第十六話:影のボス疑惑〜姉上、噂が届いております〜
俺には、尊敬する姉上がいる。優しくて、頼りになって、でも怒らせるとおっかない。
本当ならアカデミアに進学して、魔獣の生態や行動学を研究していたはずの人だ。
だけど今は、第一騎士団の掃除係。
(……掃除係、だよな?)
その日の夕方、家の居間は異様な空気に包まれていた。
母上は鼻息荒く見合い写真を山積みにし、父上は青い顔で書簡を睨んでいる。
「すごいわ……すごすぎるわ……!」
「……まず、落ち着こう」
落ち着いていないのは、明らかに父上も同じだった。
父上の手元には、騎士団の作戦報告書の写し。
その横には、なぜか――俺の通う学園名が入った資料一式。
父上が、恐る恐る読み上げる。
「『今回の共同作戦において、第一騎士団側の現場判断は非常に的確であった』……?」
(第一騎士団? あの脳筋特化って噂の……?)
「『特に、アイリス殿の判断は――』」
「ちょっと待って」
母上が、ぴしりと扇子を閉じた。
「どうして団長より先に、うちの娘の名前が出てくるのかしら?」
「……うむ。何故だろうな」
父上が紙をめくる。
「現場判断、指示整理、全体統率、冷静な進行……。あれ? 本当にアイリスの名前が多いな」
「ふぅん、全体を動かす“参謀型”ってことね」
「いや、そうは――」
「表に出ない。指示は的確。現場は従う」
母上は頷いた。
「影のボスね」
母上はくるりと俺を振り返る。
「ねぇ、学園で何か聞いてない? それか、バイト先の冒険者協会で噂とか」
俺は、断片的な記憶を繋げる。
大柄な騎士を引き連れて歩く姉上。
夜、支部長の部屋に呼ばれて談笑していたという話。
学園で、先輩たちにやたら慕われている姿。
(表向きは掃除係。でも第一を動かし、第二と連携し、冒険者協会に顔が利いて……)
「……影のボス、では?」
母上、満面の笑み。
「やっぱりそうよね!! ぴったりの言葉じゃない!!」
「使うなそんな言葉……!!」と父上が弱々しく言う。
俺は机の上の封筒を指差した。
「それで……これ、学園でも回覧されてるんですよ。“卒業生進路先資料・騎士団幹部候補生”ってタイトルで」
『さすがアイリスお姉様――!!』
先輩たちの黄色い声が蘇る。
「幹部候補生……?」
母上が資料を覗き込む。
「総騎士団長のコメントまであるじゃない。第一騎士団長も太鼓判、と」
「試験的な取組みらしいな……」
「つまり」
母上が断言する。
「王都上層が、アイリスを“将来の要職”として見てるってことね」
「待て! これは共同作戦の報告書で――」
「でも名前はアイリスばかりよ?」
「……そうだな」
父上が低く唸る。
俺は、恐る恐る聞いた。
「姉上って……掃除係でしたよね?」
「掃除係、ね」
母上は見合い写真を一冊持ち上げる。
「これ、誰だと思う? 王城勤めの高官よ。魔法研究所の次席補佐官。商会の若旦那に、騎士団関係者もいるわね。全部、アイリスと縁談希望よ」
「そんな所から!?」
「当然でしょう!」
母上が胸を張る。
「騎士団の上層部と太いパイプを持つ女性よ? 今が一番モテる時期じゃない!」
(姉上の言う、掃除係とは……)
そこへ。
コンコン。
「アイリスお嬢様がお戻りになりました」
問題の本人、アイリスが帰宅した。
◇
(どうして父上が騎士団の報告書を……?)
居間に入った瞬間、視線が刺さる。
「……何か、ありましたか?」
「おかえり。座りなさい」
母上が、にこやかに立ち上がる。
「聞いたわよ」
嫌な予感しかしない。
「第一騎士団の……影のボスなんですって?」
アイリスは、持っていた鞄を落とした。
「……はい?」(最近、この感じ多いな)
バサッ。
ドサッ。
ピラッ。
「騎士団の公式文書」
「縁談の山」
「母校で回覧中の幹部候補生資料」
「これだけ揃って、違うとは言わせないわ!」
「違います!!!」
即答する。違うはずだ。
「現場で判断を?」
「……しました」
「指示を整理?」
「……しました」
「全体を回した?」
「……結果的に」
母上は満足そうに頷いた。
「完璧ね!」
「違います!!!」
父上がそっと手を挙げる。
「縁談の話は……」
「今それどころじゃありません!!」
アイリスは、チラリと学園名が入った封筒を見る。
(報告書も縁談も問題だけど、あの資料は何!? 写真まで……いつの間に!?)
こうして。王都からの真面目な報告文一通は、影のボス疑惑へと進化し、家族総出の大誤解を生んだ。
なお、この件が、後日「母校イベント」という名のさらなる大混乱へ繋がることを、この時、まだ誰も知らない。
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