清洌①
反政府軍と言っても、皆が皆、政府に不満を抱き高尚な意思のもと戦っているわけでもなく、ただ武器を持ちたいだけの者、何かに反発したいだけの者、就職難に喘いで最終的にここへ辿り着いた者等、いろんな人間がいる。
斉城八千代も、それは政府に不満がないとは言わないが殺してでもどうにかしたいという程ではなく、「就職、なんも考えてないならうち来るか?」と言った父親になんとなく頷いて入隊したまでだった。ちなみに八千代の父は反政府軍で中将の位に就いている。
しかし八千代は優秀だった。特に狙撃と対人格闘においては試験でも誰も敵う者はいなかった。
かくして、入隊試験トップの成績を誇る期待の新人は、反政府軍の本拠地たる飛行船に乗り込んだのだった。
扉をノックすると、どうぞと声がかかった。
「失礼します」
執務室に入ると、これから八千代の上官になるラーテル大佐は、コーヒーカップを片手に資料を読んでいた。
「本日付で配属になりました、斉城八千代軍曹です」
敬礼と共に名乗ると、はいよーと上官は手を振った。
「君、試験の成績トップだったんでしょ?あれマジなの?」
ラーテルは気さくな上官であった。あまりに気の抜けた口調に苦笑しつつ、八千代は答えた。
「大マジです。自分でもそれなりに優秀なつもりではいたんですが、まさかトップとは思いませんでしたね」
「うわあ。君、それ同期の前で言ったら確実に敵作るよ。嫌味だよ」
「気を付けます」
動じた風もなく微笑む八千代に溜め息を吐いて、上官はもう一度手を振った。
「今日は初日だから適当にここの空気に慣れて。船内の探索でもしてきてよ」
「案内役もなしにですか」
「これ、君の部屋とか書いてある地図ね」
「わーお。見事なスルー」
じゃあ俺仕事するから、と再び書類に向かう上官は、本気でこれ以上会話する気はないらしい。
「……失礼しましたー」
八千代は諦めて、一人で船内散策をすることに決めるのだった。
一度自室で荷物をある程度整理すると、八千代は船内を歩き始めた。
反政府軍には様々な国籍の人間がいる。政府を憎む者すべてを受け入れる、というのが信条であるらしい。
「おい、お前」
廊下で呼び止められ、振り返ると同年代くらいの男がいた。
「お前、斉城八千代だろう」
「いかにも。君は?」
階級章を見るに、男は上等兵。八千代より下の位だった。八千代は階級に拘りはないし、新人なので先輩には敬語を使うものと思っているが、目の前の男はどうにも同期であるような気がした。なんとなく、試験で見覚えがあるような……ないような。
「『君は?』だと?親の七光りの分際で調子に乗りやがって……」
「ふむ……わかっているとは思うのだけど、俺が君より階級が上なのは父の力じゃなくて試験の成績によるものだよ?」
八千代が首を傾げると、男は拳を震わせた。どうやら怒りを煽る結果になってしまったらしい。
二人を見守るギャラリーも随分増えているような気がする。
「てめぇ……ふざけんな!」
男が拳を振り上げた。ここは大人しく食らってしまった方が早く終わるかな、という安直な思考で八千代はその拳を顔面で受け止めた。衝撃を受けてから、せめていなすぐらいはしておくんだったと後悔したが、後の祭りである。
「おい、お前たち!何をやっているんだ」
「少佐……!」
ギャラリーを押し退けて一人の男がやってきた。どうやら八千代を殴った男の上官らしい。
「ちょーっとじゃれあっていただけですよ、大したことじゃありません」
八千代は男とむりやり肩を組んで微笑んで見せた。男もさすがに分が悪いと悟ったのか、こくこくと頷いている。
「あー……まあ、とりあえず、怪我をしたなら医務室で治療してもらいなさい」
男の上官は、八千代の顔を見て大体の事情を察したらしく、特に咎めもなく男を連れて去っていった。
医務室はどこだろうかと地図を広げていると、背後から声をかけられた。
「人気者だねぇ、斉城軍曹」
