アクアスケッチ
過去の作品です
至らない点は多々ありますが、どうかご容赦下さい
思い出ぶっ壊しの旅。
そう名付けて、僕は休日になると旅をしている。
喧嘩別れした彼女と行ったデートスポットや、険悪になった友人の住んでいる街に行き、嫌な記憶を上書き保存してしまうのだ。
今日は失恋の傷を癒そうと、水族館を巡ることにする。
特に大型の水族館ではないけれど、全長50メートルにも及ぶ海底トンネルの光景は何度見ても格別であった。
デジカメを手に取り、魚達を写真の中に閉じ込める。
海底トンネルを通ると、鉄道で旅をしたことを思い出す。
電車は二両しかなく、声を荒げて話すような人もいないので、電車が軋む音や車輪の音だけが車中に響く。窓から覗く景色は田畑ばかりで、しかし貧相かと問われればそんなことはなく、田舎ならではの素朴な風合いが感じられた。
一定距離を過ぎると、迷い込んだかのように周囲を小高い森に囲まれてしまう。青や橙色の名前も知らない花が随所に咲いていた。
都会の喧噪を少し離れたところになると、さすがに電車も混まないと思ったが、いくら平日とはいえそこは観光名所だ。車中もそれなりに混み合ってきた。
長瀞の駅で電車に乗り込んできた老夫婦に席を譲り、ドアに背中を預ける。先程の老夫婦に目を見やると、二人でデジタルカメラを覗き合い、風景の写真を楽しんでいた。
そこには京都や長野など、比較的に有名な場所の風景が映し出されている。旅好きな老夫婦なのだろう。旅行がきっかけでこの二人が知り合ったと想像すると、なんとも微笑ましい気持ちになった。
そんなことを思い出していると、海底トンネルの先で簡易的なイスに座り、海亀の絵を描いている女性を捉えた。
「なにしてるんですか?」
その光景が不思議で、繊細で、つい声をかけてしまう。女性は自分をちらりと見たあと、また視線を戻して海亀の絵を描き始める。
「あなたと同じよ。絵を描いて思い出を上書き保存するの」
「僕と?」
「あなたは写真を撮って思い出を上書き保存してるんでしょ」
言いながら僕のデジカメを指差す。
「絵を描いてるとこ、撮っちゃ駄目ですか?」
「べつに良いよ。撮ってるとこ、描かせてくれるのならね」
なんだか、お互いがお互いの上書き保存を手伝っているみたいでおかしくなる。他の人から見ても変な光景だろう。
写真を撮りながら、彼女の指先を眺める。
左手の薬指に指輪がはめられていた。
ふと彼女の後ろにある水槽に目をやると、先程の海亀がアクリル板にぶつかりそうなほど接近していた。まるで彼女の描く絵を眺めているようにも見える。
スケッチブックに色濃く描かれていく僕の絵とは対照的に、気付けば、大切な人との記憶は淡く色褪せていった。
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