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 右から襲ってきたソレは、即座に弾き飛ばされた。

 べきばき、という鈍い音。木の折れる音と、ソレが傷ついて上げた悲鳴――なのかどうか。

 短い言葉の後に、レーの手元に光が浮かぶ。両手に乗るほどの薄い黄色に光る球が、手を離れてソレを包んだ。燃えたのでもなく、ただ……消失する。

 次に現れたのは、毛むくじゃらの蜘蛛に似たソレだ。振り上げた長い脚が、レーに届くよりも早くに四方から飛んできた力の刃にズタズタに裂かれた。胴体とともに、動かぬ骸になる。

 レーが上を見上げる。空が見えるはずの景色は、黒い渦に覆われていた。

 すい、と両手を前で弧を描き、今度は光を弓に変える。さして力を入れもせず、番える矢もないまま、レーが弓を放った。無数の細い針に似た光が、まるで逆さに降る雨のように渦巻く闇に降り注ぐ。

 闇の幕の向こうから……さらにもう一匹、現れた。姿かたちは猿に似ている。手足は異常に長く、目も鼻もない代わりに、間抜けなほど大きな口と牙があった。

「聖女レー!?」

 セアが結界を張った。レーを半円に囲むその上に、無様にべしゃりとソレが着地する。ぎぎゃぎゃぎゃ、と声とも呼べない音が木霊する。耳をつんざかれそうだった。

 守られた円の内側で、レーはよだれを垂らす大きな口の奥を見ていた。どんな異形も、恐ろしくはない。毎回毎回、摂理や自然から外れて歪んだ獣たちが、なんとなく目新しいのと、……どことなく哀れなだけだ。

 聖騎士セアの結界を利用して、結界の上にいるソレをレーの力と一緒に囲い込む。最後は袋の口を閉じるように包み込み――一瞬で縮小させ、消滅させる。

 後に広がったのは――無音。

 転々と、水たまりのように黒い染みの広がる一帯は、浄化をしなければ魔力のない人間には害を及ぼす。草木もまともには育たず、普通の動物たちも寄りつかない。

 ふう、とレーの肩から力が抜けた。くるりとセアを振り返る。

「帰りましょうか」

「はい。承知いたしました」

 差し出された手を、レーが取った。



 ふっと目を覚ましたのは、別に珍しい事でも何でもない。

 セアはもともと眠りが浅いので……夢の合間に意識が覚醒するのは、いつもの事だった。

 今日は……妙な夢は見なかった。ただ、レーの夢であることは変わらない。

 つい先日の仕事と同じ光景だった。

 ただ「見て帰って来る」だけだと主張されたにもかかわらず、そこに到着すればあっという間に魔物の気配に取り囲まれた。

 レーは動じずに、ただ黙々と仕事に取り組んでいった。

 あの時を、そっくりなぞらえて……現実と同じように無力さを噛み締めた。

 対魔物討伐において、聖女に勝る者はいない。水のように湧き出る異形も、辺りを覆う瘴気も、聖女レーを脅かすことはない。

 セアがしたことはその場所までの案内と、一度だけ結界を張ったこと。そして帰りがけ、神殿の門の目の前でいきなり転んだレーのすり傷を治したぐらいだ。

 聖女の力は神の力。

 己が及ぶはずのない、領域だ。

 頭ではわかっているはずだというのに……感情は否応なくセアに苦く重い枷を嵌める。

 何のために……側にいるのかと。そう、問われたら。

 セアには、返せる答えがない。

「……」

 ふう、と息をつく。無理やり思考を頭から追い出し、寝床から出た。上着を羽織り、部屋から外へ向かう。夜に目が覚めた時には、いつも水を貰いに行く。控室か、少し遠いが騎士たちの使う食堂には、水差しが置いてあった。

 途中の道のりで、人影が見えた。手にある灯りが揺れる。なぜかそのあたりをうろうろとして、進みも戻りもしない。躊躇ったが……通り過ぎようとして、あ、という声に足を止めた。

「あの……聖騎士セア?」

「そうだが?」

「あんた、じゃない……えーと貴方様?」

「言葉は気にしなくていい。何か用だろうか」

 ややなまりのある不思議な話し方を、どうにかしようとするのを押しとどめる。セアも何となく顔を知っていた。自分よりも男は一回り以上年上に見えた。確か、調理師の一人だ。

「あそ。じゃ、ありがたく。あんた、聖女レーと知り合いだろ?」

「……」

 なぜここにレーが登場するのか。セアは首をかしげる。

「一時、あんたらごたごたしてたのは俺らの耳にも入ってたんだ。な、知ってんだろ、レーちゃん」

「……ああ」

 どっかの誰かを彷彿とさせる呼び方に、思わず眉根が寄ったが……夜中に騒ぐのは避けるべきだと判断する。

「良かった良かった。じゃ、ちょっと連れてってくれ。こっちにいるから」

「は?」

 こっちこっち、と男はどんどん進んでいく。着いたところは食堂だった。その一角、明かりのあるテーブルの隅で、小さな影がうつ伏せになっていた。

「聖女レー?」

 問いかけに応えはない。ゆっくりと背中が上下するばかりだ。

「眠っている、のか?」

「そうなんだよ。あんな所で寝ちゃってさあ」

「なぜ、こんな時間に?」

「さあな。俺はただの火の番だし……いつもだと勝手にやってきて、勝手に帰るんだよ。寝落ちした時は、団長さん呼ぶことになっちゃいるんだが」

「騎士団長ガイを、か?」

「そうそう。あの気さくな団長さんな。ってのに、あの人今日は不在でさぁ。えらい困ってたんだよ。まさかこのままって訳にもいかんし、かといって聖女様の部屋のある所に、俺らが入るのはまずいし」

