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Chapter-1

 僕の友人、磯崎めぐるは自称探偵である。

 磯崎は頭がよい。学校の勉強なんて、まるっきり問題にならないレベルだ。一度見たものは忘れないし、一度聞いただけのことも正確に覚えている。初めての道でも迷うことはないし、一度歩いただけの道を即座にわかりやすい地図にすることもできる。前の日に読んだんだ、と言ってニーチェだかパスカルだかの哲学書の感動したフレーズをずらずらと語り出したり、週末に家族で行ったというクラシックコンサートのピアノの名演奏を正確な音程で歌い出したりする。

 けれど磯崎は馬鹿だ、と僕はよく思う。

 頭がよい、と書いた傍からなんだそれは、と思う人もいるかもしれない。

 しかし頭がよいことと、賢いことは違うのだ。

 

「沙原くん、依頼があった」

 帰りの会が終わっていの一番、立ち上がった磯崎は僕の席にやってくるとそう言った。僕たちは、私立香々見学園という中高一貫校の中等部からの持ちあがり生徒で、高等部一年生になったばかりだ。高等部からは共学だけれども、ホームクラスは男女別で、教室内は男子しかいない。その中で磯崎は、二番目か三番目くらいに背が高い。もしゃっとしたくせ毛頭で、美術室の石膏像を思わせるような、鼻筋のとおった彫りの深い顔立ちをしている。一見大人びた雰囲気だが、その表情は豊かだ。というより、まるっきり子どもみたいなところがある。

「うん」

「依頼だぞ。依頼だぞ!?」

「……よかったね」

「沙原くんは嬉しくないのか?」

「別に」

 犬を飼ったことがある人はご存知だと思う。ボールを手にした飼い主を見上げる、目をキラキラさせた犬の顔。磯崎の表情は、ちょうどあんな感じだ。いや、実際の位置関係として、今見上げているのは僕の方なのだけれど。

「君は探偵助手だろう?助手として、その態度は問題だ」

「助手、ねえ」

 僕たちが出会ったのは二年前。中等部二年生の時だ。僕が編入して、僕たちは同じクラスになった。その頃から、彼は探偵を自称していた。そうして僕のことを助手扱いしてきた。まあ、別にいいんだけど。

「ともかく依頼だ。依頼だよ。これから依頼人と話をする。もちろん同席してくれるだろう?」

「まあ、そりゃ」

 僕は文芸部員である。そうして磯崎をネタにして小説を書いている。磯崎と一緒にいると、ネタに困ることはない。

「いざ行かん!」

 磯崎が張りのある声でそう言うと、教室に残っていた生徒のうちの数人が顔を上げてこちらを見た。全員、高等部から入学した顔ぶれだ。中等部の頃から磯崎は何かにつけて目立っていたけれど、三年生の頃には、みんな慣れてこんな風に注目を集めることは減っていた。こういった反応を受けるのは久しぶりだ。

 磯崎も、視線に気づいたらしい。

 すっと片腕を耳の横に伸ばすと、

「探偵磯崎、磯崎めぐるです。お困りごとがあった時は何なりと。どんな依頼も誠心誠意、解決させていただきます。安心、安全、信頼の磯崎、磯崎めぐるをよろしくお願いいたします!」

 大きな声で、選挙の演説のごとき口上を並べ立てた。こちらを見ていた全員が、目を丸くする。

 恥ずかしくないのだろうか、この男は。

 僕は鞄を手に取ると、そそくさと教室を出た。

「あっ。待たれい。待たれい沙原くん」

 芝居がかった口調と動きで僕を追いかける磯崎。

 正直言って、待ちたくない。


「さて、冗談はさておき」

 何を指して冗談と言っているのか謎だったが、すぐさま僕に追いついた磯崎は、隣で気を取り直すように言った。彼の背の高さと無駄に長い手足は、並ぶといつも癪にさわる。

「場所はいつもの?」

 僕は訊く。

「もちろんだ」

 磯崎は答える。

 僕たちは、おなじみの面談室に向かう。探偵は秘密厳守、落ち着いて話ができる場所がなくては、というのが磯崎の持論だった。いろいろあり、中等部二年の夏から、面談室の使用が磯崎に許可されることになった。中等部と高等部は建物が違うけれど、間に共用施設があり、面談室はそこにある。なので高等部に上がってからも、変わらずに使用が許されている。

