チョコミント
カリカリ、と部屋の中に無機質な音が木霊し続ける。
「頑張ってください。これが終われば大好きなチョコミントたちが待ってますよ」
「餌付けしてるみたいなこと言わないで下さいよ」
「だって、悠介くんはこうでもしないとちゃんと取り組まないじゃないですか」
アイス、クッキー、ドリンク。
ありとあらゆるチョコミントが、盛大に床に広げられいる。
クイズ番組で目の前に大金を積まれている人の気持ちは、きっと今の自分のようなものなんだろうと思う。
綾乃はそれを食べるわけでもなく、悠介の作業が終わるのを今か今かと待ち受けている。
悠介が取り組んでいるものは、夏休みの課題だった。
高校生になってからこういったものに真面目に取り組むことはなく、成績に響かない程度で適当に済ませていた。
もちろん、これから先もそのつもりだった。
しかし、その話を聞いた彼女は「そんないい加減なことをしていたらいけませんよ。未来の自分が後悔してしまいます」と言った。
綾乃の言葉は、悠介にとって非常に大きな影響力を持っている。
誰がどう言おうと納得出来ないことを、彼女の一言はいとも簡単にそうさせてしまう。
要は、相手の気持ちを汲み取る力に長けているのだ。
それが分かっているからこそ、現実を見てもらおうとするのだろう。
その上、フォローまで完璧である。
流石は綾乃先生だ。
動かし続けていた手を止め、回転式の椅子を四分の一ほど回して綾乃と向き合った。
「そういえば、綾乃さんにチョコミントが好きだって話しましたっけ?」
「いえ、してませんよ。でも、バイトの帰りによく食べてたじゃないですか」
「確かにそうですけど……」
毎度のことながら、綾乃の察しの良さには度肝を抜かれる。
公園で会った時に、『いつも見ている』と言っていたのはやはり本当のことなのだろう。
そうでなければ、自分のことをここまで熟知してるのはおかしい。
それに比べて、彼女のことを悠介は未だによく知らない。
分かっていることといえば、生きていた時に悲惨な運命に翻弄されたということ。
その後、“あの人”に救われたということ。
そして、現在は幽霊になってしまったということだけだった。
順風満帆とは言い難い道のりを歩んできたにも関わらず、彼女は笑顔を絶やさない。
その胸の奥には、一体どんな感情が眠っているのだろうか。
不意にあることを思い付いた。
「綾乃さん、休憩がてらゲームしませんか?」
「良いですね、楽しそうです」
てっきり断られると思っていた。
それどころか、綾乃はキラキラと瞳を輝かせていた。
たまに覗かせる子供らしいギャップに、思わずドキリとしてしまう。
「じゃあトランプゲームをしましょう。そうですね、負けた方は罰ゲームとかどうですか?」
予想外の展開だったのか、綾乃は驚いたように口に手を当てた。
「分かりました。その勝負、受けて立ちます」
「負けた方は勝った方の質問に嘘をつかずに答える。それでいいですか?」
そう聞くと、さっきの威勢はどこにやら、彼女は「うーん」と悩み始めた。
いくら幽霊になってるとはいえ、聞かれたくないことや知られたくないことがあるのかもしれない。
彼女を傷つけてまでそれを知る勇気は、悠介には持ち合わせていなかった。
「特別ルールとして、負けた方は一度だけ質問を無効にすることができて、且つ自分が質問できるというのでどうですか? 使うタイミングは相手の質問を聞いてからでも大丈夫です。なので、もし答えたくないことがあったらそれを使ってください」
「分かりました」
こうして、一時の休み時間が始まった。
「本当にそっちでいいんですか?」
綾乃は視線を左右に往復させている。
彼女の手に握られた二枚のカードは、すっぽりとその口元を覆っていた。
まるで、どこかのお嬢様が上品に扇子を広げてるようだ。
最初に選んだのは、ババ抜きだった。
二人の手札の合計枚数は残り三枚。
つまり、これでジョーカーではない方を引けば悠介の勝ちだ。
そんな状況だというのに、綾乃は全く動じない。
「俺はこっちがジョーカーだと信じてますよ」
そう言って、右側のカードを指差す。
「果たしてそうでしょうか?」
こちらがいくら揺さぶりをかけても、綾乃はニコニコといつもの笑顔を貼り付けているだけだった。
このままでは彼女のペースに飲まれてしまう。
そう思った悠介は、宣言したとおりに左側のカードを思いっ切り抜き去る。
こちらへ勢いよく振り返ったカードは、嘲るように憎たらしい顔を浮かべていた。
「惜しかったですね」
そう言って、残った方のカードを誇らしげに見せてきた。
「綾乃さん強いですね。全然顔に出ないんですもん」
「こう見えても結構ドキドキしてたんですよ? でも、悠介くんが思った通り分かりやすくて助かっちゃいました」
綾乃はペロリと舌を出した。
「さてと、何を聞きましょうかね」
どうしてババ抜きなんか選んでしまったのだろうか。
綾乃の察しの良さを持ってすれば、どれだけ不利な勝負を挑んでいるか分かったはずだ。
その上、彼女は自分のことをよく知っている。
こんなことだから負けるのだと、悠介は己の考えの浅はかさを呪った。
「悠介くんは、どうしてそんなにチョコミントが好きなんですか?」
突然の質問に、一瞬反応が遅れてしまった。
少しして、それが罰ゲームなんだと理解した。
「チョコの甘さを残しつつもミントによる爽快感を楽しむことができるからですかね。チョコってずっと食べてると甘ったるくなってくるじゃないですか。ミントも単体で食べると刺激が強くて、とてもじゃないけどずっと食べてられないです。でも、一緒に合わせることで飽きずに食べ続けられるんですよ。これってすごくないですか?」
冷静な眼差しで、綾乃はこちらを見続けている。
その時になって、自分が一人熱心に語っていることに気が付いた。
「あ、ごめんなさい。つい熱く語りすぎちゃいました」
「大丈夫ですよ。魅力が十分に伝わりましたから」
満足したように、綾乃は隣に広がっているチョコミントの山々を見遣った。
「そうだ、一つだけ食べてみますか?」
「えっ?」
彼女は何故か驚いたような態度を取る。
「どうしたんですか?」
そう聞くと、「今なら食べられるかもしれませんね」
と呟いた気がした。
釈然としない態度にモヤモヤし、悠介は疑問を込めた視線を送り続けた。
「いえ、こちらの話ですよ」
発した言葉は、先ほどと違ってやたらと通っていた。