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 日が暮れれば、一仕事を終えた騎士たちであふれる酒場の一角。

 大声を上げ、愚痴や冗談を言いながら、今日は誰もがどことなくぎこちなかった。ほとんど全員が、とある一角をチラ見する。

 カウンター席の奥、明かりの届くギリギリの場所。うらぶれた安い店にありがちな、薄暗い闇。高い明かりの油を極力使わないという、少々せこい店主の意思も見え隠れする、そんな暗さ。

 が、その「闇」の中に座る人間には、かなり不似合だった。

 生糸のように流れる、銀色の髪。白い肌と濃紺の目。さながら童話のエルフのような、整った美しい容貌。きつい香りのする酒杯を前に、赤みのさした頬だけが、ここがどこなのかをかすかに思い出させてくれる。

 はたから見れば、人形のようだったのは――聖騎士、セア。神殿で知らないものはほとんどいない。千人近い騎士たちの中で、聖騎士は五十人にも満たない、特別な立場に置かれた騎士の一人。

 諸々が特殊な彼は、あまり人と関わらない、というのが周囲の一致した見解だったが……今日は滅多にないことに、この酒場に現れた。

 それも、夕刻直前に仕事の終わる早番の騎士たちよりも早く。

 何事だろうと噂し合うのは必須で、どうすると目顔が飛び交う。ちなみに、店主だけが彼が昼過ぎから同じ席に陣取っていたのを知っていた。無関心を貫きつつ、ただ成り行きを見るばかりではあったけれど。

 声をかけるか、どうか。天秤があちこちで揺れる。

 が、セアはまるで気づかなかった。なにしろ、近くによれば、どことも定まらない視線がどうにも怪しいと、まっとうな人間なら判断できるほどなのだ。目の前の酒が減らなくても、すでに酔いが回っているのは明らかだった。