「先にご到着らしいな」

 磯崎が言った。

 依頼人に、話をする場所として連絡をしていた面談室九。

 その部屋の灯りは、もうついていた。

「お待たせして、申し訳ない!」

 大声で言いながら、磯崎は勢いよく扉を開けた。


 依頼人は、座ったままのそっと振り向いた。

 ずんぐりとした体型で、そろった前髪はワカメみたいにぺったりと額に貼りついている。制服のブレザーの胸元にある校章の台布はワイン色、二年生の先輩だ。白目がちの小さな目はちょっとずる賢そうで、こう言っては何だけど、卑屈な雰囲気の人だった。

「ご依頼いただきありがとうございます。二年三組宮山哲郎さんですね!」

 磯崎は元気いっぱいの動作で部屋の奥、彼の正面へと向かう。白い壁にモスグリーンのソファ、ライトブラウンのテーブル。本来は教師と生徒の面談に使われる場所で、部屋は気取りのない明るい雰囲気だ。

「僕が磯崎めぐるです。こちらは助手の沙原くん」

 磯崎は宮山先輩に向かい合うと、ソファに腰を下ろした。僕も頭を下げつつ、その隣に座る。宮山先輩は上目づかいに磯崎を見た。僕の方には目もくれない。

「さて、では早速本題に」

 磯崎が言う。僕は急いで鞄から、ノートと筆記用具を取り出す。メモをとるのが助手の仕事のひとつ、ということになっている。けれど本当は、記憶力のいい磯崎にメモなんて必要ない。実際僕が書いたノートを、磯崎が後で見せてくれと言ってきたことなんて一度もない。どちらかといえば、このノートは僕が後で小説を書く時のためのものだ。




名前:宮山哲郎

クラス:二年三組

メールアドレス:miyayama.tetsurou@kagamigakuen***

依頼内容(次の項目から近いものを一つお選びください。「その他」を選び自由記述欄に書いていただいても構いません。面談でお話しますので、何も書かなくても構いません。悪事以外、何でもお引き受けいたします。)

    □人についての調査

    □人間関係の仲裁

    □いたずら対策

    □人さがし

    ■物さがし

    □動物さがし

    □護衛

    □代役

    □その他

面談希望:四月×日放課後

自由記述欄:(記述なし)



 今回の依頼人の申込情報を印刷したものを、磯崎はテーブルの上の僕に見えやすい位置に置く。委員会や部・同好会などがそれぞれサイトを持っている学園内ネットに、磯崎は探偵としての自分のページを持っていて、依頼申込のメッセージもそこから送れるようになっている。磯崎自身はこんなもの、一瞬見れば脳内インプット完了だ。印刷して持ってくるのは、僕のために他ならない。磯崎は紙には目もくれず、会話を進める。


「ご依頼内容は『物さがし』ということですが」

「部室で物がなくなった。それを探してほしい」

「なくなった物は何ですか?」

「ボールペン」

「ボールペンですね」

 磯崎はにこにこと繰り返す。宮山先輩はむきになるように付け加えた。

「ボールペンって言っても、普通のじゃない。高いやつだ。一万円くらいで、僕の名前が入ってるんだ」

「ふお。一万円のボールペン。それは凄い」

 磯崎は、大げさに驚いてみせた。しらじらしい、と僕は思った。磯崎の家は、結構な金持ちだ。磯崎の家に遊びに行った時、彼の机のペン立てに、たぶん三万円くらいはする有名ブランドのボールペンがささっているのを見たことがある。まあ、もしかしたら貰い物か何かで、それの値段自体磯崎は知りもしないのかもしれないけれど。

