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いないなあ、と呟く。
独り言はさみしいけれど、今は一応、「相手」がいたから、心置きなくレーはこぼしていた。
朝から、昼前まであちこち動き回って、討伐よりもずっと難しいことにくたびれていた。会いたいような、部屋戻りたいような、やっぱり探していたいような。いちいち揺れる心の天秤に、合わせて体もぐったりだった。
「いないねえ、リュシュ? 君がいるなら、今日はお仕事じゃないんだよね? でも仕事になったのかな。騎士団長ガイとは、すぐに会えたのに」
馬房と道を遮るのは棒一本。軽く寄り掛かって肘をつきながら、高い位置にある黒目を見上げる。興味があるのか、レーに鼻先が近づいた。
本当に話を理解しているとしたら……違うと答えているのか。それとも、さあねと笑っているのか。
騎士たちの詰め所の一番奥に、普段通りガイはいた。セアの行方を尋ねた時に、今日は休みだと教えてくれたのもガイだ。最後に、ぼそりと「満月の晩にな」と呟かれたのは、いつかの約束――星夜草の咲く場所へ、乗せていってくれるという――の日にちだ。
一瞬で膨らんだ気分に、勝手に顔は赤くなった。獅子の姿だったら間違いなく飛びついていたけれど、人目もあったし、ガイは書類と格闘中だった。ぐっとこらえて、高揚した気分でセアを探していたけれど。
もう、とっくにそんな気持ちはしぼみ切って枯れてしまった。
「もしかして……どこかに出かけたとか?」
彼だって人間なのだから、休みの日には街へ遊びに行く……などと考えたけれど、どうも想像がつかない。あんな無表情のまま、何をしにどこへ「遊び」に行くのだろう。
いや、別にいつでもあんな顔なはずがない。一応、数は少ないけれど違う表情だって見たことがある。
あるが……。
ふっと頭によぎった、見惚れてしまった微笑に、ちょっと呆然として。おんなじ表情が「誰か」に向けられたとしたら、と考えて。
あれは、凶器だからなあ、と遠い目になった。
きっと相手の「誰か」も、ぼうっとなってしまうに違いなく――もやっと、する。
もやっと、というか、イラっと?
首を傾げて、とん、と胸をたたいても、別に痛くない。痛くないけれど。
「……やめよう」
多分、そんな日もあるのだ。もしかしたら、心の半分は会いたくないから、今日はそっちをいるかもしれない神様が叶えてくれたのだ。
だから、部屋へ戻ろうと立ち上がった時。
「――聖女レー?」
呼び声が、聞こえた。少し言葉の後ろが震えていて、合っているのに、まるで間違いを探すような声だ。
よく知った、ずっと探していた声だ。
振り返れば、入り口に立つ姿が見えた。急ぐ必要はどこにもないのに、どうしてかひどく焦った。立ち上がって一歩を踏み出す、その間がもどかしい。
けれど、レーよりもずっと素早く、大きな歩幅が、一気に距離をゼロにした。あれ、と思う間に目の前が暗くなった。背中がとても温かい。
はあ、とこぼれたため息が、耳をくすぐる。疲れがにじんでいるのが感じられて――顔が見たい、と思った。
軽く、騎士服の袖をつかむ。
「あ、の。聖騎士セア」
答えは、肩が押されたことだった。はっとした表情のセアの顔色は、やはり良くなかった。
「聖女レー、申し訳……」
「謝らないでください」
今は、その言葉を聞きたくなかった。珍しくきっぱりとした語調に、セアがほんの少し驚く。今しかない、と急いで先を続けた。
「あの、話したいことがあってですね。だ、からその……じ、時間があれば今……じゃなくてもいいんですけど、えっと……」
続けたのに、決意が途中で折れた。都合が悪いのでは、とかうまく言えないとか考えてしまったせいだ。尻すぼみになって消えた先は、セアの承知いたしました、の一言に救われる。
「せっかくです。リュシュにお乗りになりませんか」
とてもありがたい申し出に、すぐに頷いた。
仕事の時は、大抵馬車が用意される。国中からの依頼にこたえるため、各地に転移門があり、そこから先は歩ける距離であれば徒歩だが、ほとんどは一頭立ての馬車だ。馬は身近な生き物であっても、実際に間近で触れる機会が意外と少ない。呼吸とともに膨らむお腹は温かく、手入れの行き届いた毛並みは艶やかだ。
リュシュに見惚れるうちに、セアが騎乗の準備をし、躊躇わずレーに手を差し出した。不思議と、応えて手を乗せるのに、戸惑いはなかった。
前と同じ道をたどり、広い草原に出た。森の境界が、晴れた青空のおかげか、ずっと遠くに見えた。
話そう、と思っていたのに、ついつい、後回しにするうちに、ずいぶんと神殿から晴れたところに来た。敷地内ではあるけれど、人の気配はたった二つだけ。
リュシュの歩みが止まれば、風の音だけがのこり、誘われるように口を開いていた。




