美奈子ちゃんの憂鬱 歯医者さんはお嫌いですか?
久しぶりに学校に行けました。
みんな元気そうで何よりです。
帰り際のことです。
「にぎゃぁぁっ!!」
水瀬君の悲鳴が聞こえたかと思うと、何かが壊れる音が教室中に響き渡りました。
驚いて、音のした方を見ると、水瀬君が壁にめりこんでいました。
やったのはルシフェルさんです。
壁に男の子をめり込ませるなんて!
なんてことをするんでしょう!
とても女の子のすることではありません。
しかも、ルシフェルさん、水瀬君を壁から引きはがすなり、ワイヤーで縛り上げようとしています。
友達として止めるべきです。
「ルシフェルさん?」
「え?」
ゴキッ
何かとても鈍い音がしました。
「何です?今の音」
「水瀬君の関節を外しただけ」
「だ、大丈夫ですか?」
「気絶しているから」
「そ、そうじゃなくて、どうしてそんなことをするんですか?学校の壁を壊すなんて許されることではありません!」
「……あ、そっち」
ルシフェルさんはあきれ顔で言いました。
「水瀬君の心配、しているのかと思った」
「……あっ。そっ、そうですよね!間違えました」
ルシフェルさんは、まるで蓑虫のようにワイヤーで水瀬君を巻き上げたあと、水瀬君の口を開きました。
「ほら」
「?」
「右顎の下、黒くなっているでしょう?」
「虫歯、ですか?」
「そう。痛がっているのに、どうしても歯医者に行きたがらないの。だから、強硬手段」
「無理矢理でも歯医者さんに?」
「そう。普通のお医者様でもいやがるもの。特に歯医者の“は”の字でも聞こう物なら逃げ出すんだよ?ホント」
「それはいけません。そんなことでは立派な大人にはなれません」
「……恐ろしく説得力あるね。そのセリフ」
ルシフェルさん、水瀬君を担ぎ上げると教室を出ていきます。
心配ですから、私もついていきましょう。
歯医者さんは学校から5分くらいの小さい歯医者さん。
私、歯医者さんには縁がないから知りませんけど、腕はいいようです。
あら?入り口で泣き叫んでいるのは―――
「やだやだやだぁ!!」
「我慢なさいっ!終わったらオモチャ買ってあげるから!」
「いらないもん!」
あらあら。
泣きながら柱にしがみつく女の子。
それを説得しているのは――
桜井さんと未亜ちゃん?
「あっ。瀬戸さんにルシフェルさん」
「にゃ?どうしたの?」
「ううん。ちょっと付き添いです。桜井さんこそ、どうしたんです?」
「この子がね?どうも虫歯になったらしくて。何とかここまでつれてきたんだけど、入るの嫌だって泣き叫んじゃって」
心底お手上げという顔の桜井さん。
あらあら。
子供にとって、歯医者は怖い物ですからね。
でも、我慢しないともっと痛いことになりますよ?
「や、やだもん。痛いの、やだもん」
相当怖がっていますね?
ところで、桜井さん?この子、桜井さんの妹さんですか?
「ま、まぁ、そんなトコロ」
「?」
妙に歯切れがわるいのが気になります。
「にゃあ?素直に本当のこと言えばぁ?」
「ばっ、み、未亜!」
本当の、こと?
「美奈子ちゃんが産んだ子だって」
「ンなわけないでしょう!」
……推定年齢3歳。
中学生で出産。
倫理的に問題です。
でも……
「子育てに勉強を両立させるなんて、桜井さん。私、尊敬します」
「そのボケやめて……」
桜井さん、照れることないのに。
旦那さんがいらっしゃるなら、水瀬君から離れていただきましょうか。
うふふっ。
この子のおかげです。
私は、おびえる女の子に言いました。
「お名前は?」
「よ、葉子」
「そう。葉子ちゃん。お父さんのお名前は?」
「あ、瀬戸さん!」
何故か美奈子ちゃんが止めます。
「そ、その質問はダメ」
「何故です?」
「後で話すけど、今はダメ。ゴメンね?」
「?……はぁ」
桜井さんの真剣な顔。何か事情があるのですね?
わかりました。
譲歩の条件は高いですよ?
「何隠してるの?美奈子ちゃんてばぁ」
未亜ちゃんがいいます。
「ちゃんと父親は水瀬君だっていっちゃえばいいのに。変に遠慮してぇ」
「ばっ、バカ!」
……ほぉ?
成る程。
そういうことですか。
ルシフェルさん。その簀巻き、ちょっと貸してください。
私は、ルシフェルさんの肩から簀巻き状態の浮気者を奪い取りました。
処刑のお時間です。
さあ。悠理君?
祷子さんのこともあります。
命乞いなんて、聞きませんよ?
お手洗いを借りて返り血を落とし、メイクをなおします。
お手洗いから出てきた時には、もう事が済んでいたようです。
「ま、とにかくありがとうね」
桜井さんが言います。
「目の前であれだけやってくれたから、葉子が歯医者に行ってくれたし」
そんなに誉めないでください。
恥ずかしいです。
「にゃ、それにしても美奈子ちゃん。アドリブとはいえ、「歯医者に行かないとあのお姉ちゃんにああされる」なんて、よく言えたね」
「未亜だってたきつけてくれたじゃない」
「葉子ちゃん、自分から歯医者に飛び込んでくれたからねぇ。よっぽど怖かったんじゃない?」
いいえ。よっぽど痛かったのかもしれません。
葉子ちゃんは美奈子ちゃんにだっこされたまま泣き続けています。
桜井さんからの説明で知りました。
この子、捨て子の上、記憶喪失だから、両親=桜井さんの両親って思っているそうです。
なんだ。
悠理君の子供じゃなかったんだ。
未亜ちゃんは、桜井さんに似ているといいますけど、なんだか悠理君に似ているような……。
……まさか、祷子さんの子供じゃないですよね?
流産した。と聞きましたが、関係のあった時期を含めてあらゆる情報が改ざんされている可能性があります。
これは、徹底的な調査が必要です。
「程度は軽かったから、もう一回来れば大丈夫だそうよ?よかったね。葉子」
「よくないもん!!」
「じゃ、あのお兄ちゃんみたいになりたかった?」
「……や、やだもん」
ちらと私を見る葉子ちゃん。
何故か、ガタガタ震えています。
寒いんでょうか?
さて―――
肝心の悠理君は?
「ありがとうございました」
付き添い兼逃走防止で一緒に治療室に入っていたルシフェルさん。
彼女に支えられる形で悠理君が出てきました。
どうしたんでしょう?
全身ズタボロです。
「お大事に。それと、すぐに病院行ってくださいね?」
受付の看護婦さんも心配そうです。
「どうだったの?」と心配する未亜ちゃんに、ルシフェルさんは呆れながら言いました。
「どうもなにも―――」
「?そんなに悪かったんですか?」
「虫歯になった歯がアゴごと折れているんだもん。治療のしようがないっていわれた」
「は?」
「あれだけ派手に殴られたんだから、歯の一本か二本ダメになって当たり前でしょう?」
ルシフェルさんの白眼視が私を直撃します。
「療法魔法で他の骨と一緒に直してもらうから。あ、請求書、瀬戸さん、よろしくね?」
「ほ、保険、きかないんですか?」
「きかない」
一週間後
「なんであなたはそうなんですか!」
ゼロが7つ並んだ請求書を前に、お母さんからこってり絞られることになりました。
ううっ……。
歯医者なんて、大嫌いです。