幻想崩壊
「…………は?」
沈黙の後、一番最初に口を開いたのは俺だった。
いま、この男はなんと言った。
呆然として頭が追いつかない。
――――ころしあう?
「んー、おおよそ予定範囲内かな? 規則ってのは本当にそれだけなのー?」
「はい、この三つさえ守っていただければ」
あの鼻男がエルベールと話していることが頭の上を素通りしていく。待て、待てよ。
俺はぐるりと頭をめぐらせて周りを見る。
表情が変わっているのは――――俺だけだった。
ガイストさんは口元に笑みを湛えたままだし、テオドロさんは腕を組んだまま目を閉じている。あの男のパーティーを見ても、誰もうろたえたりしていなかった。
ちびっ子と、ゼロですら。
まるでそれが当たり前だとでも言うように。
(なんで、だ。なんで――――)
生き残りが一人になるまで殺しあう。つまり。
「同じパーティーのメンバーも殺さなくちゃダメなのかな?」
「申し訳ありませんが、規則ですから」
エルベールの声にめまいがするようだった。頭ががんがんする。
つまり、俺が生きてここから出るためには、あの男も、ガイストさんもテオドロさんも、あとの三人の男と、――――ゼロとちびっ子を、殺さなくてはならないということで。
「……なんで、だよ」
声が震えた。
はい? と笑顔のままこちらを向くエルベールに叫んだ。
「な、んで! なんで殺さなくちゃいけないんだよ! 勝敗なら勝負でつければいい、殺す必要なんてないだろ!」
「規則ですので、」
「規則が何だってんだよ! なんで――――」
頭が、痛い。
吐き気がこみ上げるようだった。生か死かというこの状況も、それを受け入れるこいつらにも、そんなことを強要する規則にも。
なんでなんでなんで、どうして。
そればかりを繰り返す俺に焦れた様子もなく、エルベールは言う。
「これは古の誓約にも定められたことでございます。そもそもこのエルベール宮は、代々エルベールの名を持つものが引き継いできた、『勇者』を『製造』するための、いわば工場でございます。ワタクシめは、この年でまだ『製造』を行った事がないのですが。いやあ、お恥ずかしい限りで」
太鼓腹を揺らして心底愉快そうに笑うエルベールが理解できない。『勇者』の『製造』?
『一応勇者こっちで製造してたんだけど間に合わなくてさ~』
この世界に降り立ってすぐの、あのふざけたエセ神の言葉が頭によみがえる。
エセ神はゲームの世界に憧れているのだと言った。だからゲームの世界を作ったと。
魔王の大量創造による生命の滅亡の危機。そのために造られる『勇者』。
――――俺がここに呼ばれた理由も、『勇者』が足りなかったからだ。
「……なんで……」
「――――あーもう、うっさいなあ」
理解が追いつかずつぶやいた俺に、誰かの声がした。
それとほぼ同時に聞こえたのは、勢いよく風を切る音と激しく甲高い金属音。そして、なにかが地面に落ちる鈍い音。
――――見れば、あの鼻男が赤く染まった剣を振りかざしていた。
それを受け止めているのは鼻男と同じパーティーであるはずの茶髪の男。
そして、刎ねられた首と二つの首無し死体、血まみれの床。
――――二人の人間が、仲間の手によって今この場で死んだのだと理解するのは時間がかかった。
ギチギチと金属同士が強くこすれあう音がする。二人は冷静な表情でつばぜり合いをしていた。
「なんでどうしてって、君コドモ? ほんとうっとおしいからやめてよね、そーゆーの」
返り血が飛んだ頬をぺろりとなめ上げる鼻男に、ぞくりと寒気が走る。同じパーティーのメンバーをためらいなく一振りで切り殺した男は、軽薄そうにへらへらと笑っていたあの面影はすっかりなりを潜め、見下すような表情でこちらを見た。
「最初から言ってたじゃん。死にたくないやつは棄権しろって。逃げたいならさっさと逃げりゃあよかったのに、ここまで来て何駄々こねてんの」
「そ、れは……」
「――――ゲームか何かだとでも思ってた?」
まるで思いっきりひっぱたかれたかのような衝撃が走った。
(……ちが、う。違う。俺はそんなことを、思ってなんて、)
ここは現実だ。食事だってするし殴られりゃ痛いし血だって出る。俺は向こうの世界じゃ飛び降りて死んじまって、だからこの世界が現実だと、
そう思っていた、はずだ。
(なのになんでこんなに、)
体が震える。痛む頭に心を覆い尽くす恐怖。
鼻男の言葉に受けた衝撃。
――――そう、『ゲーム』。『ゲーム』の世界だ。そう思っていた。
死の危険の感じるのはプレイヤーの俺じゃなく平面状のキャラクターで、死ねば何度でも生き返ることが出来て、いくらでもリセットがきく非現実。
街で見かけた溢れるような人々はみんなモブキャラ。
建物はただのグラフィック。
食事の味覚はすべて錯覚。
感じる痛みは幻。
魔法は夢。
魔物に殺された人々も夢。
飛び散る臓物も夢。
今目の前に広がる世界のすべては夢。
夢夢夢夢夢――――。
朝が来れば終焉を迎える、すべて忘れる一夜の幻想。
そんな幻想が粉々に砕け散る。
「世間知らずの甘ったれな馬鹿にも分かるように言ってあげようか? あんたは死にたくなけりゃ、俺が今やったみたいにお仲間を殺せばいいの。簡単でしょーよ?」
俺の動揺を嘲笑うかのように男が言う。言葉の一つ一つが突き刺さるように鋭かった。
「まあ、殺せないって言うなら別にいいけどねー」
均衡を保っていた二振りの剣が鋭くキンッと音を立てて離れた。鼻男は今まで剣を交えていた茶髪男に背を向け、俺を真っ直ぐに見据える。いきなり切りかかられたはずなのに、冷静な表情のままそれを受け止めていた茶髪男が背後を簡単に取らせた鼻男に切りかかる様子はない。
息を呑んで顔を上げれば、呆れた声音とは裏腹に人形のように表情のない顔がそこにあった。
そして。
「――――俺が殺してあげるから、サ」
鼻男が背後に回ったと俺が気付いたのは、頭上高くに掲げられた剣が、赤い飛沫を飛ばした後だった。