アクシデント
作品中に専門用語が出てきますが後々物語に支障がないレベルで説明しようと思っているので、とりあえずはスルーしてください
「あっおいそらー♪ あっおいうみー♪ きいろくないよーあのなのよー♪」
ソラは膝立ちで外の景色を見て、景色の楽しさを歌と足をぱたぱたさせることで表している。彼女の小さな足がクッションを当たる度に、クッションは柔らかく彼女の足を受け止める。
そのソラをジッと微笑みを以て青年は凝視している。しかし、ハヤテは心配していなかった。この旅を通して、ソラが能力を発動させない限りは男の方からは手を出さないことは分かっている。故に、ハヤテはタブレットの方へと視線を向けることができた。
手にしている量子タブレットを操作し、すぐさま地球についての情報を表示させる。
『地球――地球人類の生まれ故郷である太陽系第三惑星。今でも開拓において多くの星の参考にされ、銀河内では時間も地球で流通していた時間と暦――地球標準時を採用している。他の星系に比べ、地球の暦は比較的単純であったからである。
地球標準時で二百年前。五百億を越えつつあった地球人類は他の星へと移住することで宇宙へと進出する計画を実行する(星の庭計画)。その際、初めて地球人類は自分たちとは別種の知的生命体に遭遇するのである。その人種は当時地球人類に最も姿形が酷似していたジラーソイドの民たちである。〈知の全体会〉の任を受け、ジラーソイドは最後まで地球人類の旅立ちを支援した。
ジラーソイドによって移住する惑星とその座標はリストアップされ、移住先とそのプランはおよそ七百万にも及んだ。
そして銀河に進出して地球標準時の三年後、地球人類は〈知の全体会〉の一員となる。
〈知の全体会〉の一員となった地球人類は、〈知の全体会〉から様々な知識を教えられ、〈知の全体会〉に付与された共臓の情報が刻まれたDNAを自らの種族に埋め込み、初めて暗黒物質の正体がスリープ粒子であることを認知した(地球人類はこれを『宇宙の色づけ』と呼んでいる)。それによって、地球人類の科学力は対等になり、〈知の全体会〉の一員として全体に奉仕できるようになった。
それに伴い、星の庭計画から五年後。共臓を持った地球人類の共感者の養育を目的とした、地球人類教育重合機関を発足。Aアカデミー、Bギムナジウム、Cスクール、Dクレイドル、計四つの教育機関がつくられ、「アーソイドの次世代の科学造詣の深い識者を養成する学園惑星」として人類誕生の地と共に広く一般に認知されている……』
そこから先は知っている情報ばかりだった。アーソイドは銀河中で現在二京を越える数がいること。その中で共感者は三十億程度しかいないことなど。
ハヤテはスクロールバーを動かして関連項目に目を移す。『Aアカデミー Bギムナジウム :Cスクール Dクレイドル……』この中で、ハヤテはDクレイドルのページを開いた。
『Dクレイドル――地球に五校しか存在しない教育機関。いずれも海に囲まれた閉鎖的環境を有する人工島に作られている。Aアカデミー、Bギムナジウム、Cスクールとは同じ組織に所属するものの、「社会に害を与える子どもを監視、更正させるため」の組織である。しかし、一方ニホン校ではその教育理念は他のDクレイドルと一線を画している……』
(ん? ニホン校では一線を画している……?)
ハヤテが初めにこの機関の名前を聞いたのは、生まれ故郷であるラウスであった。〈知の全体会〉による裁判によって、妹であるソラは地球にあるDクレイドル送りとなった。その時は感情が先行していてそこがどういうところなのか気にする余裕がなかったが、いざ行くとなると一体どんな特徴を持つ教育機関なのか、ハヤテは知らないことを自覚する。
ただ、ロクでもないところ、という印象が強い。それはABCDの中で最底辺のDを冠しているからでもあるし、〈知の全体会〉から半ば追放に近い形で言い渡されたからでもあった。
量子タブレットでも『社会に害を与える子どもを監視、更正させるため』と表示されている。だから、子ども版の『矯正所』であるところだろう。
しかし、だからこそ『ニホン校は教育理念が一線を画している』と書かれていることがハヤテは気になった。これから向かう先はそのニホン校だ。一体、何がどう他のクレイドルと一線を画しているのだろう?
