第十二話:静寂とノイズと、アイリスの限界
第二騎士団の資料室は、いつ来ても静かだ。誰かがめくる紙の擦れる音だけが聞こえる。
アイリスは書架の整理を手伝いながら、息を吐いた。
「ここ、天国みたいですね……」
「第一が地獄のように聞こえるが?」
棚の前で資料を確認していたノエル副団長が、静かに微笑した。
「冒険者協会の件、支部長から聞いたよ。君のおかげで助かったそうだ」
(ひいぃ……広まってる……)
「……もっと上手く動けたら良かったんですけど」
「十分だ。むしろ、第一騎士団が君に頼りすぎている」
その言葉に胸がじんわり温かくなる。
「アイリス君。おかげで資料も揃った。そろそろ第一騎士団へ行こう。今後の大型魔獣討伐に向けての詳細を、団長へ説明しないと」
「はい。現実に戻る時ですね……」
アイリスは名残惜しく第二騎士団の資料室を出た。
◇
廊下の向こうから、ものすごい騒ぎが聞こえてきた。
「あぁーー!! ルーカス! そこ片付けろって言ってるだろ!!」「団長! そこ、ってどこっすか!?」
ノエルは資料を抱え直し、ため息をひとつ。アイリスは「第二の資料室に戻りたい……」と死んだ目になった。先ほどまで吸っていた穏やかで澄んだ空気は、一瞬で霧散した。
大部屋は今日も混沌としていた。ゴードン団長とルーカスが地図を囲んで言い合い、書類が雪崩のように落ちる。アイリスは資料を置き、ノエルは静かに周りを見渡した。
「騒がしいな……」
「はい……いつもの事です……」
二人で落ちてくる紙を拾い始めた時だった。
第一騎士団の中でも扱いにくいことで有名なベテラン、スズークがのたりと顔を出した。
「おー? いい空気じゃんか。逢引きの帰りかぁ?」
ニヤ~ッ。
大部屋の空気が一瞬で濁った。ノエルの手が一瞬止まり、団長は顔をしかめ、ルーカスは遠くを見る。アイリスは無反応で紙を拾い続けた。
「お? スルー? なぁアイリスちゃん?」
覗き込まれ、アイリスはゆっくり顔を上げた。
「スズークさん、ちょっと距離が近いです。下がってください」
「おっと、悪い悪い」
「スズーク、やめろ。そういう冗談は不快だ」
ノエルの低い声。
「え~? そんな真面目な顔すんなよぉ、第二の副団長。ほら、アイリスちゃんを見てみろよ、反応が可愛い――」
ブチッ。
小さく、静かに。何かが切れる音がした。
「スズークさん」
柔らかいのに死ぬほど冷たい、氷のような声。大部屋の空気が凍りつく。
「“逢引き”って言葉、何度も言ってきますねぇ。そんなに好きなんですか?」
「んぁっ……」スズークが固まる。
「ここ、男性だらけですけど。私、誰と話しても“逢引き”になっちゃいますね?」
「そ、それは……」
「黙っていればいいんですか?」
微笑んでいるが、アイリスの青い目からは静かに光が失われていく。
「私は、誰とも話さず黙っていればいいんですか?」
アイリスが笑いながら首をかしげる。ゴードン団長の喉がかすかに鳴り、ルーカスが背後の壁にへばりついた。
「面白いと思って言っているんですか? 職場でのからかいが、どんな負担になるか考えたことは?」
アイリスは淡々と言うが、言葉が落ちるたびに冷気が増す。
「これ以上続けるなら……次は“注意”じゃなくて、“正式な処理”をします。以上です」
スズークが初めて本気で顔を引きつらせた。
「す、すんません……!」
アイリスは一度だけ深く息を吐いてから――
「では。ゴードン団長へ討伐の説明をお願いします、ノエル副団長」
何事もなかったかのようにノエルへ向き直った。ゴードン団長は顔色を真っ青にしたままアイリスを見ている。
「お、お前……怒ると怖ぇのな……!」
「いつも掃除してますから。汚れは片づけますよ? 原因から」
団長が震えた。大部屋には初めての静寂が訪れた。