顔を上げると、金髪に赤縁眼鏡の青年がにこにこと笑って立っていた。
「これは人気って言うのかねぇ」
八千代が肩をすくめると、青年は声をあげて笑った。
「嫉妬というものは羨望の裏返しだよ」
ポジティブなのはいいことだな、と八千代も笑みを返した。
「俺はミゲル軍曹。君と同期だよ。よろしく」
医務室の場所はミゲルが知っているらしく、案内してもらうことになった。道中、挨拶を交わす。
「知っているだろうけど、斉城八千代軍曹だ。よろしく。君も軍曹ということは試験の成績がよかったのかい?」
「ああ、俺は別枠だよ。諜報部なんだ」
「へぇ、なるほど」
諜報部の採用は、一般の試験とは別口なのだと聞いたことがあった。どういう経緯で入隊したのかは知らないが、ミゲルは確かに諜報には向いていそうだ。相手の懐に潜り込むのが上手い。
「ああ、医務室に行くなら気を付けておいた方がいいよ。マッドブラザーズの兄の方の本拠地だから」
「マッドブラザーズ?」
八千代が聞き返すとミゲルはにやりと笑った。
「解剖好きの美人兄弟なんだと。兄の方は軍医のルシュト少将、弟の方は科学研究室室長のスティナ大尉」
「はぁ、また変わった人たちがいるものだね」
「俺も情報としてしか知らないけどね」
ミゲルと話しているうちに医務室に辿り着いた。
「いよいよマッドドクターの巣に足を踏み入れるわけか……」
「ミゲル、それは不安よりも楽しみにしている口調だね?」
「まあ、気に入られるなら俺じゃなくて君だろうからね!」
「どういう基準でそう考えたのか知らないけれど、俺を犠牲に己の好奇心を満たす気満々だね」
ノックをすれば、男にしては少し高めの涼やかな声がどうぞと答えた。
「失礼します」
「怪我の治療ですか?」
聞きながら振り返ったのは、確かに美人という言葉の似合う男だった。腰までの銀髪、少し伏し目がちの瞳の色はバイオレットで、縁取る銀の睫毛の長さを際立たせている。鼻梁はすっと通っていて唇はうすい。無表情だと少し冷たい印象を受ける、と八千代は思った。
「おや」
と、ルシュトは眉を上げた。
「あなた、とてもいい体をしていますね。非常に僕の好みです。解剖させていただけませんか」
真剣な面持ちで彼は言った。八千代はその真摯な瞳に引き込まれそうになり、寸前で思い止まった。
「……今ですか?」
「今でも、明日でも、明後日でも。ご都合のいい時に」
解剖されるのに都合も何もあったものじゃない。
「さすがに解剖されるために死ぬのは遠慮したいのですが」
「そうですか……でも、こんな理想の肉体に出会えたのは初めてなんです。死んでからでも構いませんから、どうか僕にあなたを解剖させてくれませんか」
「うーん……死んでからなら、まあいいかなぁ」
「え、いいの!?」
先まで背後でにやにやと見守っていたミゲルが思わず口を挟んだ。
「うん、まあ俺は軍人なわけだから検死の必要な死体になる可能性も高いわけだし、だったら美しい検死官を生前に予約できたのだと思えば別に……」
「本当ですか?ありがとうございます」
ルシュトはふわりと笑った。その顔はどちらかというと、美しいより可愛いだなと八千代は思った。
「いやーなんつーか、君も大概すごいよね……」
ミゲルは一人、強ばった笑みを浮かべていた。
「そういえば、名乗ってもいませんでしたね」
八千代の傷を消毒しながら、ルシュトは思い出したように言った。
「ルシュト少将、ですよね?」
「階級で呼ばれるのはあまり好きではないんです」
無表情だと冷たい印象を受ける、とは言ったものの、彼は基本的に人と話すときは柔らかな笑みを浮かべていた。
「ではドクターとお呼びしても?」
「階級以外ならお好きにどうぞ」
二人が和やかな会話をする背後でミゲルは呟く。
「さっきまで解剖の約束をしてた人たちの会話とは思えないよ……」
この空間でまともな神経を持っているのは、恐らく彼一人だった。