第1章 埼玉県銃砲刀剣登録審査会 -1-
「最近のネットオークションでの古式銃売買に関して、警察から相談が来ているんですよ。とりわけピストル類が大手を振って出回っているのが問題で、怪しい登録証がつけられたものだけでもなんとかしたいのだそうです。この件について、何かアイデアをいただけると嬉しいのですが」
片えくぼが愛らしい成田女史が、右分けの前髪に片側が隠れた眉根を寄せ、目一杯深刻そうな表情を作って県庁の会議室にいる男二人に意見を求めた。
なお、顔は深刻でもどこかのほほんとした空気を醸し出すのが、人に厳しく当たれない彼女の限界であり、埼玉県教育局のアイドルたる所以でもあった。
一方、広々とした会議室を使っているとはいえ、ずいぶん離れた長机にそれぞれ着いている二人の男の距離が、そのまま二人の親密度も示していた。
一人は和服姿で貫録があり、したたかな眼をした年配。
もう一人は校章入りのYシャツを着た、線の細い高校生。
歳の差からいっても共通の話題など見出せないであろうし、一方的な上下関係しか生まれ得ないと思わせる。
ところが今、この室内における心理的優位度は「高校生>年配」なのだ。
二十代前半の娘が、深く考えもせず、警察からの相談事をそのまま口にしただけで、年配は追い詰められたと言っていい。
それもそのはず。
怪しい登録証の出所を辿れば、この年配に行き着くことを、知らないはずがない高校生がいるのだから。
◆ ◆ ◆
「おはようございます、成田さん。今日もよろしくお願いします」
奇数月の第二土曜日、朝九時三十分。
いつもの時刻、埼玉県庁の某会議室に高校生が現れた。
「おはようございます、八板くん。朝からご苦労さま」
土曜日なのでお役所はお休みの中、教育局からただひとり出勤して朝九時から会議室を開け、今日の審査会の書類を準備していた成田さんが、片えくぼと白い歯をしっかり見せて微笑みかけた。
男子高校生にしてみれば、年上のかわいいお姉さんとご一緒できる仕事で、モチベーションが上がらないわけがない。毎回朝からやる気充分である。
「はい、どうぞ」
成田さんが、コンビニで買ってきた1リットル紙パックのピルクルを紙コップに注ぎ、高校生の前に置いた。
「ありがとうございます」
いつも集合時間の朝十時すれすれに来る年配向けに、ほうじ茶の用意もしてあるが、成田さんと高校生は同じピルクルを飲む。
それがこれから始まる埼玉県銃砲刀剣登録審査会の、二人の登録審査委員と、それを監督する埼玉県教育局 文化資源課の担当官との関係性にも通じていた。
「成田さん、今日は何挺ですか?」
長机の上に、鞄から筆記用具やノート、カメラ、ルーペ、ペンライト、メジャー、ノギス、使い込まれた何冊かの本などを出しながら、高校生が訊ねた。
「今日も二挺だけだから、すぐに終わっちゃうと思うよ。現役高校生銃砲鑑定士・八板金之丞先生にかかれば一発ですよ!」
「いやいや、埼玉県庁きってのマドンナ、成田友里恵担当官あっての我々ですから!」
互いに持ち上げあった後、同時に吹き出す。
いつもながら、この二人の間に流れる空気はとても良い。
あと十数分で、空気を悪くする老人が来るが、それまでは若者同士で和気藹々と談笑するのが、審査会の朝の光景だった。
若者、いや、若僧と言ったほうが正しかろう。
埼玉県の銃砲の登録審査を、なぜ二十歳前後の若僧が担当しているのか。
関東圏において、銃砲登録のほとんどは東京都と神奈川県で行われる。
海外から船で運び込まれる古式銃を鑑定・登録するのが審査会の本流であり、玄関口となる東京都と神奈川県は必然的に審査委員の質も高く、人数も多い。
その点、埼玉県で登録審査に出される銃はごく僅か。ろくに仕事がない上、お役人的には土曜日の朝から審査会の監督役として出勤せねばならない。
ここは大学出立てのぺーぺー……もとい、文化資源課のホープたる成田女史に任せようと、昨年白羽の矢を立て、今年で担当二年目を迎えていた。
もう一人の若僧・八板金之丞が高校生ながら登録審査委員を務めるのは、一言でいえば父親の跡を継いだからである。
彼の父・八板金志郎が転勤によって埼玉県に来て、銃砲刀剣登録審査委員になる前までは、大宮で刀剣商を営む桶川先生が審査会を牛耳っていた。
桶川先生は、刀剣に関しては海千山千だが、銃砲の知識はさほどでもない。
しかし商売人が一度握った「利権」を手放すはずがなく、長らく埼玉県の銃砲登録審査は「ザル」として有名で、いわば審査の抜け道にもなっていた。
そこへ九州きっての古銃の目利きと名高い八板金志郎がやってきたため、警察のたっての願いで登録審査委員に就任。
効果は覿面で、怪しいブローカーが持ち込んだ古式銃を一挙に溶鉱炉送りにした八板金志郎は「鬼金」と恐れられ、瞬く間に埼玉県から「ザル」の汚名は消え去った。
引き換えに、登録審査会に持ち込まれる銃砲の数も激減。
それに伴い、ある程度の役割は果たしたことと、なにより本業が激務で銃砲鑑定に時間を割けないため、八板金志郎は五年間務めた登録審査委員を辞めたいと申し出た。
当然、警察としてはここで「鬼金」に辞められたら、また元の木阿弥になると続投を頼み込んだが、そこで八板金志郎が「息子の金之丞を推薦する」という代案を出してきた。
まだ高校生ということで、年齢的な懸念はあったものの、金之丞少年も八板金志郎が銃砲鑑定士としてみっちり仕込んだ折り紙つきとのこと。少なくともザルな桶川体制に戻るよりはマシだろうと、警察も金之丞採用で決定。
若干十七歳にして、埼玉県の銃砲刀剣登録審査委員を務める八板金之丞は、こうして生まれたのだ。