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 詰まんないいじめだな、と前髪をつまみながらレーはため息をついた。

 ぽたりぽたりと滴が落ちる。天気はこれでもかと晴れていて、心地よく吹く風は春と夏の間だけに吹く、涼風を運んできていた。

 テラスで休めるように設置された椅子と机の前で、気持ちよく読書をしていた……ついさっきまでは。

 文字通りバケツをひっくり返してもたらされた水に、レーは今ずぶぬれだった。

 見上げれば、二階からくすくすと笑う声がする。誰だろう、とも思わない。誰だっていい。どうせ意地悪をするのだから。

「水も滴るイイ女?」

「下手な冗談が得意ですね、騎士デュアン」

 ふらっと見知った騎士が現れた。仕事はどうした、と思う。聖女よりも騎士の方が多忙だと聞く。村や町から来る「依頼」を聖女とともにこなす一方、神殿の警備や、日々の訓練にと、仕事量がそもそも違うのだとか。もちろん、その分人数もけた違いだが。

 濡れた頭に手が置かれた、その時には、レーにまとわりついていた余計な水分が、丸ごと消えていた。服も、体も、何事もなかったかのように。

「……え?」

「どした?」

 魔術? だよね、とデュアンを見上げる。まるで聖騎士セアみたいだった。

「騎士デュアンも、魔術が使えたんですか」

「やだなー、レーちゃん。俺は騎士なんだから、ちょっとくらい魔術が使えんのは当たり前よ?」

「ちょっとくらい……?」

 どの辺がちょっと、なのか。

 レーは聖女で、さらに神殿の中で育ったから、魔術についてはほとんど知らない。聖女も、神官も魔術は使えない。それは人の技術で――神の力を得ている聖女は、魔術とは相いれないのだとか。

 けれど、高度な魔術を使える素養のある人は少なく、さらに厳しい訓練が必要だと聞いている。

 そんなにポンポン使われるはずがない。それとも流石は騎士だと言えばいいんだろうか。

 もんもんと考えていると、ぽすぽす頭が叩かれる。

「なんですか?」

「レーちゃん。なんなの、今のは」

 今の、が何を指すのか、察するまでに時間が必要だった。ああ、と振ってきた水の件を思い出す。

「ただの僻みと嫉妬の現れです」

「えー?」

「嫉み、恨み、妬み、なんでもいいですけど」

「いやいや。良くないよね? セアさんがらみ? つか、怒らんの?」

「怒ってもどうにもなりませんし」

「はあ?」

「こんな派手なのは久しぶりですけど、慣れてるんで。今更って感じですかね」

 セアが切っ掛けではあっても、彼がいようがいまいが……あまり関係ないとレーは思う。

 小さなころから、まったく波風なく過ごせたのは一時期だけだ。


 おいおいおい、とデュアンは内心で引き攣った。あくまでも顔面はちょっと困った笑顔のままだ。

「……ちなみに、誰が?」

 恐る恐る――もちろん心の中で、だ――訊けば、さあ? と屈託のない返事が来る。

「女の声で笑ってたから、今回は聖女の誰かじゃないですか? 明らかに魔術だろって時もあったので、騎士が実行犯の時もあったと思いますけど」

「……」

「まーでも、大抵は聖女かな? 騎士に喧嘩売られたことはないし……あ、でもこの前あったか」

「……」

「あんまり気にしなくていいですよ、騎士デュアン。そのうち飽きるか、引退すればなくなりますから」

 決まりはないが、聖女は自分から辞めることが出来る。特に貴族の女性は長くて数年で、聖女として過ごした後は、自分の国や家元に戻ることが多かった。

 いつまでも聖女でいるのは、レーのように戻る当てのない人間が多い。

「それまで待つの?」

「待つっていうか……出来るだけ部屋で過ごすんです。さすがに部屋の中は安全ですし」

 天気がいいと、ちょっと残念になりますけど、と肩をすくめるレー。

 マジか、とデュアンは心の底から戦慄した。


 聖女は、神の御使い。

 意思を、心を、描いたとおりに具現化する力があり、それは世界に漂う神の力をその身に得ていると伝えられる。

 魔物を屠るには、その刃を。

 穢れた大地を清めるには、清浄な息吹を。

 だが、人は弱い。

 簡単に崇高な思想も意志も捨てて、世界を呪えばどうなるか。

 実際、悲劇が起きたという話はない。

 なぜなら、滅びを望んだ時に消えるのは……聖女の方だからだ。

 だからこそ、聖女は神殿へと集められる。

 彼女たちを守るため。また、同時に世界を守るために。

 こんな状況を、放置していいはずがない。神官たちが把握していないとは考えられない。何のために、聖女を神殿に集めているのか、その意味がなくなっている。

 今まで、何も起こらなかったのは……奇跡なのではないか。

 半笑いでレーを見下ろすデュアンを、目の前の少女は不思議そうに首を傾げてみせた。

「騎士デュアン?」

 無造作に腕を伸ばす。デュアンの手はレーの頬と、耳の後ろや首筋近くまで覆ってしまう。なにこれ、とレーが手の甲をたたくが、痛くもなんともない。

「どうしたんですか?」

 黒い髪はありふれている。丸く黒めがちな目は印象的だが、容姿は美しい、とはとても言えない。美女を見慣れたデュアンは、不埒ながらそう心の中で断言する。

 神の威光さえ、ない。ただの少女はけれど、間違いなく「稀有」な「聖女」だった。

「もしもし?」

 聞こえてる? 寝てる? まさかね? とレーは訝しむ。他意のない行動が、ふっとおかしくなった。

 このぶんじゃ、聖騎士セアは。

「空でも飛ばなきゃならんな」

 高嶺の花、どころではない。天上の花だ、聖女レーは。

「なに、それ?」

 ちっとも話の通じないデュアンに、そろそろレーの機嫌が悪くなってきた。あはは、と笑う。

「ん? セアさん大変だな、って話だよ」

「どこからそこに行ったんですか? 意味不明です」

「だってレーちゃん、いじめられてるし」

「え、まさか聖騎士セアに告げ口ですか?」

 ややこしい上にとんでもない騒ぎになる、とレーがちょっと慌てる。

「え、あの。お願いですから誰にも言わないで」

「言わないけどさー? 今日みたいな調子で、ずぶ濡れで歩いてたら、一発でバレるぜ?」

「う……」

 言葉に詰まった。確かにその通りな上、今日だってこれからセアと仕事だ。あのままだと部屋の前で鉢合わせていたっておかしくなかった。

「な、なるべく被害に遭わないようにします」

「ま、それしかないよね。あとは犯人探すとか?」

「それは面倒なので……最終手段で」

「フツーはそれが最初の手段だと思うけど……まあ、セアさんにバレるまでは頑張れ?」

「……」

 全然応援する気のない声が、どうせ時間の問題だと告げている。反論どころか、多分そうじゃないかなーなどと思ってしまう時点で……いろいろ終わっていた。

「とりあえず仕事なので、もう行きますね」

「そー? 頑張れ。なんだったら俺もついて行ってやるけど」

「じゃあ、門まで来てくれます?」

 デュアンがいれば下手な真似はしないだろう、と打算を働かせて提案に乗れば、ちょいちょい、と手招きされる。

 なんだろう、と立ち上がって近づけば、指を組み合わせて手をつながれて驚いた。

「あの、なんですこれ?」

「いや~。ちょっと物は試し」

 意味が分からない。けれど、腕を振ろうが走って逃げようが、どう頑張っても変えてもらえなかった。

 解放してくれたのは、待ち合わせに現れたセアが激怒して、危うく切り付けられそうになった後だった。









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