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 連れていかれたのは、立派な宿だった。

 糸目は付けない、と宣言したとおり、普通の町人はまず入れない、そんな格式高い雰囲気のある建物だった。石造りで四階建ての外観だけでなく、内装もシャンデリアや、花の飾り、装飾の施された手すりなど、どれも美しく調えられていた。豪商か、貴族か、利用する人間は限られる場所だ。

 どうしよう、と知らない世界ときらびやかな建物に、レーは眩暈がしそうだった。なにしろ、生まれたのは森のそばの農業で暮らす辺境の村、聖女とわかって村を出た後は神殿しか知らない。各地の魔物討伐の際には外泊もするけれど、ごく一般的な宿だった。見た目も、値段も。

 手続きはデュアンがしたらしく、あっという間に一室に連れていかれた。半ば茫然としたままのレーの前に、厳しい顔つきのセアが膝をつく。目線は下がったが、威圧感はあまり変わらなかった。

「では聖女レー。なぜあのような場所にいらっしゃったのです」

「それはその……聖騎士セアに……」

 会いたかった、と言っていいものかな、とレーが口ごもる。が、セアは先を待ったりはしなかった。

「私をお探しだったのですか?」

「ええまあ」

「なら呼び出しをかけてくだされば、日暮れ時にあんな場所に足を運ぶ必要はなかったでしょう」

「いやでも……仕事じゃないんですよ?」

「どんな用事であっても、です」

「いくらなんでもまずいですよ……ええと、確か……」

 取り付く島もなく断言されても、さすがに頷けない。なんて言うんだっけ、と言葉を探していたら、横から助け船が出た。

「公私混同、だろ」

「そうそれ! って、騎士デュアンもいたんですね」

「おう。二人きりってのはだめらしいぜ、そこの聖騎士様的には」

 くい、と顎でセアを指す。だからと言ってこの三人でいいのか、と訊かれても困るけれど。

「お堅いよなー。んで、お仕事至上主義ってか」

「ふざけるな。いかなる場合も聖女の身の安全が優先だ。いいですね、聖女レー」

「……次回は善処します」

 同じ事言うんだな、とレーはセアを見つめた。どこも似ていないのに、セアはガイが言ったとおりに、怒ったのだから。

 どうしてもセアに会いに行きたい、と昼寝から目が覚めてからガイに伝えたときも、いい顔はされなかった。

『聖女レー、あんたは聖女だ』

『うん』

『あいつの顔が見たきゃ、俺にそう言え』

『それって「呼び出し」?』

『そうだ。お前さんが出向くことはない。それで済む話だ』

『……』

 黙って首を振る。バカな事を仕出かしたのは自分なのに、聖女の権限を使ってセアを呼び出すなんて、居丈高で高慢だ。謝罪をする気があるのかと疑われるし、レーなら間違いなく疑う。

 いったいどこの世界に、謝るために身分を使って相手に来てもらう人間がいるのか。

 獅子が嘆息した。ふん、と鼻息が漏れる。人の時と違って、表情はないけれど、それ以上に雄弁な動作だった。

『考えてることはわかるがな』

『え、心が読めるの』

『いいや。全部顔に出る』

 嬉しくなかった。むっとすれば、そらまた、と声が忍び笑いを含んで響く。

『ま、それでもよくねえもんはよくねえ』

『騎士団長ガイ』

 獅子の金の目に懇願する。これだけは譲れないのだから。少し近づいた顔に、額を寄せた。短い毛足は柔らかい。すぐそばに鋭い牙が隠れていたとしても。

 背中を、ぴしりと叩かれた。なにかと思えば、長い尻尾の先が、ゆらゆらとレーの後ろで揺れていた。

『しょうがねえ』

 獅子が唸る。どうやってしゃべっているのか、それともただ耳が錯覚を起こしているのか、ガイの声は人の時と同じで、言葉も流暢だ。

 当てがなくもない、と教わったのがあの酒場だった。ただし、と聖約の解除は断られ、さらには『絶対怒るぞ、あいつ』の忠告付きで。

 レーにしてみれば、何も困ることはなかった。神殿の裏口から出ていくところを見られなければ、後は参拝の人たちに紛れてしまえばよかったし、町の地理に不案内なわけでもなかった。

