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千秋

お揃いのまだら模様

作者: 夢羽

 雪が吹雪く一月の中頃の今日。真知急いで、と前を走るムートンブーツの女の子、千秋憐が言う。私は彼女を追いかける。駆け下りる駅の階段。踏み外さないように正確に、でも速く。一歩一歩下りていくたび近づくホーム。コンクリートの柱の陰で見えなかった憐の姿が踊り場まで下りて目に入る。彼女は一足先に一番下まで下りて、吹雪く雪に立ち向かいながら、ゆっくり停止する新快速電車のドアの前に立っていた。電車に表示された新快速のカラーはやっぱり青色だった。

 彼女が振り返って真知の勝ち、と笑ったとき、ドアは開いた。

 私が電車の中に入ると、憐はドアの上の停車する駅が表示されるパネルを眺めていた。寒そうに足踏みをしている。

「私の勝ちだね、憐」

「ちぇ、黄色だと思ったのにー」

 憐は不貞腐れて、口を尖らせた。整った眉毛が左右に変に曲がっていて、くすりと笑ってしまった。新快速電車の車両に書かれている、新快速のカラーは何色だという憐の疑問に二人で賭けをしたのだ。結果は私の勝ち。電車は暖房が暖まっていないのか、まだ寒気がする。今日は朝から前日と比べ物にならないほど、冷え込んでいたからもしかすると、と思っていたけど本当に降るなんて。

「ひゃー、それにしても寒いね。髪も服も雪まみれだ」

「憐、頭の上に雪いっぱいついてるよ」

「ほんと? どうりで冷たいと思った」

 私はブルーのニット帽をかぶっていたのだが、憐はなにもかぶっていなかった。電車が停車する前、斜め風でホームまで吹き込む吹雪に降られたのか、憐の頭には雪がぽつぽつ積もっていた。憐が服をぱんぱん叩いて、雪をはらっている横で、私は周囲をちらりと見た。私たちが乗り込んだ車両にはもう空いている椅子はなさそうだった。

 憐はキャメル色のダッフルコートにつく雪に気を取られていて、頭の上の雪のことなんて二の次だったのだろう。コートの雪をはらい終わると、ダッフルコートのポケットにしまってあった携帯を取り出して、なにか打ちはじめた。親に連絡かな。憐が目を携帯に向けるので、憐の頭が垂れる。憐の頭の上の雪が黒髪によく映えて、鹿の子まだらのように可愛らしかったので、私は携帯を取り出して、目の前の子鹿を写真に収めた。

 カシャ。

「ん? 写真とった」

「みて、千秋バンビ。可愛いでしょ」

「やだ、頭の上の雪忘れてた。言ってよ、もー」

 消去してよねー、はいはいわかった。と言いつつもしっかり保存。憐は鹿の子まだらを優しくはらって、とれたー? と聞いてくるので、私は携帯から顔をあげる。憐が頭を私に向けて思いきり下げていたので、くすくすと繰り返し笑ってしまった。

 そしてふと気づく。ここは電車の中。大学生にもなって公共の場で騒ぐなんて、と遅ればせながら自重した。それから私たちはドアをはさんで、両端にそれぞれ立った。憐がリュックの中から、小花柄のポーチを取り出して、ピンク色のリップグロスを丁寧に塗る。この前唇になにか塗るのは好きじゃないと言っていたのに、と少し気持ちが重くなる。先輩彼氏の影響かなと思うと胸が苦しくなった。憐はリップグロスを艶めかせた唇で、私二つめの駅で降りるから、と明るく言った。

「なにか用事あるの?」

「うん、待ち合わせ」

「お相手は?」

「青梅先輩」

 青梅先輩とは憐の恋人の名前だ。逢ったことはないけど、憐の恋人なんだから、きっといい人で優しい人なんだろうなと思っている。  

 電車内にアナウンスが鳴り響いた。駅に止まるようだ。私たちが立っている側のドアが開く。このドアから入ってきた人はいないが、開いたドアから冷たい空気が電車内に入り込んできた。その冷気で憐の髪がふわりと彼女の唇をかすめた。リップグロスのせいなのか、それとも私が彼女に恋をしているからなのか、それとも両方の理由なのか。私はとりあえずドキドキしっぱなしだった。憐がくすぐったいはずなのに、私もくすぐったいような、そわそわした気持ちになる。いずれドアが閉まり、憐は乱れた髪を手櫛で梳く。その指のしなやかさにときめいて、手櫛で梳かれた髪が、さらりと彼女の肩にふわりとおちるのを横目で垣間見た。

 憐が好き、憐が私を好きになってくれなくても全然いい。そりゃあ苦しいときだってある。そんなときはこんなことを考える。私は人と話すのが得意ではないから、女の子でよかったと思う。だって女の子じゃなかったら、憐とこんなふうに帰ることはできなかったはずだもん。そう開き直ってしまえば、すっと心が軽くなる。私が好きになった女の子がこういう子でよかったって思える。

 もうすぐ、憐が待ち合わせしている駅に着く。そうなったら、私とはばいばい。電車が減速をはじめて、がたん、ごたんと音がする。私も憐も窓を眺めた。外は真っ暗で、時々街灯が光っていてそれを通り過ぎるばかり。面白くない風景。夜の電車は楽しくない。

 電車のアナウンスが聞こえた。毎日変わらない台詞。憐はリュックをしっかりと背負いなおし、外が黒くて鏡状になったドアに向かって前髪を少しなおしはじめた。よしっと小さく言うと、向きなおらずドアの左側よりに立ち、ぼーっとドアの向こうを見つめていた。

 ホームがどんどん見えてきた。私はホームに立っている男の人とふと目が合った。一瞬だけだったけど、ぼんやり優しい灯りの下でグレーのマフラーがやけに目に残った。隣から先輩、と声が漏れたのはその直後。憐の呟き。男の人は白い息をはいて走り出す。彼は走って追いかけてくる。ただひたすら。憐がいる、この車両を追いかけて。彼がいた場所をあっという間に通り過ぎても、電車はまだ止まらない。憐はまだドアが開かないのかと足踏みをする。

 電車が止まったとき、一足おくれて立ち止まった憐の彼氏は、膝に手を当て、息をあげていた。電車が開く独特の音がして、ドアはゆっくりと開く。一人のサラリーマンが私と憐の間を通り、電車を降りた。はぁ、はぁ、と息切れをした憐の恋人の声が私の耳に届く。

「先輩だいじょうぶですか、って先輩もバンビですね、青梅バンビ可愛いです」

「……バンビ? なんだそりゃ」

「バンビ知らないんですか? 子鹿のことですよ」

 憐は彼の頭を指差してふふっと笑った。彼のそれも雪がバンビの毛の模様のようにぽつぽつおちるので、憐はいっそう嬉しそうに微笑む。彼はマフラーをぐいっと前に引っ張って、息苦しそうに答えた。

「それはわかるけど、ってドア閉まるじゃん、こっちこい」

 自然に引き寄せられた憐の腕。華奢な体は抵抗なく引っ張られ、憐がホームに足をつけて程よくドアは閉められた。憐は振り返って、ばいばいと口を動かした。それに私は軽くうなずき、同時に瞬きをした。電車は動きはじめ、恋人たちは電車に背を向けた。それを切なげに見つめたあと、私は閉まったドアにもたれかかり、かぶっていたニット帽を雑然に脱いだ。


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