腕試しと不穏な空気
「んじゃ、用意は良いか?」
俺たちは“安らぎの樹”の中にいくつか存在する修練場の一つに移動すると、ゼロとちびっ子を向かい合わせた。入り口付近にはアーリアさんが立ち、誰も入ってこないように見張ってくれている。
ゼロもちびっ子もいつものような笑みを浮かべていたが、なんとなく後ろに般若が見えるのは気のせいか。
(……子供同士のチャンバラのはずなんだけどなー)
この吹雪が吹くような空気は一体なんなのだろうか。
ちびっ子のやる気の源は、王族としてのプライドだろうか。第二王子だとしても、金の瞳を持つものとしての誇りがあるのだろう。
ならゼロは? ゼロは“白”で、世間では“無色人”よりも下に位置する存在としてある。上に位置する者への反抗心だろうか。しかし、そんな気持ちがあるなら“黒”である自分にはついて来なかったはずだ。
うーんと首をかしげていると、ゼロとちびっ子の会話が耳にはいった。
「今回も勝たせてもらいますからね! キール様なんて、瞬殺してみせます!」
「ふん。お前ごときに負けるようなことがあれば、王族の名折れだ!」
やはりちびっ子はプライドか。しかし会話を聞いていると、ゼロのやる気はただの負けず嫌いから来ているような気がする。瞬殺とかいう言葉が出てくるところにアーリアさんの影響を感じてちょっと不安だが。
(……そういや、ゼロは奴隷商人に買われてここまで来たんだっけ)
山奥の農村に住んでいたゼロ。そこには、こんなふうに喧嘩が出来る友達などいたのだろうか。
そして、ゼロの家族は――――。
ふと物思いからかえると、お子様二人が試合開始の合図を今か今かと待っている状態だった。
俺は小さく笑うと、上げた片手を一気に振り下ろした。
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ぺたぺたと、安物のサンダルの音が廊下に響く。白衣に眼鏡をかけた男は、口笛を吹きながら診療所の地下へと向かっていた。久しぶりの解剖に胸が躍る。
重厚な扉を開くと、薄暗い雰囲気のここには似合わないぐらいの光が溢れていた。歩みを止めることなく奥まで進む。
そこには王宮から派遣された兵士が何人かと、ただの肉塊と化した魔物の死体が一つあった。男の姿を見た兵士の一人が寄ってくる。
「今回も要請にお応え頂き、ありがとうございます、ノワール殿。さっそく、こちらを見ていただきたいのですが」
「分かってるよ、アルマン。僕としても、早くメスを入れたいからね」
ふんわりと笑っているはずなのに、なぜか背すじが寒くなるレイの微笑に、アルマンは思わずぶるりと震えた。王宮騎士になってもうすぐ三年が経つが、この人の笑顔にはいまだ慣れることはない。
気を取り直すと、アルマンは魔物のほうへとレイを導いた。
「これは……」
魔物の姿を見たレイの瞳が、すっと細められる。
「こいつを倒したのは、少なくとも人間じゃないね」
「ええ。恐らく、こいつよりも上位の魔物によるものかと」
横たわる魔物の死体には、多くの穴が開いていた。等しい間隔をあけて並んでいるそれは、何かの歯形のようにも見える。
四本ある腕のうち一本が食いちぎられ、他には致命傷となった胸の大穴があった。
「それなりに頭脳も発達しているように見えます。少なくとも、食用に殺したのではないようです」
「他の生き物が食べようとした形跡もないね」
魔物とて、動物の一種である。その異様な見た目からそんな名が付けられはしたが、危害を与えなければ危険な存在ではない。
しかし、魔王が力を持っているときは別だ。
魔王という存在がどう作用するのかは今のところ分かってはいないが、魔物はほとんどが凶暴化し、生きるためではなく殺すための活動を開始する。
魔物による人的被害はそれが主で、だから人々は魔王を殺そうとするのだ。
「やはり、最近魔物の活動が活発化しているのも……」
「まあ、十中八九そうだろうね」
「……魔王が、もう動き始めているなんて」
アルマンは顔を歪めて首を振った。彼の脳裏に映るのは、三年前の“勇者決定戦”。
そして、ある哀しい悲劇だった。
「……あとは僕がやっておくよ。報告はそっちにまわすから」
「はっ。それでは」
アルマンは忌まわしき記憶を頭の隅に追いやると、部下を連れて部屋を出て行った。
レイは彼らの後姿を見送ると、ゆっくりと息を吐いた。
「彼にはきついだろうね……」
レイはそっと目を閉じる。まぶたの裏には、いまだに鮮明な映像がよみがえる。
彼――――アルマンが王宮騎士になるきっかけであり、自分やティズが王宮騎士をやめるきっかけになった出来事。
しかし、今更どうにも出来ないことだ。
レイは気持ちを切り替えると、鋭利に光るメスを手に取り、魔物の死体を見下ろした。その瞳に浮かぶのは、先ほどの憂いなど微塵もない、純粋な歓喜。
「さて……楽しませてもらおうか」
彼の唇が、ゆっくりと弧を描いた。