エンジュの門
ぴりぴり、と肌を刺すような緊張感がその場を支配する。
俺とキールはじりじりと後退した。キールが真っ直ぐに見据えるその目線の先は、俺には暗い森しか見えない。
だが、と足を踏ん張ってその場をにらみつけた。
そびえたつ木々の上、そこに“何か”がいる。
視界には何も映らない。何も聞こえない。いっそわざとらしいほどに感じられない気配。しかし、確かにそいつが存在しているのが分かった。
「侵入者ァ、とりあえず投降したら許してやっから両手を挙げろォ」
低い声が反響して聞こえる。どうやら男の声のようだった。
俺は小声でキールに話しかけた。
「どうする?」
「……少なくとも、あいつは俺が感知できる範囲外からここまで数秒で移動した。逃げ切ることは出来まい」
「じゃ、大人しく投降してみるか? それでだめだったら、まあ……」
「だめだったら?」
「……なんとかなるだろ」
思いつかなくて適当に返事をしたら、キールに睨まれた後思いっきりため息を吐かれた。
しかし反論はされなかったので、ゆっくりと身体から力を抜いて両手を上に上げていく。視界の隅でキールも同じポーズをとっているのが見えた。
「……降参する」
「お、いいねェ。大人しいのはいい。俺の仕事が減るからなァ。よっと」
声の主は嬉しそうにそういうと、乗っていた枝を蹴る音と共に森の中から飛び出してきた。何も見えない暗闇から勢い良く出てきたそいつに思わずまた一歩下がる。
ざっ、と地面に着地したそいつは、静かに視線をこちらに合わせた。
暗がりであまり分からないが、背が高く細身の男だった。こきり、と一度首を鳴らして、こちらに話かけてきた。
「で、用件は?」
「へ?」
思いがけない問いに間の抜けた声を返すと、男はめんどくさそうにまた首を鳴らした。
「ここに来た目的はなんだって聞いてんだよ。“エンジュの門”を潜ってきたんだろォ? あんな辛気臭ェとこ通ってここまで来るんだから、よっぽど“下”は生き辛ェんだな」
「エンジュ……下? キール、何のことだか分かるか? …………キール?」
わけの分からない男の言葉に眉を顰めてキールを見ると、キールはすごく奇妙な顔をしている。なんかもう「終わった」的な雰囲気が伝わってくる。唇の端が笑おうとして失敗したかのようにひきつっていた。
「“エンジュの門”だと……? はは、は……ユウ貴様後で殺す」
「キールさんん!? え、何いきなり死刑宣告!?」
「よりにもよって“上”に来るなど……いや、タイミング的にはいいのか……?」
「上? ……何なんだよ、一体」
遠い目をしているキールと何も分かっていない俺を見て、男は首をかしげた。
「なんだァ? テメェら、庇護を求めてきたんじゃないのか?」
「庇護?」
「あァ、そうだよ」
男はそういうと、芝居がかった動作で両手を広げた。
「ようこそ、“下”の住民よ。“生命の瀧”を見事昇り切り、“エンジュの門”を潜り抜けてもなお前を見据えるその魂の強さを持った人の子よ!」
先ほどまでの間延びしたような独特な口調からは打って変わり、男は高らかに叫んだ。
「古き神々の誓いと、我が主の祈りを受け、“上”までたどり着いたお前達には、全ての悪からの庇護を約束しよう。たとえ人の子の王であろうとも、深き森に住むエルフの王であろうとも、世界を統べる龍の王であろうとも! 決して、お前達を害することは出来ない!」
その言葉の一つ一つが特別な意味を持つように森にこだまする。遠く響き渡るその声音を聞きながら、キールがぽつりと呟いた。
「……“エンジュの門”は、“上”と“下”の境界線。世界の果てに存在し、すべての生き物を無に帰すという“生命の瀧”を上りきってなお待ち構えるその門をくぐれば、魑魅魍魎が跋扈する異世界へと繋がっている」
キールは祈るように言った。
「その世界から抜け出るもう一つの“門”を通り、そしてたどり着くその場所の名は――――――――」
「――――弱きモノを護る為の最後の国、最果ての“ルシア・レミヒオ”へようこそ!」
男の影が、裂けたように笑った。