俺の世界とあんたの世界
冒頭部分は第10部「ヤブ医者と元王宮騎士」の最初と同じようなものが入ります。もしお忘れでしたら、一度読み直してください。
完全にシリアスパートです。どうぞ。
幼子は覚えていた。母と呼ばれる人の温かさを。
幼子は覚えていた。まだ見ぬ自分を待ち望んでくれている父の存在を。
幼子は覚えていた。
――――母を殺し、父を殺し、周りを不幸にしたのは自分だということを。
冬の野山に打ち捨てられ、身を裂く寒さに震えながらも、幼子は、生きることを望まなかった。
産まれた瞬間に、この身に憑いた呪いを背負い、不幸を振りまきながら生きていく意味が分からなかった。
だから、“死”が“生”の向こう側から手を伸ばしてきた時も、むしろ喜んで手をとった。幼子は、幼子でありながらも誰よりも多くのことを理解していて、この世の真理とも呼ぶべき物を背負っていた。
“死”は恐れるものではないと知っていたし、“生”は必ずしも幸せではないことを知っていた。
――――なのに。
気付けば幼子は、再び“生”に抱きかかえられていた。
優しく暖かく、それでいて、残酷で血塗られた“生”に。
――――そして、幼子はゆっくりと、手を伸ばすことを諦めたのだった。
~~~~
俺とアーリアさんは部屋を出ると、“安らぎの樹”にある修練場の中の一つへと移動した。
そこには運良く誰も居なかった。そこそこの広さがある部屋の中で、俺とアーリアさんは再び向かい合った。
先に口を開いたのは、アーリアさんだった。
「…………男なんてみんな死んでしまえばいい」
強く強くこめられた、深く暗い憎悪。
アーリアさんの心の半分を飲み込む闇。
「…………男などくずです。ただ力があるだけの野蛮でおろかな動物に過ぎない。人型をしている害虫を駆除して、何が悪いというんですか?」
「……人型をしている害虫、ね」
俺はため息をついた。ああ、また俺の幸せが逃げていく。
「人間は、男だけでは生きていけないし、女だけでも無理だ。それを分かっていますよね」
「…………ええ」
「なら、男が存在していることを認めてください」
俺はアーリアさんを見た。色素の薄い、水色の瞳。
彼女はきっぱりといった。
「…………それは無理です」
無表情で言い切る彼女は、一体何を思っているのだろうか。
「…………男が人間の“生”に必要なことは、いいでしょう、認めます。しかし、それは私に必要なものではありません。私は、男と関わりたくない」
そういう彼女の顔は、いつもよりもほんの少し暗く見えた。
俺は気がついた。彼女は根本的なところで矛盾している。
俺は口元に笑みを浮かべた。
「じゃあ、なんで俺と関わっているんですか?」
アーリアさんは弾かれたように俺を見た。
「俺だって一応は男だし、ヤブ医者だってそうです。ちびっ子もさっきのオッサンも、男に間違いないでしょう」
彼女の瞳が、揺れる。
「…………だから、なんですか」
「“男”なのに、ちゃんと関わってるじゃないですか」
アーリアさんは、目を見開いた。
「“好き”も“嫌い”も、相手が居てこそ成り立つ感情です。本当に男という生き物が嫌いなら、嫌悪をむき出しにするよりも無視したほうが早い。あなたは矛盾しているんですよ。男の存在を認めないといいながら、今目の前に居る俺の存在を認めていることが、証拠です」
「…………いいえ、認めてなど居ません。ただ、許しているだけです」
再び、彼女の瞳に闇が戻ってくる。
彼女は男の存在を、俺の存在を認めているわけではない。ただ、俺がその場に立っていることを、許しているだけなのだ――――。
俺は笑い出した。
「あは、は、はははは!!」
ぎょっとしてこちらを見るアーリアさんも目に入らない。俺は腹を抱えて笑った。
許すだって! あはは、あはははは!!
あははははははは!!
「――――許すだと!!!」
俺は一転、アーリアさんをにらみつけるようにして見た。
「じゃあ、この世に存在する全てのものには、存在するためにあなたの“許可”が必要なんですか!」
アーリアさんが、うろたえながら俺をほうを見る。
許す、だと!!?
「底に転がってる石っころから、この空も海も大地も!!! その存在を維持するためには全て、あなたが認めなければならないとでも言うんですか!!」
「…………そんな、ことは、」
「――――“俺”は“あなた”に生かされているとでも!!!」
俺は、何か言いかけたアーリアさんをさえぎって言葉を発した。
――――そうだ。
彼女の心の中にあるのは、男に対する嫌悪と憎悪。
そして、隠し切れない傲慢さ。
――――反吐が出る。
俺は視界の隅で、ゼロとちびっ子がこの部屋に入ってきたのを確認した。二人とも恐々とした様子で、こっちを見ている。
……試してみるか。
「じゃあ、アーリアさん」
いきなり大人しくなった俺を怪しみながら、アーリアさんが言う。
「…………なんですか」
「俺を殺してください」
三人の瞳が、極限まで開かれたのを感じた。
「…………な、にを」
「“男”の存在を認めたくないんでしょう?じゃあ、殺してくださいよ」
あなたを慕う、幼い少女の目の前で。
うろたえるアーリアさんは、どうしたらいいのか本当に分からないようだった。
俺はじっくりと待った。ここでゼロがアーリアさんを止めたりすれば、彼女は止まるだろう。少女の願いをかなえるためだと、理由をつけて。
それじゃあ、ダメだ。それは“ゼロの思い”であって、“彼女の思い”ではない。
俺が聞きたいのは、“彼女の思い”だ。
「…………できま、せん」
静かに言葉を落としたアーリアさんは、自分自身の言葉に呆然としているようだった。
ほっとしている子供二人を横目に、俺は満面の笑みを浮かべた。
「――――そう、そうです。あなたはちゃんと、“男”ではなく俺を見ている。ヤブ医者だってそうでしょう」
「…………私は」
「ちゃんと“認めて”ください。全部じゃなくて良い。でもせめて、自分の周りのやつぐらいは。あなたの過去に何があったのかは知りませんが、それじゃああなたの世界が苦しくなる」
アーリアさんの目に、光が宿った。
「ま、俺でも認めてもらえたんだから、時間をかければ“人”を認められるようになるはずです。だから、これ以上騒ぎを起こすのはやめてくださいね、ほんとマジで」
俺の体が持たないんで。
そういうと、アーリアさんはゆるゆると顔を上げる。
そして、俺は見た。
彼女の口元に浮かぶ、かすかな笑みを。
「……言いたかったことはそれだけなんで。戻りましょうか」
四人で部屋を出て、歩き出す。
さっきとは打って変わってニコニコしている子供二人に和みながら、俺も歩を進めた。
――――“認める”、ね。
そんなのまるで、“カミサマ”みたいじゃないか。