他にも知りたいことはあった。これを読み終わったら、次はどうやって消費し続けるスリープを各学校に供給しているのかを調べてみようと思う。
ハヤテが続きを読もうとタブレットに視線を落とした時だった。
突然、エアボードに強い揺れが襲った。
「な、ななな何!?」
狼狽しているのはハヤテとソラだけではなかった。何度も地球に来たことがある青年でさえ、焦りの色を浮かべている。
「何が起こってるの!?」
すると、エアボードを制御するAIからとんでもないことを吐かれた。
『現在高度が急激に上昇しています』
「何ですって!?」
外を見れば、確かに眼下の海がぐんぐん面積を増やし、水平線が丸みを帯びてくる。
「原因は?」
青年が訊いた。
『分析の結果、スリープの過剰な発力の状態への相転移が原因のようです』
「制御システムの故障か! このままじゃ雲を突き抜けて宇宙に出るぞ!」
当然、このエアボードには酸素生産システムや気圧調整システムなんてものは積まれていない。本来ならばスリープ粒子を発力の状態へと相転移させている装置を壊せば済むのだろうが、現在の高度でそれをしてしまうと、間違いなく即死するレベルの速度で海面へと叩きつけられることになるだろう。
AIも混乱している様子で、まともな対策を取れずにいた。
「お、おねえちゃん……」
「大丈夫よ……大丈夫……」
ソラを抱き寄せ、頭をなでる。そうしないと、今にもソラが『泣き出しそう』だったからだ。今泣かれると、確実にエアボードに乗っている三人は海の藻屑となるだろう。
「……やるしか、ないか」
ハヤテは立ち上がって、青年に振り向いた。
「ちょっとあんた! このエアボードのスリープがどこに格納されているのか分かる!?」
「え? まぁ分かるけど……」
青年が席の一角を指さす。
「けど、どうするつもり? 燃料庫壊しても、この高さじゃエアボードごとペシャンコになるよ?」
「分かってるわよそんなこととっくに!」
指さされた場所にしゃがみこみ、手をクッションにつける。後ろにはぎゅっとソラが姉の背中にしがみついている。
(――確か、重力子のパターンは……落ち着け。そこら中にあるから!)
ハヤテがぎゅっと目をつむる。
ハヤテの共臓を通して、格納されているスリープを『観測』する。
途端、ガクンとエアボードは衝撃を受けた。
「これは……」
青年が辺りを見渡し、見当を口に出した。
「エアボードが、落ちてる? それも、緩やかに……」
ハヤテが窓を見ると、雲が少しずつ上がっていくのが見えた。
微笑みを浮かべる。
「ソラ、もう大丈夫よ。ほら、お外見れば分かるよ。雲が上がっていく……つまり、この車は下がってるの」
「ほんとだぁ! お姉ちゃんすごぉい!」
笑顔で姉に抱きつく。
「わわ、ちょっと危ないわね。集中が途切れると、また上がっちゃうわよ」
「君は……スリープに重力を持たせる共感者なのかい? でもそれだと……」
青年が呟く。
「違うわ。というより、私の能力は知っているはずでしょ? 事前に、データは〈知の全体会〉から送られたんじゃないの?」
「君は一つ勘違いしているようだけど、僕が知ってるのはそちらのソラちゃんのデータだけだよ。君は何も罪を犯していないからね」
「あ、そっか。そういうこと」
「それで、君の力は一体どういうものなんだい?」
「……どうしてあなたに教えなくてはいけないの?」
ハヤテは目を細める。
「……もしかして、この事故は事前に仕組まれたものじゃないのかしら?」
「う……」
ぎくり、と青年は体を震わせた。
ハヤテはため息を吐いた。
「あなた、もう少しうまい反応をしなさいよ」
エアボードは重力に引かれ、海面までゆるゆると降りていった。