 ついに……ふらっと、揺れる足取りで一人の男が近づいた。おいあんた、と誰かが腕に伸ばした手を、するりと抜ける。

「なーんか悩みごとかい、聖騎士様?」

 石のように固まっていたセアが、声に身じろいだ。なかなか定まらない目線に、相手が誰何の意を取った。

「おれ? ただのデュアン」

 デュアンがへらり、と笑う。

「こんなとこにめっずらしいな、聖騎士様? あんたみたいなやつは、もっとお高いところに行くもんだと思ってたぜ」

「……」

 沈黙の後に、セアは頭を振って意識をはっきりさせる。とはいえ、どこか霞がかっているのはどうしようもない。

「すまないが……」

 馴れ馴れしいのは苦手だった。遠ざけようと断り文句を口にする前に、どっかりとデュアンが隣に腰を下ろした。

「庶民は向こうに行けってか。まあ、そう邪険にすんなよ。あんたがあのちっこいレーちゃんとおかしな中になってるっていうのは知ってる」

「レーちゃ……? まさかそれは聖女っむぐ」

「名前出すなよ。ここは一応、フツーの酒場だぜ? どんな部外者が聞いてるのかわからんだろ」

 無理やりふさがれた口を、セアは眉根を寄せて振り払った。信じがたい、という目つきを刺すようにディアへ突きつける。

「ふざけるな。不敬にもほどがあるぞ」

「神の御使いだからって? でも別に天罰くらったことねーし、あの子割と気さくだから、快く許してくれるって」

「そういう問題かっ。とにかく、貴殿の出る幕はない!」

「まあまあ。怒るな怒るな」

 絡み酒か、と払っても落としても回される腕に、辟易しながら内心でセアは叫んだ。きでんとか初めて言われた―などとどうでもいいのに。

「なんかさー。あんたもレーちゃんも、顔色悪いし?そのくせお互いのまわりうろうろしてるし? どうしたよってみんなが思ってんだよなー」

「言いがかりはよせ。誰が」

「いやだって、いつも行かない食堂とか。人の多い中庭とか? 身に覚えあんだろー?」

「っぐ」

 図星を刺されて黙り込む。反論を封じたせいか、にやけながらデュアンが続ける。

「レーちゃんもさあ、今日なんて控室まで直撃ご訪問、だぜ? あんたはいなかったけど」

 衝撃事実に、セアが目を見開く。

「なっ。そ、それで……」

「え? べつにどうも。団長がお相手してた」

「団長がっ!?」

「あれ、知らない? あの二人仲良いんだぜ。ちっちぇえ頃からお付き合い、的な」

「いやまて、その言い方はおかしいだろう」

「なんだよーなに考えたよー。変な色付けんなよー」

 ぐでーとデュアンが机に伸びた。腕が杯に当たりそうになって慌てて持ち上げる。上品な顔に似合わない、舌打ちが漏れた。

「あーなんだ。セアさんよ、あんたそーゆーこともできんだね」

「……いい加減にしてもらえないか」

 すい、と目を細める。それほど気が短くない性分だとは思っていたが、目の前の男限定でその評価は変えるべきかもしれないな、とセアは怒りの隅で考えた。

「向うに行くか、今すぐ殴られるか、どちらにする」

 脅しは全く聞かなかった。へらっとデュアンは笑っただけだ。

 が、去ることにしたらしく、頭を机から持ち上げて……酔っ払い特有の、読めない無造作な動きで、デュアンが腕を振った。

 普段のセアなら、もう少し落ち着いた対応をしただろうが……なにしろ、大分酒が入っていた。

 避けようと立ち上がり、手に酒の入った器を持っているのをすっかり忘れていたせいで……ばしゃり、と中身をすべてぶちまけた。

 ちょうどそばにいた、ローブを羽織った相手に。

「なっ……申し訳なっ―」

 振り返り、慌てて口にした謝罪は……半場に途切れることになった。

 相手の身長が低く、頭から酒を浴びる羽目になったせいで、ローブのフードからはしずくが滴っている。酒を避けるために、小さな指が軽くフードのふちを持ち上げていた。

 目が合って、軽く首だけでお辞儀をしたのは――聖女レーで。

 一瞬、セアの体が、びしりと硬直した。が、すぐに正気を取り戻した。

 こんなところに、長居していい人ではない。けれど話しかけるより前に、後ろからまたしてもデュアンの腕が肩に乗った。おー、と小さな人影に目を開く。

「レーちゃんじゃん。何してんのこんなとこで」

 知り合いのように話しかけられて、レーが面食らって瞬いた。

「こんばんは。ええと、レーちゃんは私の事ですか」

「聖女レー。この男は無視してください」

「いやそんな」

 呆気にとられるレーの前で、セアがデュアンを押しのけレーとの距離を取った。眼光が鋭くなったことに、デュアンが苦笑を漏らした。

「ひでーなセアさんよ。俺だって一応騎士だぜ。初めまして聖女レー。俺、ただのデュアンな」

「はあ。ただの……?」

 セアの後ろで、レーが首を傾けながら困ったように視線を泳がせた。

「あれ、なんかダメ? 俺の自己紹介」

「いえ別に。どう見てもただの、という感じがしなかっただけです。お気になさらず」

「聖女レー。相手にしてはいけません。どんな害があるかわからない酔っ払いですので」

「おいおい。酒入ってんのはお互い様だろ」

「貴殿よりはまともだ」

 昼過ぎから酒を入れているというのに、まったく真っ当でない頭でセアは断言した。とにかく、とセアがデュアンにきっぱりと背を向けてレーの方へ向き直る。

「御手を。聖女レー」

「えっいや……ここはあの、街中ですけど」

「なりません。どこにでも危険は伴うものです」

「だけど流石に聖約は……」

 要らないんじゃないかな、とレーは目で訴えた。手の甲に刻まれた魔法陣を合わせると、聖女は騎士に加護を授けると同時に、騎士からは守護を享ける。これを聖約と呼ぶが、約定を結ぶ間、聖騎士は聖則に縛られる。双方に理があるが、他人を拘束することには変わらない。

 レーとしてはまったく気が進まないのだけど、セアには聞き入れてもらえなかった。代わりに、利き手が差し出される。

「御手を」

 断固とした態度に、渋々レーは折れた。同じように利き手を出す。その手の甲を見たセアが、眉間にしわを寄せた。

「守護が……」

「あ」

 しまった、とレーは顔をしかめた。外に行くからと、ガイと聖約を交わしたままだったのをすっかり忘れていた。誰かの加護を受けたまま、聖女が聖騎士の差し出された手に応えるのは、相手を格下に見做していると暗に告げている行為だった。事前に申告しなければならなかったのに。

「すみません。あの、他意はなくてですね……」

「構いません。反対の手を」

「え? あの……利き手はこっちなので、上乗せを」

「しません。というよりは、できませんので。二の手をお願いいたします」

「でも、その……」

 レーは渋った。利き手に対して、利き手で応える。これが聖約を結ぶ際の大原則だ。二人が対等であるという、証。

 よほど危険な場所で、一人の聖女につき二人の騎士が護衛する場合など、特殊な事情の時以外は遵守される。今はどう考えても、そんな事情はない。

 やっぱ要らないよね、とは思うけれど、セアは……待ちの体勢から、動いてくれそうになかった。

 仕方なく……どうしようもなく、レーはセアに反対の手を差し出した。 

 軽く触れあえば、淡い黄色の光が浮かぶ。セアがふっと息を吐いた。

「デュアン」

「ん~?」

 セアが振り向く。散々無視されていながら、デュアンが気を悪くした風もない。ご機嫌に酒杯を進めていた。

「どこか落ち着いて話ができるところを知っているか」

「金があるならいくらでも」

「糸目は付けない」

「んじゃこっち~」

 さっとデュアンは立ち上がった。足取りは全く酔いの欠片もなく、かなり早い。すぐに酒場の入り口までたどり着いた。

 慌てて、セアはレーとともに後を追う羽目になった。

 





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