威厳のある声でその男は語る
月明かりが淡く揺れる薄暗い部屋に、冷たい雨風が窓から忍び込む。二十代前半の男が一人、静寂の中に佇んでいた。
白い長袖のワイシャツと黒のデニムという簡素な装いながら、彼の存在感を際立たせるのは腰から揺れる銀色の狼の尻尾だ。床にわずかに届かないその尻尾が、ユラユラと揺れ、まるで夜の気配と共鳴しているかのようだった。銀のウルフカットの髪に、鋭くつり上がった紫の瞳。そして、頭上にそびえる狼の耳が、微かな風の動きに敏感に反応する。
男は緊張をほぐすように掌に何かを書き、飲み込む仕草をした。左手に握るのは、薄く赤い表紙の本。その質素な外見とは裏腹に、どこか不穏な重みを放つ。
男は低く、威厳に満ちた声で言葉を紡ぎ始めた。
「絶斬を創るには、精緻な技術と、並外れた力が不可欠だ。そして、絶斬は決して世に知られてはならない。」
彼は狭い部屋を歩き始め往復する足音が木の床に小さく響く。だが、途中で腰を机の角に膝を椅子の脚に、ガンッと二度鈍い音を立ててぶつけた。
「ぐっ…痛っ…!」
男は顔をしかめると、ぶつけた箇所をそっと撫でた。その仕草は威厳ある声とは裏腹に、どこか人間らしい脆さを感じさせる。すぐにコホンと咳払いし、気を取り直すように再び口を開く。
「戦いを知らぬ無垢な少女は、『闇』の先に何を見出したのか」
彼は歩みを止め月明かりが差し込む窓辺に立ち、言葉を続けた。その声はまるで物語の深淵を覗くような響きを帯びていた。
「…気になるだろう? フン、人間とは知的好奇心に囚われた愚かな生き物だ。だが、もしその物語を知りたいなら、目の前にあるこの本を開くがいい。怖れることはない。少女の運命を、汝自身の目で確かめたいのだろう? ならば、開け」
月光が部屋を一瞬強く照らし、男のシルエットを浮かび上がらせる。銀の耳が光にきらめき、紫の瞳がまるで夜の深淵を宿しているかのようだった。
「さあ、ゆっくりと味わうがいい。この物語を読み終えた時、汝はどんな表情を浮かべるのだろうな?」
そう言い終えた瞬間、大雨が降り出した。窓から吹き込む風に男の声が一変する。
「まずいっ! 大切な本が濡れる!」
先ほどの威厳はどこへやら。慌てふためく声で叫び窓を閉める。だが、風は強くガラスがガタガタと不気味に鳴る。
──ギィ
ドアを開ける音が響くと男は部屋の奥へと移動し、黒い椅子に深く腰を沈め再び威厳を取り戻した声で呟いた。
「ここから、物語が始まる」
誰もいない部屋を見渡した男は八重歯を覗かせ静かな微笑みを浮かべた。その笑みはまるで、これから紡がれる物語の重さを知っているかのようだった。