 確かに酒場の周辺はあまり良い雰囲気だとは言えなかったし、酔っ払いもいれば、明らかに盛り上がりすぎた男女の二人連れもいた。絡まれず済んだのは幸運でもあった。

 それほど世間知らず、ということもないのに、こうも厳重に過保護にされると、どうにも落ち着かない。

 そして……年上の大人であるセアが、レーを格上として敬意を示して膝をつくのも、どこまでもレーを優先しようとする事も。

 仕事の時には気にならなかったのに、どうにも足踏みしたくなるような、胃のおさまりが悪いような……とにかく居心地もよくないし居場所もない。

「では聖女レー。私にどのような……」

 用件を切り出したセアが、途端に気まずそうに眼をそらした。

 思い出さなければよかったけれど――本題を出さなければ意味がない。

 すう、と息を吸う。

「聖騎士セア」

 用意してきた言葉はあった。ずっとずっと、後悔の中で考えてきた。けれどこうして面と向かってしまうと、口にできるのはとてもシンプルな羅列になった。

「どうぞ許してください」

「――」

 セアの目が見開かれる。どんな反応も、レーには立ち止まりたくなる要素だったけれど、もう一度深呼吸をしてから先を続けた。

「貴方は悪くありません。つまらないことで呼んでしまったことも――ずっと逃げていたことも咎はすべて私に」

「お待ちを」

「でもっ」

「聖女レー。どうぞその先は続けないでいただきたい。お言葉は受け取れないのです」

 口元に指先が当たって、留められた。ひゅっと息が止まって、頭が真っ白になる。

(謝れもしないほど、悪いこと、だった?)

 顔を背けられたせいで、つむじが見えた。

 そっか、と納得する。顔さえ見たくないほど、だったのか、と。そんな拒絶は受けたことがなかった。

 受けたくなかった。

ふらついて、すぐに背中が支えられる。驚いた瞬間に、手が離れていった。萎れて項垂れながら、そっとセアをうかがって……え、と声が漏れた。

「聖騎士、セア?」

背けられた顔に手を当てる。真っ白で冷たく、血の気がなかった。ひどく苦しそうな様子に、はっとする。忘れていたけれど、彼もまたずっと顔色が悪かったのだ。

「あの、具合が……?」

「貴方に罪などありません」

「え?」

「いえ、あったとしても、より罪深いのは私なのです」

 意味が捉えられず、レーはぽかんとした。突然の告白は……レーの今までを、根こそぎひっくり返してしまう。

 自分が悪くない、なんて。そんなことはありえないのに。

「でも」

「あなたはご存じない」

一瞬、大きな騎士の手が重ねられ……すぐにレーの手をそっと自身の頬から外した。

「私の罪を」

「つみ? 罪なんて……だって、どうして?」

「……」

「聖騎士セアは悪くない、ですよ?」

「……」

 セアが再び俯く。

 かなりの長い間があって……レーはどうしようかとデュアンを見たりしたが、首を振られただけだった。

 次の言葉は、ひどくかすれて途切れがちだった。

「…………あなたが、……るのです…」

「私が?」

「よ、るに……るのです……」

「は?」

 セアが顔を上げた。悲壮感が漂っている。

「貴方が……夢で夜毎に私を責めるのですっ」

「んなっ――」

 一瞬言葉を失ってから、レーはすぐにきっと目を吊り上げて怒りを浮かべた。他人の夢だというのに、なんと自分勝手な自分なのか。弱いレーが、セアの夢でやってしまいたいことを実現しているようで、余計に腹立たしい。

 うしろでは……デュアンが盛大に吹き出していたが、怒り心頭のレーと周りはとっくに見えないセアは気づかなかった。

 レーとしては、地団太を踏みたいくらいだ。

「ぶん殴っていいですよ!」

「それができればどんなにいいか……だというのに、私は……いつも負けてしまうっ」

 いったいどんな酷い暴言を吐いているのか、とレーはさらに腹立たしくなる。

「負けないでくださいっ。聖騎士セアの夢なのに!

