〜1章〜
「うぅ。さむっ」
夏の暑さが一転し、冷たい風が頬を伝ってゆく。
通勤経路にあるイチョウ並木は黄色く染まり、目の前を踊り落ちる。スーツのポッケに手を突っ込んで眠い身体を引きずるように歩く。
今の時間は、っと……。おわっ!やばい!電車に遅れる!
そこからの全力疾走。秋の風物詩を楽しむ間もなく走り去る。
ホームの階段を1段飛ばしで駆け上がる。後、1段!と思ったとき、不意に足を滑らせた。
急激に下がる血圧。お、落ちるっ!骨折程度で収まるといいが、と意味のないことがよぎったりもするわけで。
しかし、不時着したのは硬い地面ではなく、柔らかい感触。背中に感じる、肉感。………え?
「あの…大丈夫ですか?」
頭の後ろからする女の人の声。少女のように幼い感じ。
今更になって、まずい体勢になったことに気づき、慌てて身体を起こす。あまりに慌てたため、滑稽な姿で今度は前につんのめる。
「…っ!」
再び感じる人肌の温もり。細い華奢な腕が俺を支えていた。妙に力強いのは気のせいか。
「大丈夫ですか?身体の調子が悪いのなら無理なされない方が…」
「いえいえ!大丈夫です!本当に大丈夫です!」
なぜこんなに焦る、俺。
自問しながら、助けてくれた彼女を振り返る。
幼い声の持ち主は、見とれるほど可憐な少女だった。
少女といと言っても歳は10代後半だろう。
黒いワンピースの2つの膨らみはそれほど主張はしないものの、スレンダーな身体は見とれてしまう。
腰まで、ある長い髪がふわりと揺れる。
「どうかなさいました?」
首を傾げたのだ。
「あ、すいません。ご迷惑お掛けしました!ありがとうございました!」
そう言って、俺は身を翻す。
後ろから、あっ…、と言う声を流しつつ電車に突っ込む。
ギリギリセーフ。ドアが締まる隙間を横っ跳びですり抜ける。会社への遅刻は免れるぞ。
発車する窓から、俺の方を見るさっきの彼女を見た。
流れていく彼女を見ながら、そう言えば名前聞いてなかったなと後悔する。もう一度ちゃんとお礼言いたかったな。
ケータイで、ニュースを見る。いつもの日課だ。
朝から深刻な顔をしたおじさんアナウンサーがニュースを読み上げる。
「昨夜、大手会社の責任者である、○○氏が何者かによって殺害されました」
○○って、超有名会社の人じゃないか。と記憶を引き出す。
「警察は他殺の可能性を疑っており、犯人を探しているところであります」
犯人、さっさと捕まるといいな、と他人事で流す。
こんな日常が、もうすぐ崩れるとも知らずに、俺は電車を降りるのだった。