「ちなみに宮山先輩は何部ですか」

「詩歌研究部」

「詩歌研究部。というと、新入生を除く部員は現在五名で、そのうち四名が三年生でしたよね」

「ああ。だから今は俺一人」

 先週から、三年生は修学旅行で海外に行っていていない。戻って来るのは来週だ。

「都合いいだろ?先輩たち誰もいない。だから気兼ねなく探せる」

「なくなったのはいつですか?」

「先週だ」

「三年生の方たちがいる時ですか?」

「ええと、いや、行ってから」

「ということは、三年生の先輩の誰かが間違えて持って行った可能性はないということですね。他に宮山先輩以外に、部室に入った人はいますか?」

「いない」

「部外者が無断で入って中を荒らしたようなことも、なかったんですよね?」

「誰も入ってない」

「ということは、部室の中にあるはずですね」

「そうだ。でも見つからないから探してもらいたい。サイトに、悪事以外はどんな依頼も引き受けますって書いてあったし、物さがしは依頼項目にもあった」

 なぜか言い訳するように、宮山先輩は言った。

「もちろんです。喜んで引き受けさせていただきます」

 磯崎はにこにこと答えた。


 そういうわけで、僕たちは場所を移動した。文化部部室棟の一階に、詩歌研究部はあった。私立だけあって、この学校の設備は悪くない。部室棟はシンプルな造りだけれど、クリーム色のまっさらな壁に、ぬくもりのある木目の廊下、建物自体はとてもきれいだ。校内はプロの業者が清掃するので、床には塵一つ落ちていない。けれども生徒の自主性を重んじてなのか、部室の中は清掃の対象とはなっていないわけで。

 詩歌研究部の部室に一歩足を踏み入れたとたん、僕は絶句した。

 文化部の部室というのは雑然としているものである。文芸部の部室だって、決してきれいとは言えない。しかし、いくらなんでもこれは酷すぎる。中央に、六つの椅子が納まったテーブルがある。そのテーブルの上も、そして床も、物で埋め尽くされていた。本や漫画が山崩れを起こしたように散らばり、開いたままの雑誌や薄汚れたノート、参考書や教科書、ファイルやプリント類などがまるで流し込んだみたいに重なり合っている。さまざまな筆記用具、蛍光ペンに油性マーカー、ボールペン、シャーペン、定規に分度器、消しゴム、修正ペン、そしてそれらを納めるべき筆箱やペン立ても、空になっていくつも転がっている。さらには持ち込まれたお菓子やジュース……何本かのペットボトルと個包装の大量のお菓子が、これまたわざとぶちまけたみたいに辺りに散乱している。

「わお、これは凄い!」

 なぜか磯崎は、嬉しそうに歓声を上げた。宮山先輩が不審な顔で磯崎を見た。もっともな反応だ。

「では改めて、ボールペンの特徴を詳しく教えていただけますか?」

 目の前の惨状にまったく臆することない磯崎に、宮山先輩は明らかに面食らっていた。が、気を取り直したように口を開く。

「緑色で、金色の金具がついてるんだ」

「ブランドは?」

「へ?」

「どこのブランドのボールペンですか?」

「ええと、パ……いや、モ……」

 宮山先輩は目を宙に泳がせてしどろもどろした挙句、

「悪い、忘れた」

 と言った。

「そうですか。まあ、ブランド名なんて、そんなどうでもいいこといちいち覚えたりしませんよね」

 磯崎は屈託なく言う。

「それでは念のため確認します。依頼内容は物さがし。そのためには部室内の物を触ったり動かしたりする必要がありますが、それは問題ないですか?」

「問題ない」

「見られて困るもの、触られて困るもの、動かされて困るものはないということでよろしいですか?」

「ああ」

「作業効率上、物を片付けてこの部室をきれいにしてもいいですか?」

「だからいいって。好きなようにしてくれ。ボールペンを見つけてくれたらそれでいい」

「わかりました!」

 磯崎は朗らかに答えた。

「それじゃあ沙原くん、仕事開始だ。整理整頓の基本は、まず同じ種類の物を集めること。僕は書類と文房具を集めるから、沙原くんは飲食物を頼む」

 僕たちがしゃがみこんで片づけを開始した横で、宮山先輩は足で物をより分けながら椅子を動かし、腰かけた。ふんぞりかえるような座り方で、まわりの物を掻き分けると部の備品らしいパソコンを起動させる。人に頼んでおいて、探し物を手伝うつもりはないらしい。

 僕はあくまで「助手」なので、もちろんその場では黙って磯崎に従ったけれど。


「おかしいとは思わないの?」

 帰り道。僕は磯崎に噛みついた。部の活動時間のぎりぎりまで、およそ三時間、僕たちはぶっ続けで作業をした。ばらばらのお菓子はビニル袋に詰め、ペットボトルは一か所に集めた。文房具はとりあえず筆箱とペン立てに納めた。本や雑誌は空いていた棚に納め、入らない分は一か所にかためた。部室はきれいになった。が、依頼されたボールペンらしきものは見つからなかった。