「そうです。己の夢なのです――なんて、愚かなっ」

「嘆く前に頑張ってください。なにをしてもいいですからっ」

「出来ません! いえ……してはならないのにっ」

「なんでっ! 蹴っ飛ばしたっていい!」

「あ、足は使えませんっ」

「そんなに長くて強そうなのにっ」

「……っ」

 ぐ、とセアの息が詰まる。ついに床に崩れて丸くなった。聖騎士セアっ!? とレーが驚いた。その上、デュアンも同じように床に手をついている。慌てて、そっちに駆け寄った。

 が。

「……って、なんで笑っているんですかっ」

 心配したというのに、セアと違いデュアンはうずくまってはいても、文字通り腹を抱えて笑っていただけだ。

「いやいや……わらっ、笑うしかないから! 全っ然話かみ合ってねーし!」

 目じりに涙さえ浮かべて、デュアンが床を叩く。もう、とレーが抗議すると、ようやくゆっくり体勢を変えて胡坐をかいた。が、相変わらず笑っていて、まったく! とレーは目じりを釣り上げた。

 まあまあ、とデュアンが宥めにかかる。

「いいか、レーちゃん。まるきり通じ合えないあんたらに、俺が通訳入れてやるから」

「つうやく?」

 あのな、とデュアンがちょっと顔つきを変えて、前ふりをする。どう見て、意地悪く、にやにやとした悪い顔だった。レーが少し身構えると、いいねえ、とさらに悪ぶった表情になった。


()女の子(・・・)に、()、しかも毎晩、責められる(・・・・・)夢つったら、俺的にはあんたが思っているのとはだいぶ違ってくるんだがな?」

「………………」

 ひとこと、ひとこと、区切って強調された単語に、レーがしばらく黙り込んで、そして。

「ええぇえええぇっ」

 顔を真っ赤にして、信じられない思いを盛大に叫び声にした。デュアンと、セアと、二人の間を交互に振り返る。

「え、え? えと…ええぇ!?」

「うんうん落ち着け落ち着け。あ、ちなみにあいつが殴りたかったのは自分だからな。ま、あんたに負けるってことは」

「言わないでいいですっ」

「お、さすがに分るか?」

「残念ながら! そこまで子供じゃないんですよっ」

「おお~。ちびっこなのに頑張るな」

「止めてください切実に!」

 知りたい訳じゃなかったけれど、耳にはいろいろ入ってきてしまったのだからしょうがない。思わず自分の体を見下ろしていた。決して何もない、というほどでもない。一応ある。だからと言って自慢できるとか自信があるなどと張れる胸があるのでもない。