 なあ? と目がセアに問う。その通りではあるので、答えなかった。かといって、セアならいいのかと指摘されても……困る。

 が、今回ばかりは選択肢がない。

「気遣いに感謝する」

「連れてってやってくれるかい?」

「ああ」

 レーを、そっと抱き上げる。灯りを受け取り、男に礼を告げて食堂を出た。

夢の中のレーはひどく淡々としていたけれど、腕に抱える少女はどこかあどけなく、頼りなかった。細い体が、力の加減を間違えれば折れてしまいそうな気さえする。

 揺れたせいか、レーの瞼が震えた。眠りはそれほど深くなかったのか、半分だけ開いた眼が、ぼんやりとセアを見上げた。

「聖騎士、セア?」

「はい」

「どおして?」

 誰もいない廊下に、かすれた声が落ちる。質問の意図が取れずに、セアは沈黙した。

「どうして、ここにいるの? 聖騎士セアも、眠れない?」

「お休みになれなくて、食堂にいらっしゃったのですか?」

 そうして、そのまま寝てしまったというのだろうか。よく、分らない。レーは夢うつつなのか、返事はなかった。代わりに、祈りにも似た呟きが漏れた。

「聖騎士セアが……眠れるといいな」

 ぐら、とセアの視界が揺れた。レーの言葉と同じくして、一瞬目の前が暗くなる。

 まずい、と直感した。レーを抱える腕、踏み出した足。感覚が急激に遠ざかる。

 息をのみ、歯を食いしばった――唐突に襲った、眠気を払うために。

 倒れたくなかった。レーにどんな怪我をさせてしまうか分からないから。

 目を開こうとした矢先、おい、と肩を強く引かれた。半ば落ちかけていた意識が、一気に浮上する。

「大丈夫か」

「……騎士団長ガイ」

「おう」

 セアよりもゆうに頭一つ大きなガイに、腕を取られて支えられていた。抜かりなく、レーの背中にも手を添えている。体勢を立て直し、レーを再度抱える。ガイが、悪いな、と謝罪した。

「代わりに呼ばれちまったんだって? 少しばかりタイミングが悪かったな」

「いえ……」

 返答のしようがなくて、セアは口ごもった。

「その……良くあることなのでしょうか、この」

「聖女レーが、食堂で寝ちまうのが、か? まあ、夜の散歩は趣味みたいなんだな」

「趣味、ですか。あまり良いとは言えないのでは……」

「そうだな。いつまでたっても、危なっかしいんだ」

 苦笑が浮かんでいた。大きな手が、レーの頭をなでる。

「今だってそうだ。あんまりにも、純粋に……無作為に、力を使っちまう」

「では、先ほど、あれは……聖女レーのお言葉の?」

「そうだ。願っちまうんだよ、簡単に。もうちょっと気を使ってほしいんだがな」

「ですが聖約は」

 交わしていないのに。ガイは答えなかった。レーに優しい眼差しを注いだままだ。

 ――まるで、試すように。

 セアの眉間に、わずかにしわが寄ったのにガイは気づいたが、何も言わなかった。両手を持ち上げて、セアを見下ろす。

 どうする、と問われて、セアは反射で小さな体を引き寄せていた。

 別にぶんどりゃしねえのに、とガイは内心で苦笑した。実際には、やや目を細めただけだ。

「じゃあ、頼むな。名前が掛かってるから分ると思うが、一番奥から三番目だ」

 新しい守護者が現れたことは、別に悪いことではない。これからどう変わるにしろ。変わらないにしろ。

 遠ざかる大きな背中をしばらく見送ってから、セアはレーの部屋へ向かった。

 部屋のカギは開いていて、不用心さに瞑目する。危なっかしい、とガイの言葉通りだと思いながら中に入って……考えを少し改めた。

 部屋に、カギは要らないのかもしれない、と。

 聖女には一人につき一部屋の個室が与えられるが、レーの部屋にはまともな家具 は寝台と机、椅子しかない。衣服を入れる箪笥すらなく、それに当たりそうな木箱が机の下に置かれていた。

寝台の掛布も、洗われて清潔ではあるのだろうが、ずいぶんと使い古しているのが触れればわかる。

 ――なにも、なかった。

 小さなころからいるのなら、もっと私物や飾りなどがあってもいいはずだというのに、レーの部屋にはその類が一切ない。余所余所しいというか、温かみがない。

 ここに、レーを思い起こさせるものは何もない。

 なぜ、と疑問は必然と浮かんだ。

 寝台にレーを下し、見つめる。今はただ、穏やかに眠っているのに。

 どうして、何もないのか。どうして、私室で眠れないのか。

 そろそろ気温は上がりつつあるけれど、夜はまだ油断ならない寒さになる。今ある上掛けの他を探して……探すまでもなく、ないことが分かった。

 仕方なく、自分の上着を重ねた。丸まった体は、それで覆われてしまう。

 不意に、ん、とレーが身じろいだ。目は開かなかった。

 寝台の端に腰かけていたセアは……無意識のうちに、手を伸ばしていた。

 ガイが、さらりと自然に触れていた髪。

 するすると指通りのいい、クセのない黒髪は、セアの指の間をすぐに抜けてしまう。物足りなくて、奥まで手を伸ばしたところで――はっと、息をのんだ。

 ぐ、と奥歯をかむ。レーに許可なく触れるなど……あってはならないというのに。

 ぐっすりと眠る少女を、目を細めてもう一度眺めてから……セアはレーの部屋を後にした。

 鍵はきちんと、魔術で錠をした。






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