「なにが?」

 磯崎は、上機嫌そのものといった表情で問い返す。夕暮れの空を背景に、彫りの深いその顔はいかにも知的な印象だ。

「おかしいよ。今回の依頼は、おかしい」

「どんな風に?」

 磯崎は、楽しそうに訊く。まるっきり自分の方が頭がよいことを疑っていないみたいなその様子に、僕は少し腹が立つ。ああ、実際そうだろう。そうだろうと思うけれど。

「宮山先輩は、嘘をついていると思う」

「ほう」

「緑色のボールペンがあの部室にあるとは思えない」

「ほほう」

 磯崎は、感心したような声を上げた。僕は磯崎をにらみつけた。

「怒ってくれるな沙原くん」

「なら、磯崎の考えを聞かせてよ」

「そうだな。僕も沙原くんとまったく同意見だ。宮山先輩は『ボールペン探し』という口実を用意していた。が、僕に話しているうちにたかがボールペンを探してもらおうと依頼をする馬鹿馬鹿しさに気がついて、慌てて『なくなったボールペンは高級品』ということにした」

 こともなげに磯崎は言った。僕はあっけにとられる。

「そこまでわかってるなら、なんで?」

 訊ねると、磯崎はにこにこと答える。

「なぜって、口実を設けてまでも頼みたいことがあったということだ。無下にできるはずがない」


 磯崎は、探偵を自称している。依頼を受ければ、全力でそれに応える。報酬なんてない。そのことについて訊ねると、磯崎は言う。

「部活だって委員会活動だって、誰も報酬なんてもらってない。経験自体が報酬だ。そういうものだろう?」

 それはまったくの正論だと思う。磯崎は将来探偵事務所を開きたいと思っていて、今は修行期間なのだから、報酬なんてなくて当然なのだという。依頼が来ることは本当にありがたいことなんだ、手を抜くなんてとんでもない、といつも言う。磯崎は何にも間違ってはいない。でも、傍らにいてどうにも納得いかない時がある。


「『口実を設けてまでも頼みたいこと』って何?」

「残念ながら、それはまだわからない。部外者を部室に呼びたかった。部室を片付けさせたかった。大雑把に想定していたのはその二つだが、後者はないな」

「なんで?」

「あの散らかし方は作為的だ。元々部室はそれほど汚れていなかった。本にも雑誌にも埃はまったく溜まっていなかったし、ペットボトルはすべて未開封、お菓子も個包装のものばかりが散らばっていた。ゴミと呼べるものはほとんどなかったし、文房具の散らかり方は、今日か昨日にでも筆箱やペン立てをわざとひっくり返して散乱させたとしか思えないものだった。つまり『ペンを探させる』という依頼をもっともらしいものにするために、わざわざあの状態を作り出したんだ」

 僕もそれは感じていた。あの部室はわざと「散らかった」状態にされたのだろう、と。でも僕は、だからと言って「部室を片付けさせたかった」のが真の目的じゃない、とは言い切れないと思う。

 

 僕はたまに言いたくなるのだ。

 世の中には、育ちのいい磯崎には思いもよらないような人間がたくさんいるんだよ、と。

 宮山先輩を初めて見た時から、僕はいやな気持になっていた。すごく失礼な決めつけだけれど……この人は、劣等感の塊みたいな人だ、と思った。磯崎を見るその目には、否応ない憎しみみたいなものが滲んで見えた。きっとこの依頼の真の目的は、いやがらせだ。三年生の先輩が不在で、部室が自由に使えるこの時に、ちょっとした憂さ晴らしをしてやろう。一年生に、磯崎めぐるという奴がいるらしい。成績優秀、スポーツ万能、容姿に優れ、家は金持ちというすべてにおいて恵まれた人間のくせに、探偵を自称して「なんでもやります」なんて喧伝している酔狂な奴だ。召使のようにこき使ってやれ。できるはずのないことを依頼して、なんだできないのかと馬鹿にしてやれ。


「沙原くんはどう思う?」

 磯崎は訊ねた。

 どこまでも澄んだ目で、僕を見る。


 言いたくない、と僕は思う。宮山先輩がただのいやがらせのために依頼に来たんじゃないかという想像を口にすることは、僕自身の性格の悪さを証明するようなものだ。僕がもしもそれを口にしたとしたら、磯崎は言うに違いない。

「よくわからない。なんのためにそんな無意味なことをするんだ?」

 無意味なことが無意味じゃない人間がいるんだよ。そんなくだらないことをして愉しいと思う人間がいるんだよ。

 そう訴えることは、自分もその気持がわかる、と言っているようなものじゃないか。


「さあ、僕にはさっぱり」

 だから僕は言わなかった。

 磯崎のことを、馬鹿だ、と思いながらも、僕は言わなかった。

 けれどもその真相は、僕の想像をさらに上回るものだった。


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