「レーちゃん、実は『脱ぐとスゴイ』か?」

 わざわざ覗き込んできたデュアンを、レーは高さを利用して思い切り見下してやった。

「蹴とばされたいんですか、騎士デュアン。もしくは今ここに騎士団長ガイを呼んでもいいですけど」

「あ、勘弁。今のなしで」

「ふざけんな」

 ぼそっと低く呟けば、デュアンがそのまま固まった。

 さすがに後半は冗談として、一発ぐらい蹴ってもいいよね、とささくれた心がレーを唆した。でもそれは後だ。

 まずは、目の前の難題から。

「あの……聖騎士セア?」

 歩み寄って肩に手を置き、少し揺する。後ろでトドメ刺すなよレーちゃん、などと相変わらずふざけた応援(?)をデュアンがする。やっぱり後で絶対蹴ろう、とレーは決めた。

 身を起こしたセアの顔色は、病人じみていた。泣いてなくて良かった、とレーは変な所に安心した。これで涙が浮かんでいたらその場でお手上げになる。

「あの……もろもろ、お察ししまして」

「……」

「わ、私は。その、気にしないので」

「……」

「ど、どうぞその……聖騎士セアもあまり、気に病まないで……」

 ください、が尻すぼみになった。表情の抜け落ちた人形(セア)が、無反応なせいで不安になったからだ。

 しばらく沈黙に耐えていると、セアがのろのろと頭を振った。

「貴方は優しすぎます、聖女レー」

「そんな……私なんて」

「何をおっしゃいますっ」

「いやでも」

「貴方だからこそです。聖女(・・)レー。聖騎士として、貴方を辱めるなど……あってはならない冒涜です」

 否定しようにも、もどかしいばかりで説明ができない。本当に、心の底からただ忘却を願っていることの、どこが「優しい」のか。教えてほしいくらいなのに。

 セアは、真剣だった。

 淡い黄色を帯びるレーの手の甲を悄然と見つめる。

「この手があなたに触れたことさえ、私は度し難い。汚らわしいとさえ」

「待ってください」

 レーは手を伸ばした。わずかに避けられたけれど、構わずセアの頬に当てる。相変わらず血の気がないせいで冷たかった。

「誰に触れられようと、私が穢されるなんて有り得ません」

 けれど、これだけは否定しなくては。

「神は私の良心が恥じる事さえなければ、何人たりとも聖女を穢すことはできないとお決めになられました」

「……」

「貴方が俯くことなど、なにもありません」

 初めて、まともに目が合った。あの日以来、ずっとぶつからなかった視線。見つめ合ううちに……セアの表情が変わった。

 無から――陶酔へと。

 白かった頬に、うっすらと赤みが差す。

 あれ? とレーは自分の言葉を反芻した。なにか、とんだ言い間違いをしなかったか。

「聖女レー」

「……」

「貴方は……清廉なる御方だ」

「……」

「私は己が厭わしい……」

 セアが頬に触れる手に視線を注ぐ。だというのに、と掠れた呟きに、レーは身じろいだ。まずい、と頭の中の警鐘がだんだんと大きくなる。

 セアの利き手の指が、かすかにレーの手の甲の上を滑った。

「貴方に触れられることは、この上ない歓びなのです。聖女レー」

「――」

 熱を帯びた声と濃紺の瞳が、レーを捕らえて離さない。身動きが出来ないまま、ひどく美しい聖騎士に見つめられれば、同じように顔に熱が集まる。

 なにしろ、見た目は心臓に悪いほど、美しいのだ。

 ――けれど同時に、こっそりため息をつきたくもなった。

 何かが、決定的に間違っていて……深すぎるほどの、溝がある――自分と、セアの間に。

 彼は、聖騎士だ。聖女(・・)に会う機会も多かったに違いない。本来なら、レーとは一生無縁だったはずの人だ。

 彼の中に形作られた聖女と、レーは違う。

 神の御使い。天の力を持つ聖なる乙女。美しい伝説や伝承のみならず、数々の恋物語の主人公にさえ、聖女は登場する。

 けれど呼び名は同じでも、決して「聖女レー」を示さない。レーは聖女だけれど、国王の命を救うことも、国土の穢れを祓って大地を蘇らせることも、宮廷の騎士や王子たちとの恋に落ちることもない。その実は、かけ離れている。

 出会った仕事は本来、騎士二人を連れていくはずだった。直前で片方が来られなくなり、一人ではさすがに荷が重い、ということで、急遽護衛役として振られたのが、聖騎士セアだった。彼なら、一人でも問題なしと上層部は判断したのだ。

 実際、セアはレーが今まで会ったどんな騎士より強かったし、魔術に精通していることも、大きな利点だった。

 有り得ない出会いが、セアに混乱をもたらしている原因だと、レーには分かる。が、それをどう言葉にしたところで、きっとセアには飲み込めないだろう。

 誠実で、仕事熱心。真面目な――馬鹿をつけたくなるほどだと思う――聖騎士は、融通も利かない。

 レーが許しても、セアはきっと己を許さない。

 自分の良心が、誰よりもその行いを恥じていて、だからこそ、彼は神より罰を受けている。

 ――己自身に苛まれるという、罰を。

「聖騎士セア」

 苦しまなくていいのに。忘れ去ってしまえばそれで済む。けれどセアの苦しみは続き、否応なくレーも苦しめる。

 誰のためかと言われたら、これはきっと自分のためだ。いや、多少は、セアのためかもしれない。

 ため息を押し殺して、レーは口を開いた。

「貴方が私に罪を犯したというのなら、神の試練と思って、私を助けてください」

 セアが少し怪訝そうに瞬いた。ずっと膝をついたままのセアの隣に、レーはしゃがみ込んだ。

「明日、私の盾になってくれませんか」


 しん、と沈黙が下りてきた。






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