り抜けた。


気付けば綾乃もいなくなっている。


そういえば、彼女は走るのがそんなに早くなかった。


今更ながら、そんなことを思い出した。


そんなことを考えている内に、目的地は近付いてきた。


「ここで合流するはず」


頭の中で地図を描き、自分と圭吾の居場所をナビゲートする。


二つの点が交差すると思われる所で、悠介は足を止めた。


壁に沿うようにして、息を潜める。


三十秒ほどすると、リズム良く地面を叩く音が聞こえた。


一歩、また一歩と、それは確実にこちらに向かってくる。


その存在を確かめるように顔を出すと、そこには想像通りの人物がいた。


「よし」


自分のプラン通りに事が運び、ついガッツポーズをしてしまう。


対象物が射程圏内に入ったことを確認し、悠介は勢いよく飛び出した。


「そこまでだっ!」


ビクリと身を仰け反らし、圭吾は来た道を引き返す。


しかし、すでにスタミナが切れていたのか、足元がもたついていた。


チャンスとばかりに、あっさりとその手を掴み取る。


圭吾とは対照的に、悠介は体力を温存していた。


土壇場での思い付きが、今回の勝敗を分けたのだった。


「離してよっ!」


捕まえてもなお、圭吾は逃げようとする。


普段とは違い、感情を爆発させたような激しい口調に悠介は怯んだ。


「いい加減にしろよ!」


あまりの暴れように反射的に手を振り上げると、それを何者かに止められた。


振り返ると、綾乃が首を横に振っていた。


彼女の冷静な顔を見て、これではいけないのだと理解する。


「……圭吾。少し落ち着いてくれよ。な?」


それは、自分に言い聞かせる意味もあった。


攻撃の意思は無い。


それを伝えるように言葉をかけると、意外にも圭吾は素直に言うことを聞いた。


ただ、未だに背を向け続けていて、その表情は読めない。


「みんな心配してる。もう帰ろう」


「嫌だ」


あまりの返答の早さに、思わず言葉が詰まる。


ワンテンポ遅れて、悠介はその意を尋ねた。


「何でだよ」


「何でって……。それは兄さんが一番分かってるはずじゃないの?」


「分からねーよ、そんなもの」


地雷を踏んでしまったのか、圭吾は勢いよくこちらに振り向いた。


今にも泣き出しそうな表情で、こちらを真っ直ぐに射抜いた。


「そうやってはぐらかさないでよっ!もう分かってるんだよ……。兄さんが僕のこと嫌ってるって」


その台詞に、心臓を鷲掴みにされた。


悪夢にうなされていた時と同じような感覚。


動揺して、つい圭吾の手を離してしまった。


しかし、彼も今更どうこうするつもりはないようで、労わるようにして手を結んだ。


そして、それと入れ替わるようにして綾乃が手を繋いでくれた。


「私が付いてます」


凛とした声音で背中を押される。


なんと頼もしいことだろうか。


ここで綾乃と話すと色々と問題が起きそうなので、心の中でお礼を言った。


気を取り直し、圭吾と対峙する。


「……誰が言ってたんだよ、そんなこと」


「学校の人や母さんが言ってた、『優秀な弟を持つとダメな兄は大変だな』って。僕は兄さんがダメだなんて思ったことは一度たりとも無い。……でも、周りはみんなそう思ってた」


静かに語っていても、そこには確かに炎が宿っていた。


自分も、そして綾乃も、その様子を見守ることしか出来ない。


頰に冷たいものが落ちてきた。


ポツ、ポツ、とその勢いは少しずつ加速していく。


「それでも、当の兄さんが気にしてなければそれでいいと思ってた。……なのに、なのに……」


「俺はーー」


「それだけじゃないっ!!」


こちらの話を聞くつもりは無いようだった。


あまりの剣幕に、どう対応するべきか悩んだ。


暴力に頼るのではなく、しっかりと向き合うにはどうするのが最適なのか。


未経験のことを考えるのはいつだって難しい。


そんな様子を察してか、「こういう時は全て吐き出させた方がいいです」と綾乃が耳元で囁いた。


それに従うようにして、悠介は口をつぐむ。


「毎日毎日喧嘩ばかりして、家の空気は最悪だった。僕はただ“あの頃”のように仲良くして欲しいだけだったのに……!」


“あの頃”というのは、きっとまだ自分たちが幼い時の話だろう。


小学生の時も仲が悪いわけではなかったが、特別良いわけでもなかった。


むしろ、その頃から家族の間に歪みが生まれ始めたといってもいい。


その結果、圭吾が明確にしなくてもそれがいつを指しているのかすぐに分かった。


「僕が頑張れば何か変わると思ってた。そのためにここまで必死に色々なことに取り組んできた。……それなのに、頑張れば頑張るほど距離は生まれていった。……ねぇ、兄さん。僕は何のためにここまで頑張ってきたの……?」


罰を与えるかのように降り注ぐ雨は、三人を激しく叩きつけていく。


彼の瞳から流れ落ちるものが雨なのか、それとも涙なのか、その見分けはつけられなかった。


大きな勘違いをしていた。


目の前にいる弟の本音を聞いて、やっとそのことが理解できた。



……圭吾は天才なんかじゃなかった。



圭吾はずっと、家族の関係を良くするために動いていた。


誰に何と言われようと、どれだけのプレッシャーをかけられても、必死に頑張ってきたのだ。


それなのに、そんな努力に目を向けず結果だけを見て、周りは“天才”だと勝手に境界線を引いた。


それは自分や両親も例外ではない。


それどころか、それに甘んじて余計な物まで背負わせてしまった。


期待、不安、孤独。


どれを取っても、十五歳の圭吾には荷が重すぎる。


それらを全てを抱えながら、今までずっと生きていたのだ。


自分のことばかりで、何も見えていなかった。


そのことにもっと早く気付いていれば、目の前の弟はこんなにボロボロになることはなかったというのに。



ーー今みたいに感謝の気持ちを伝えると、相手も自然に感謝することができるんです。



いつかの綾乃の言葉が、脳内に響き渡った。


それを実現するように、悠介は圭吾の背中にそっと手を回す。


そして、自らの胸に優しく引き寄せた。


「……今まで気付いてやれなくてごめんな。俺、自分のことばっかでさ、ほんとダメだよな」


その言葉に、ブルブルと圭吾は首を振る。


「だからさ、これからはちゃんとした兄貴になれるように頑張る。だから、帰ってきてくれよ」


ヒック、と嗚咽のようなものが所々に漏れていた。


それに気付いてないふりをしながら、最後の言葉を振り絞る。


「圭吾はよく頑張ったよ。……今まで俺たちのために頑張ってくれて、ありがとう」


その瞬間、今まで人前で涙を流すことは決してなかった圭吾が、初めて声を出して泣いた。


それが落ち着くまで、悠介はその身を優しく包み続けていた。

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